「みなとみらい」はなぜ「体売らないと生きてけない」と韻を踏んでいるのか? 日本語ラップと“終わらない都市計画”論
1. アンパンマンとアンデパンダン --ヨコハマトリエンナーレを抜け出して
平成日本の都市部で開催される国際美術展の先駆けになった第1回目「メガ・ウェイブ -新たな総合に向けて-」が始まったのが2001年9月で、パシフィコ横浜のホテルの外壁に巨大なバッタを出現させた椿昇+室井尚の特撮映画めいた巨大彫刻が地元民の話題になった。
そこから第 6回目となる「ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス」が“「接続性」と「孤立」から世界のいまをどう考えるか?”をテーマに掲げて8月から開催中なのだが、メイン会場となる横浜美術館のすぐ斜め向かいのブロックに、もう一つのミュージアムが居を構えているのをご存知だろうか。
なぜか会場で配布しているガイドブックの「ヨコトリ周辺マップ」にも載っていないのだが、みなとみらい大通り沿いの路地を曲がったみなとみらい地区4丁目のアンパンマンこどもミュージアムは、仙台から福岡まで全国に5箇所あるうちの一つが横浜の現在は向こう三軒両隣が高速道路の建設計画の予定で取り壊し中の立地に「接続」されることなく「孤立」して建っている。
やなせたかしの絵本『それいけ!アンパンマン』を原作にして現在もTVアニメが放映されている、村の食べ物に飢えた子供たちに自分の顔を分け与える愛と勇気だけが友達の慈善ヒーロー・アンパンマンの歴史について深追いするのはやめておくが、通りを挟んで向かい合うアンパンマンミュージアムと家具・インテリア量販店と外国車の展示場にしても、美術館の向かいに並ぶ複合商業施設のブロックにしても、「港の未 来」で韻を踏んでいる地区の街づくりの特徴を一言で表せば書き割り的な雑居性が生い茂る埋め立て地である。
強いて言えば、子供連れで休日を過ごす居住区のファミリー層向けに「あるていど豊かで安全な都市を歩いているかぎり、人々の服装や街頭の 広告はほとんど変わらず、ネーションのちがいを意識する必要はほとんどない」(東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』)、国境を越えてつながるグローバル化の秩序で均質に整備されたショッピングモール的な消費の空間に特化してきているということだろうか。
そしてここから、世界各国から現代アートが集まるフェスティバルの傍らで「異質」に屹立しているのが日本のキャラクター文化をテーマにした施設だったという構図が見えてくる。そういえばみなとみらいでは増殖した黄色いモンスターが通りを練り歩くポケモン・パレード「ピカチ ュウ大量発生チュウ!」が毎年夏の名物になっているのを思い出したが、季節が変われば跡形もなく街頭の広告は「アート」一色に切り替わっている。
まず、横浜駅とJR根岸線の桜木町駅のあいだの高架線路の「壁」(※1)に隔てられた湾岸エリアに広がっているみなとみらい地区は、私にとってはいつまで経ってもスカスカで中途半端な「空き地」のイメージが拭えない場所だ。
その印象は主観的な記憶の中の風景かと思えば、1996年の映画『あぶない刑事リターンズ』の一場面でみなとみらいのもう一つのシンボル・ 半月型で屹立するパシフィコ横浜のホテルの一室から眺められた「空き地」の姿が記録されている。
とはいえ1993年に完成した当初は日本一を誇る高層ビルだったランドマークタワーが296mの高さで中心に聳えているのだが、2014年には高 さ300mの大阪あべのハルカスにすぐ追い抜かれてしまった。そしてその周辺が臨海の殺風景な造成地だった90年代と比べれば、並び建つタワ ーマンション群や新設の商業施設で徐々に埋まってきてはいるものの、数年で再び更地に戻る建物も多い。スクラップ&ビルドの完成形が見えないのも事実である。これは、通勤・通学で経由するターミナル駅の終わらない改築工事から着想を得た柞刈湯葉の小説『横浜駅SF』で描かれているような荒唐無稽なパニックSF的な収集のつかなさとも通底している。
1964年の東京オリンピック以降に移り変わってきた都市の風景をドラマや映画や漫画・アニメで描かれたイメージと照らし合わせて論じる速 水健朗の『東京β』によると、湾岸の高層集合住宅は建築基準法が改正された1997年の規制緩和以降に急増したという背景があった。言われ てみれば90年代と00年代を分かれ目にして一気に埋め立て地の景観が変わったのだろう。
1983年に再開発が始まった「みなとみらい21地区」の名称は1981年に一般公募案からの選考で決まったとのことだが、ここで一旦街づくりの 当事者による証言に耳を傾けてみよう。
横浜市職員として横浜トリエンナーレ等の文化事業に携わっていた著者がここで「みなとみらい21地区における文化機能の集積についてみると、二つのシネコンや横浜BLITZなど特にエンターテイメント機能はかなり集積してきている。/これは、当初、映像文化都市構想で描いてい た開発の姿に近づきつつあるといえよう。」と楽観的に記している未来予測とは裏腹に、1500人規模のライブハウスだったBLITZは2013年に閉館した後、その解体された跡地は柵に囲まれた雑草が生い茂る空き地のままになっている。また、赤レンガ倉庫と並ぶ「文化芸術都市」政策の拠点の一つだったBankART Studio NYK(旧日本郵船倉庫をリノベーションした施設)の閉鎖が決まったニュースが先日発表されたばかりだ。(※2)
都心から最寄りの湾岸地域のジオラマ的な「仮設性」は、もともと倉庫やギャラリー、展示場用地に適しているだけでなく、爆発やカーチェイスなど派手な視覚的効果を伴う事件が起きては消える刑事ドラマやアクション映画の撮影でロケ地として使われているのは、近年では先ほど挙げた通りに舘ひろしと柴田恭平の『あぶない刑事』シリーズでコンビが定年退職するまで30年間に渡って港を密輸ルートにして暗躍する日本のヤクザ組織&中国系/ロシア系/南米系マフィアとの戦いが写し撮られている。
そしてこのように人工的な区画整理が「キレイ」なまま維持された仮設空間が潜在的な爆心地(グラウンド・ゼロ)のイメージやカタストロフィックな想像力を呼び込むことは、以上に挙げたアクション映画の他に特撮映画の場合でも巨大怪獣が上陸するロケーションの舞台設定で見かけるシーンが積み重なっている。スクリーンの中の横浜美術館は1992年の『ゴジラVSモスラ』で破壊された。
例えば速水健朗の都市論が取り上げているように、押井守監督のSFアニメ『パトレイバー』シリーズは東京湾岸の再開発地域が「川沿いで暮ら しを営む古くからの住人の生活環境」の上に覆い被さる「近代的な都市空間」の二層のレイヤーで構成されていることを描き出している。
自身も「水辺の町」側の「大森とか蒲田とか町工場が並ぶ大田区の光景」を見て育ったという押井守が「埋め立て地から飛び立った戦闘ヘリたった3機で都心を破壊するという話を作ってしまうのは、原住民である僕の東京というものへの思い出もある(笑)」と語っている、都市開発 にともなって廃れゆく「周辺部へと押しのけられた原住民」の視点。
ここでようやく、カメラではなく言葉で都市の多層的な断面図を切り取っている一群のトライブ・コールド・クエストを紹介することができる。彼らも絶えずグローバリズムの余波を受けてフラットに書き換えられる都市空間とは別の面を呼び寄せて「もうひとつの世界」(RINO) の探求へと誘う。
地元のクラブやライブハウスを拠点にしてきたラップグループ・サイプレス上野とロベルト吉野の曲『ヨコハマジョーカー』(2004年のイン ディーズデビューEPに収録)では、「壁」で区切られた再開発地域の周辺を「真昼間っから発泡酒イッちゃう」ボンクラなマインドの仲間と彷徨い歩くロードムービー的な下から目線の景色の変化を通して「キレイだけじゃなく裏サイド」/「体売らないと生きてけない」という「みなとみらい」と押韻関係にあるフレーズがオフィシャルな「芸術文化都市」の観光ガイドでは描かれない多面性を転写している。
このように歌詞の中で新規移住者・観光客向けに消費社会のシミュレーショニズムが演出された表舞台(横浜美術館から赤レンガ倉庫に移動するトリエンナーレの経路でも、商業ビル・リゾートホテルと交互にポルシェやBMW、アウディやフェラーリのショーケースが設置された街並みが見える。ちなみに美術館の裏の区域もモデルルームの展示場として使われている)と裏通りのギャップを混ぜ合わせるモンタージュは、先行する横浜のラッパー・OZROSAURUSが2001年に発表した「ROLLIN’045」を踏まえていると思われるのだが、断片化した脚韻でパーカッシ ヴなフロウを作っていたオジロザウルスよりも口語的に根づいた押韻が高度化していることに気づく。
ところでローカルな地域をレペゼンする数字(市外局番)である「045」を冠してベイブリッジから山下公園にかけての街路を深夜にドライヴする光景を歌ったこの曲はどのようなマップを横切っていたのか。
横浜美術館で観たトリエンナーレの展示でも生真面目にペリー来航をモチーフに したサム・デュラントの「日本人とアメリカ人の遭遇にまつわる絵画群」があったが、開港後の明治時代は外国人居留地として関所が設けられていたのが地名の由来で「馬車道」の区画整理にその名残りがある関内地区は、中華街とはまた別の時間の流れで外国人向けの映画館や英語の 戯曲を上演する劇場(※3)が建つ繁華街として栄えてきた。
そして昭和の第二次大戦時の空襲で焼け跡と化した敗戦後も長らく米軍に接収されていた区域に隣接していた事情により、多国籍パブや外国音楽を演奏するバーや飲食店が並ぶ市内最大のネオン街・伊勢佐木長者町〜野毛の一帯と、「連合軍兵士による性犯罪の抑制」を目的に黙認され ていたという説もある旧青線地帯(黒澤明監督の『天国と地獄』で犯人の隠れ家があるスラム街の撮影地になった黄金町)が連なっているみな とみらいの「裏サイド」は、敗戦の記憶を留めている街である。
昭和の芸能界を代表する歌手・美空ひばりが子役時代にデビューした由縁でその国際劇場の跡地に『悲しき口笛』の銅像が建っていて、近辺の 日の出町の駅前には同性愛ポルノ専門のピンク映画館「光音座」が未だに残っているのが不思議だったのだが、『消えた横浜娼婦たち』の著者・檀原照和氏のブログによると、戦後のある時期から男娼が客引きする土地柄だったことが確認できる。(※4)
路地裏で出会った「元男娼のカールさんのジャズバー」の記憶は菊地成孔と大谷能生のラップユニット・JAZZ DOMMUNISTERSの「KKKK」 における大谷能生のヴァースで「今はもうそこは更地で、タイムズの一角になっている」場面が叙述されている。
一旦整理すると、言うなれば〈芸術=再開発地域で開催される現代アートフェス〉と〈芸能=繁華街で慕われる美空ひばり〉が「壁」で画然と仕分けられていて、その境界線の国道付近に〈ポップカルチャー=キャラクター文化やヒップホップ文化のラップに登場するアメ車やグラフィティ〉が繁茂する溜まり場になっているという地図上の配置からも、みなとみらいの空間構造を読み解くことができる。※5
2. 「未来の廃墟」と『建設的』 ーー 日本語ラップが透視する都市の「2 FACE」
雑草と建設中の白い仮設パネルに囲まれた「終わらない工事現場」の情景がつきまとっているみなとみらい。ここに、いとうせいこう&タイニ ーパンクスの『建設的』を重ね合わせてみる。
日本語ラップ黎明期の1986年に、まだ二つの震災が起きる以前のさらに東西冷戦の「壁」が崩壊する直前だったその時ラップを始めた日本人にとっては、ある朝目が覚めたら核戦争によって街が「焼け跡/瓦礫」と化していたというもうひとつのパラレルワールドを不条理劇的な虚構として構築することでしか、海の向こうのラッパーが写実した「崖っぷちで死なないように必死」な人々が犇いている「ジャングルの如く無法地帯」な街の風景を翻訳したイメージが「リアル」だと感じられなかったというねじれた想像力が出発点だった。
椹木野衣は2010年の「破滅ラウンジ」展を評したテキスト『自走する悪しき建築』で、磯崎新が1962年に「システムを自走させてカオスを呼び込む」都市のモデルを設計した『孵化過程』と、赤瀬川原平が「最後は自己破壊にまで至った廃品類の奔流」だったと自ら回顧している 「出品料さえ払えば誰でも参加できる」無審査の反芸術展・読売アンデパンダンのその翌年に起きた自壊と、カオスラウンジのインスタレーションが連鎖する理念的な収束を欠いた結果の「恒常的な日本的反復」の美術史を叙述している。
椹木によれば、1960年代の磯崎新は、読売アンデパンダンのラディカリズムが自滅に至るプロセスを通して「完成した姿が見えず、つねに変動過程しかない都市」の生成原理を捉えようとしていた。
これがいわゆる、その忘却と反復のサイクルとして「新旧による弁証法が意味をなさぬまま複数のシミュラクルだけが際限なく回帰する悪循環」が見出される日本文化の「悪い場所」論の典型である。
ところで、ラップが「ここ=ネイバーフッド」にこだわる言語表現であるのはなぜか。(“この街にいる、この街にいる、そしてこの街から始める” THA BLUE HERB「SHOCK-SHINEの乱」)
ざっくり簡潔に定義すると、1970年代にニューヨーク市行政が押し進めた人種隔離的な都市計画(の失敗)によってスラム化した街角に押し込められたギャング集団ごとのテリトリーを番地で区切った縄張り争い(≒口喧嘩?)をサウンドシステムを鳴らして騒ぐブロック・パーティーに転化した音楽ジャンル、「アフリカ系アメリカ人のオーラル(口承)文化とディスコ音楽が結びついて生まれたもの」(粉川哲夫『ニューヨーク情報 環境論』)になる。
これをより形式的に言い換えると、DJがビートメイクした8小節のループを基本単位にして、そのルール設定の上でライムの織りなす緊密な律動のパターンの独自性を競う、日常言語のフロウをブレイクダンスの要領で上下左右に躍らせるゲーム(トーナメント方式のフリースタイル競技の場に特化したのがMCバトル)だといえる。
その体を揺するリズムが街角の広場で伝播してゆくとサイファーが出来あがる。
ヒップホップが誤解されているのはこの新たに「暮らしにリズムをもたらす」(MONJU)技法への考察が欠けているためだ、というのが『現代史手帖』に連載された佐藤雄一の詩学的アプローチによる日本語ラップ原理論『絶対的にHIP HOPであらねばならない』である。
この連載は最終的に持たざる者たちの「貧乏ゆすり」を「まだ見たことのない動きあみだす」(K DUB SHINE)まで鍛錬するスタイル化、という突拍子もないアイデアに辿り着いているのだが、そこで佐藤は、規則的な拍子の「反復」と「踊れるリズム」の区別を定義している。
ライミングによって削り取られたイメージの断片が歪な新造の統辞法を駆使してリズミカルに折り重なることで浮かび上がる「多角形にカットされたリズムの結晶体」(佐藤雄一)のような都市のもう一つの姿。
この辺りで、今ここのリアルを重低音を響かせてシェイク=揺動するラップの技術が、黒瀬陽平が『情報社会の情念』で提起している、ちょうどニューヨークの路上を舞台にしてヒップホップ文化が勃興しつつあった1970年代に寺山修司が都市そのものを劇場化する「市街劇」で試み ていた現実と虚構の位相の偶然の重ね合わせ、情報環境の外部に追いやられた「満たされぬ霊」たちの情念に導かれて「もうひとつの現実」を描くという「負の拡張現実」の「ポジティブなものでもネガティブなものでもありうる両義的な可能性」と呼応するのではないか。黒瀬が「情念定型」が眠る「もう一つの美術史」を探索するそのような方向転換に至ったのは、椹木野衣の「悪い場所」論を乗り越えるために、「とりかえしのつかないこと」によってさら地になった「被災地の平面」の意味について考える試みだと宣言している。
都市の表向きは見えない多面・多層性を切断/接続するライミングによるフィクショナルな空間の変容。上下に視界を動かすことで、その場に居るだけでグルーヴの快楽(ノリ)を発生させる、コール&レスポンスの決め台詞でよく使われる「飛び跳ねる/ジャンプ/バウンス」がヒップホップの基本動作である。
しかし、レコードの溝に記録された過去を未来のブレイクビーツに向けて呼び出す身振りとしての、高速で溝の上を走るレコード針を摩擦するスクラッチ・ノイズの時間性をどう解釈すればよいのかは、次回の課題で考えることにしよう。
※1 「浄化」活動が実施される直前には約1kmに渡る公共壁画スペースとしてアーティストに解放する市民交流企画「桜木町ON THE WALL」が実現していたものの、2008年の旧東横線補修工事に伴って「老朽化した高架下の安全性を高めるため」という理由で合法的なものも 含めてすべて消えるまでグラフィティ・アートの聖地だった。
※2 一応他にも、多目的シェアスペースのBUKATSUDOなどがある造船所跡地のドッグヤードや現代美術/舞台芸術の会場としてもおなじみ の赤レンガ倉庫は由緒ある観光地兼芸術文化施設として機能していることは補足しておきたい。
※3 在留するイギリス人のアマチュア劇団がシェイクスピアなど西洋の戯曲を上演する場として1885年に作られたゲーテ座は大正の関東大震災で崩壊したが、現在の山手にある跡地が「日本最初の西洋式劇場」を記念する博物館になっている。
※4 「戦後ゲイバーが登場した理由については諸説あり、「進駐軍の同性愛者の需要にこたえるため」「旧日本軍内でその方面に目覚めた者が、戦後の自由な空気に刺激されて開業した」「民主主義の影響」などといわれるが、はっきりしたことは不明。」(檀原照和『横浜におけるゲイバーの歴史』 )
※5 一見かけ離れたジャンルのように見えるニューヨークの地下鉄から発祥したグラフィティ文化と日本のオタク(キャラクター)文化の類似性に関しては、大山エンリコイサムが都市空間を塗り替える「過剰に装飾された視覚言語」という見立てで論じている。『アゲインスト・リテラシー グラフィティ文化論』に所収の「スタイル化するシミュラークル ーーグラフィティ文化とオタク文化」を参照。
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