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毎年のこと。

NHKの朝の連ドラがいつまでたっても定期的に戦後間もない時代を舞台にしたり、三丁目の夕日とかが話題になるたびに「いつまで戦後を引きずってるんだ」とムカつくことがあった。戦争を忘れたいとか無かったことにしたいという気持ちでムカついていたのではなく、いつまでもあの頃は良かったとかあの頃は大変だったというノスタルジーにしがみつくなよという気持ちで。

だけど僕は3月11日が近づくとyoutubeとかであの日のテレビの放送を何時間かじーっと見つめている。国会中継の最中に地震の予報がきて、実際に揺れて速報が出て、津波警報が出て、南三陸とか大船渡の映像が出るんだけどまだ津波が来ていなくて一見大丈夫そうな景色で、東京の都心で火災が何件か発生して、そこから東北の海沿いに映像が切り替わって津波が飲み込んでいくまでを見ている。意識したり習慣化しているわけではなく、無意識にこの時期になると見てしまう。

定期的に参加している関東大震災や空襲の慰霊法要でも、あの悲劇を風化させないようにという言葉が毎年聞こえる。毎年同じようなことばかり言っているなぁってボンヤリと思う。

でも最近身をもってわかったのは、忘れちゃいけないのに忘れてしまいそうになるんだ。で、その自分の中で起きる風化に対して忘れちゃいけないって自分の血が肉が骨が叫び声をあげる。思考より肉体や身体があの恐怖と危険を忘れるなってアラートを出してくる。

それでも頭や心が忘れていく。日常に押し流されていく。だからああやって毎年終戦記念日がきて、災害のあった日に慰霊法要をして、黙祷をするんだと思う。あの人や、あの日や、あの悲しみと恐怖を忘れたくないのに忘れそうになるから。なによりも自分に対して風化させたくないから言っているのだと思う。

毎回語られる言葉とは、毎回語らないといられない言葉で。とても切実なものなんだ。本当に無意味でただの惰性と予算消化のためだったら決して残らない。

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