推し、萌ゆ〜推しは燃えているか〜
ご機嫌よう、中馬祥子です。
今回は駐車場の話をしようと言っていましたが、この1週間で出会ってしまった作品のせいで話がズレにズレました。
芥川賞作品「推し、燃ゆ」宇佐美りん、漫画「ジェンダーレス男子に愛されています」ためこう。
この2作のおかげで私は最近、「推し」についてずっと考えています。推しって結局のところ何なの?
とにかく私は今「推しが欲しい」状態です。何を置いても推し。何かを推したい。推しを推すことで人間がこんなに輝けるなら。人生がこんなにキラキラするなら。
何かに夢中な人はやはり素敵です。
「風をつかまえた少年」
アマプラ依存の私が「おすすめしたい」と思った作品を独断と偏見でご紹介する新コーナー「名画カタログ」。
第3回です。
アフリカの貧しい国・マラウイでの実話をもとにした映画。
干ばつで飢饉がおこり、大ピンチになった際、学費が払えず学校にも行けていない14歳の少年が図書館の本で勉強して風力発電を知り、風車を作って村を救ったというお話。2001年の干ばつの時の話だそうですが、当時その村では雨が降らないと雨乞いをするような感じで、「風車を作ろう」「電力を起こそう」なんていう少年の言葉を親さえ信じていませんでした。
村は干ばつと飢饉で人々の心も荒み、ほぼパニック状態。政権への不満も高まって大人たちさえ冷静ではありません。その上、少年の家庭では父親が土地の相続から外れたり、政権への抗議運動に参加して家庭を顧みない状態。姉は大学に行きたいけど学費の問題でいけず、恋人から駆け落ちを持ちかけられ家族との板挟み状態。母親は理解を示しつつも父親を立てながら家族を食わせるのに必死。そんな状態でした。
加えて、風車を作ろうにも、その材料さえ満足に手に入らないという逆境of逆境の中で、少年ウィリアムはいかにして風をつかまえたのか。
この映画から伝わってくる「貧困」の困難さや苦しみももちろんですが、何より「信じるものが違うことによるすれ違い」の解決のし難さに私は心が締め付けられました。雨乞いを信じている父と、エネルギーを信じている息子。何とか切り盛りして家族を支えつつ、「いつか大学にいかせてあげるから」という母と、そんな母の言葉が信じられず、でも大学に行きたい娘。この家族は決してお互いを信じていないわけでも愛していないわけでもなく、むしろ愛しているからこそ難しいという狂おしさ。
これって、アフリカのマラウイだけの話でしょうか?
描かれているのはアフリカで少年が風車を作る話ですが、そこに横たわる問題とそれに向き合う姿は普遍的なものだったように思います。
芥川賞受賞作「推し、燃ゆ」
意外にも芥川賞作は時々読んでいる私なのですが、今回の「推し、燃ゆ」はちょっとやそっとじゃ通り過ぎることができない作品。
まず、「推し」というめちゃくちゃ現代的な概念がこうも鋭く胸に刺さるのかと。
「推しが結婚した〜もうやだ死にたい」「推しが〇〇した耐えられない学校休む」みたいなことをいう人の心の中ってどうなってんだろうって私は常々思ってました。どんなにそのアイドルが好きでも、どんなのそのアニメキャラを愛していても、そいつがどうこうなったからと言って私の日常は日常だし人生は続いていく、みたいな感覚で生きている私にはとても奇異な感覚です。
んな大袈裟な、の一言なのですが、それは私に「推し」がいないからに他なりません。もし、「推し」がいればもう少し寄り添ってあげられるのかしら。
いずれにせよ、「推し、燃ゆ」は私の心に深く爪痕を残しているわけです。まだ読んでない方はぜひ。心揺さぶられる作品でした。
次回予告
次回2月2日(火)配信です。
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HP: 夜分遅くに失礼します
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