ちくちくことば
ふと何気ない言葉に刺される時がある。
小学生の頃の12月に毎年、人権月間があった。学年が上がるに連れて内容も難易度が上がっていった。
21歳になったわたしは未だに、『ちくちく言葉とふわふわ言葉』について考える時がある。
小学校一年生の初めての人権月間、12月末に集大成のような人権集会が開かれるため、そこに向けて1ヶ月間人権について学ぶのだ。
一年生は、言葉遣いだった。
バカ、アホ、どっか行って、などの拙い悪意の言葉を『ちくちく言葉』。
ありがとう、好き、いいよ、などの暖かい言葉を『ふわふわ言葉』。
そう称して、ちくちく言葉を封印し、ふわふわ言葉を使うことを人権集会で宣言した。
なぜ今のわたしがこの言葉たちについて考えるのか。
それは、今わたしが受ける、わたしに向けられる言葉がちくちく言葉であり、それを通り越した明確な悪意を感じるものが多いと思うためである。
先日、バイト先で教育係に指名された。そして新人ちゃんに施設内や働き方を説明した。そこまでは良かった。
その後、社員を紹介する際に、「この人がうちの店舗で一番偉い人で社員さんだよ」と言った。社員はいつもより無愛想に頭を下げるだけだった。
新人ちゃんが帰った後に、いつも通りわたしが報告に行くと不機嫌そうに吐き捨てられたのだ。
『僕のこと、"この人"って言わないで。僕の威厳なくなるから。』
はい!?と思った。威厳!?となりながらも、申し訳ありません、気をつけます。と頭を下げたけれど。
その事件後、社員とわたしの関係はおかしくなった。いつもは終業後、今日夜何食べます〜?なんて軽い話をしていたのに、あの日以降、
「今日のあの対応明らかに悪かったよね」
「あんな接客しかできないならやめたら?」
という言葉を投げつけられるようになった。
わたしのメンタルは毎日の悪意に疲弊していく。どうしたらよかったのだろうか。
わたしは、この社員のような人から向けられる言葉をちくちく言葉を通り越した、『とげとげ言葉』と称している。心が大きくやられた際には『ぐさぐさ言葉』と。
ちくちくと刺されるような言葉は、より脅威を増してとげとげと刺してくる。そして、更なる悪意を持つ場合、ぐさぐさとナイフのように変化する。
刺された側は、単なる擦り傷で済まなくなる。刺し傷は傷が深く、場合によっては痕が残る。
人を物理的に刺すことは犯罪である。では言葉ならどうだろうか。言葉による殺傷も犯罪ではないだろうか。向ける相手が、ぶつける相手が、誰であっても許されるべきではない。
発する前に一度立ち止まって考えてみてほしい。その言葉は誰かを傷つけるためのものではないか。