見出し画像

アラザルVOL.16 特集「経済」のお知らせ

 話は2024年5月19日に遡りますが、文学フリマ東京が開催されるタイミングに合わせまして(※今回は不参加)リリースされた批評誌アラザルvol.16(特集=経済)に『DJ_やめましたのパチンコ歌謡史講義 Light ver. (=歌詞にパチンコ・パチスロが出てくる音楽25選)』という記事が掲載されております。

 なぜ前回の文学フリマに出店しなかったのかにつきましては編集人の西中賢治によるこちらの声明をどうぞ。

・文学フリマへの批判と提言

 2024年11月現在の時点で在庫を扱っているのは、吉祥寺の古書防破堤かもしくはアラザルオンラインショップにて入手可能でございます。

 そもそも歌詞にパチンコ・パチスロが出てくる音楽を掘るに至ったきっかけは「2020年代以降に登場した最近の若いラッパーのリリックの中でやたらとスロットの用語が使われているぞ」という(パチンカス兼日本語ラップリスナーでなければ気づかない)発見だったのですが、そこから植木等がボーカルを務めるクレージーキャッツの映画主題歌が大ヒットしていた昭和の時代=1960年代まで約60年分遡るのは困難を極めました。

 で、令和の時代のラッパーとして登場しているのが徳島出身のWatsonなのですが、『ミュージック・マガジン』2023年12月号の「日本のヒップホップはここまで来た!2023」特集に載っていたディスクガイドで音楽ライターの韻踏み夫が、

“BOSSが、SEEDAが、S.L.A.C.K.が、KOHHが現れて日本語ラップを変えたときのような衝撃を、Watsonはシーンにもたらしている。
日本語ラップの2020年代はWatsonとともに始まった。
 Watson以後、ラッパーの歌詞の書き方が変わった”

 というようにこれ以上ない賛辞を呈していた2021年のアルバム『thin gold chain』に続いてリリースされた2023年の最新作『Soul Quake』を聴いていたら、“ステージ裏でするドキドキ 1000円で光らせた沖ドキ”という出だしで始まる「Dokidoki」、“Benzo乗ったがEクラスだ Sじゃないからまだない達成感 前とは違う狙ってないワンペカ”(「RANDO」)、などなど他に気がついた範囲で挙げると「Feel Alive」の“人生変えたのはT-Pablowのパンチライン”に続くヴァースでの“金持ちになるため練る作戦 犯罪、それか狙っていたジャグ連”といったようにパチンコじゃない方のスロットにまつわるスラングがてんこ盛りだったわけです。
 Watsonよ、お前もジャグリスト(またの名をパチスロ生活者)だったのか。

  というかラップのリリックをアーカイブしているサイト「genius.com」に載っている『Soul  Quake』のページでは書き起こした人が「1ペカ」とか「ジャグ連」とかの歌詞の意味がわかっていないみたいなので謎の使命感で解説すると、YouTubeで公開されている「Feel Alive」のMVでもWatsonがラップしている時の身振りでスロットのリール停止ボタンを指で3回押すポーズをしている(わかる人にはわかる表現になっている)のでもう一度目を凝らしてご確認ください。

 続きまして毎度おなじみの余談ですが、今回のアラザル経済号に載った『歌詞にパチンコ・パチスロが出てくる音楽25選』には入れられなかったけど、NUMBER GIRL結成直後に福岡でライブ活動をしていた時代の向井秀徳がパチンコ屋に通っていたエピソードがこちらです。

“向井 …その頃の私はホールのバイトに行っているわけだけども、毎日イベントがあるわけじゃない。当然、金銭的な余裕なんてないけども、そういうときはパチンコ屋に行くわけ。それが月の中頃だったとしたら、所持金はもう一万円くらいしかない。残りの十五日間は、この一万円でやりくりしなければいけない。マルキュウでもやしを二十円で買って塩胡椒をかなり利かせて、それで飯を食うしかない。
 一方で、食事代を含めて一日五百円でやりくりすると考えれば、全然イケるやないかと安心する自分もいて。その安心感が引き寄せる不思議な欲望がここで芽生えるわけ。
 一日五百円×十五日間=七千五百円。残りは二千五百円だけども、例えばこの二千五百円を元手にパチンコをして、一箱出せば六千円になる。そうすれば、さらに余裕ができて、もやし以外のものもできるじゃないかという愚かな皮算用をするようになるわけです。
ーーそれでパチンコ屋に行く(笑)。
向井 行く。もう絶対に行く。ただ、二千五百円以上負けたら、さっきのもやし計算が破綻するから、二千五百円で出なかったら潔く諦めようと。
 なんだけど、これが不思議なもので二千五百円突っ込んで出ないと、考えていることがいつの間にか変わっていくわけです。今度は「大丈夫だ。まだあと七千五百円ある」という皮算用にいつの間にか変わる。しかも、さっきからこのフィーバーパワフルには、スーパーリーチもバンバン来とるわけだし、波は来てると。もう頭の中は正常な理性が働いてないわけだけども、ただ現実的には残りの七千五百円もスッてしまったら生活できなくなるという不安も確かにある。このせめぎ合いこそが博打で、そうなると、まさに私の目はパチンコになっている。
 するとね、その博打の欲、興奮が引き寄せるのかは知らんけども、隣でタバコを吸いながらパチンコ打ってるヤンママみたいな、顔がゲッソリとした、化粧っ気のないね。そんなヤンママでさえムラムラしてくるわけ。色っぽく見えてくる。
ーーパチンコ屋にいる女の人はなぜかエロく見えますよね(笑)。
向井 見える。それはなる。博打の頭になってるから。
 それでもうムラムラもしてくると。「これ、ちょっと確変来たら絶対、近所の風俗に行こう」っつって。もう、もやし計算とかどっか行ってるんだけど、そしてこれが「パチンコは麻薬」と言われる所以かもしれないけど、不思議なことにラスト千円で本当に確変が来るんです。”
(向井秀徳『三栖一明』より)

 上京前の向井秀徳のエピソードはこの後、“それで、私はことあるごとに、パチンコでお金を稼いでは、ナナちゃんに会うために、「ルージュ」に通うようになるわけです。そして、行ったら行ったで「今日はもう何もしなくていいよ。話だけにしようや」っつって。”というように今の時代に掘り返しづらい「一目惚れしてしまったナナちゃん」との疑似恋愛を経て失恋の痛手を負い、それがNUMBER GIRLの曲「センチメンタル過剰」ができたきっかけだったという「喪失感」の思い出へと発展していくのだが、これ以外にも令和〜平成〜昭和の時代それぞれのパチンコ歌謡史を掘り下げてみて興味深いのは、「パチンコ屋/パチンコ文化と恋愛」が意外と密接に結びついていることである。

 例えばパチンコ専門誌で執筆するライターでもある吉田栄華が作詞とボーカルを務めるバンド・テンゴの楽曲に辿り着いたのは、吉田氏のライフワークである全国のパチンコホール探訪の記録を纏めた『偏愛パチンコ紀行〜3000軒で見つけた宇宙〜』を読んでいたら冒頭部分に「I Love Pachinko Hall」の歌詞が引用されていたからなのですが、「偏愛パチンコポップ」を名乗るテンゴの1stアルバム『あぶくぜに』に収録されている「並びのテーマ」が歴代のパチンコ歌謡と比べてもエモさが突出していてめちゃくちゃ名曲だった。
 青山真治監督の映画『EUREKA』のサントラにも使われたジム・オルークの同名アルバムやヴァン・ダイク・パークスの『ソング・サイクル』等を彷彿とさせる何重にもひねりを効かせたフォーキーな曲調にパチンコ屋の開店前の風物詩を掛け合わせる「並びのテーマ」はオリジナルver.と2006年ver.と2ndアルバム『わたしのツキ』に収録されている2018年ver.が3種類ある代表曲らしく、パチンカスの恋愛がテーマというよりも、パチンコと呼ばれる遊技の本質とは儚く消える恋愛であるという真理を描き出す歌詞の情景描写が巧み。

 あと言い忘れていたのが、釘曲げ出版から届いた『偏愛パチンコ紀行』は、「13年間で47都道府県、3000物件以上」のパチンコ店を訪ねた旅の記録が写真と文章で収められていて、寂れゆく風景を100年後に残したいという著者の使命感により再発見された廃ホールの置き去り看板・「非日常への入り口」を彩る建築として流行したが90年代を境に失われたエントランス装飾・景品交換所のいい小窓など細部に拘った博物学的な蒐集の成果をめくっていると、なんとも言えないノスタルジックな趣深さが凝縮されていて目眩がしてくる。こちらもネット通販で入手できます。

“消えてはすぐ忘れ去られ、記憶にも記録にも留められることなく「打たざる人々」の視界からブロックされてきたパチンコ店たち。私は旅をしながら、多くの人が見過ごしてきたパチンコ店の魅力を「発見」し続けています。猥雑でたくましく、物悲しくて美しい彼らにこの手で触れたくて、訪ね歩かずにはいられないのです。”
(「第一話 探訪の手びき」より)

“ああパチンコやさん!
あなたがいないと
私はきっと抜け殻です
私の心のすべて
良いところも悪いところも
ぜんぶ 見たい知りたい
ぜんぶ 見たい知りたい”
(テンゴ「I Love Pachinko Hall」)

いいなと思ったら応援しよう!