HIPHOPとギャング抗争
ダンスについて語ったついでに、ブレイクダンスっていうのについてちょっと語っておいてみましょう。
ヒップホップ文化の始まり
まあヒップホップ全般って言った方がいいんでしょうかね。
1970年代ぐらいですかね。
アメリカの方で少年ギャングによる抗争がかなり激化した時期がありまして。
アメリカですので銃を所持した、完全な殺し合いなんですよ。抗争といっても。
日本の不良みたいなね、東京リベンジャーズみたいに殴り合うだけじゃなく、銃で撃ち合うっていうような抗争で。
これ殺し合いなので洒落にならんわけですよ。
マフィアの抗争と同じ、日本で言うか反社の方々の抗争とほぼ同じような様相を呈しているのを、少年たちが、10代の少年たちがやってるっていう状況だったようなんですね。
大変たくさんの人が銃で亡くなったというふうに聞いております。
こんなことばっかりやってちゃダメだということで、どういうふうにしたか。
ブラックスペイズとZulu Nation
私が知ってる一番代表的な人は、ニューヨークのブラックスペイズっていう少年ギャングのリーダーだった、後にミュージシャンになるアフリカバンバータっていう人。
その辞伝から話を持ってきてるんですけども。
後にZulu Nationって言って、マザーアフリカに帰れ!みたいなね、そういう運動も繰り広げた方なんですけど。
これはいわゆるマルコムXから続くブラック・イズ・ビューティフルとか、その辺の発想とだいたい同じというか、その流れを組んでるんだと思うんですけれども。
この抗争による殺し合いをなんとかやめなきゃいけないということで。
この戦いをやめさせるためにどうするか?っていうことを考えたときに、何かで戦争というか、殺し合いの代わりになる競うものをなんか作ろうとしたわけです。
そうしたときに出てきたのが当時、ニューヨークのハーレム、アッパーマンハッタンの方でやってたパーティーの中で使われている、いわゆるDJテクニックとかラップとか。
あるいはアートですね。社会から見たら落書きの類なんですけどね。言ってみればスプレーアートですね。
それからダンスっていうもので優劣を競い合えば、そういうことはなくなるし、そういうことで思い切りぶつかり合えばお互いの気持ちも打ち解けて抗争にまで発展するようなことが起こらないのではないか?ということで。
こういうもので、言ってみればその団結力というか表現力、いわゆる兵隊で言えば練度を上げることで、相手へアピールをして優劣を決めていこうじゃないかと。
そういう運動を繰り広げたように聞いております。
ダンスバトルが生まれた理由
ブレイクダンスとか、ヒップホップとか、ストリートアートとかっていうのは、平和のための一つの方法論というふうにも理解することもできるわけです。
ですからダンスバトルで相手を挑発アピールしているのは一体何なのか?っていうと。
元はそういうものだったっていう歴史を踏まえたら、「ああ、そういうことをあれはやっているのね。」とお分かりになるでしょう。
「どうしてあんなに相手を挑発してアピールしているのかな?」っていうふうに不思議に思われた方も結構いると思うんですよ。
ダンスって自慢するものというよりも、日本だとわきあいあいと盆踊りで楽しむっていうね。
ちょっと女の子をナンパする機会だったりとかしてね。
そういうほのぼのとした感じのものがダンスっていう風なイメージなんですけど。
だけど日本の祭りだっていろいろあるじゃないですか。
例えばケンカ神輿とかね、ケンカ山とかっていうようなぶつかり合うような男同士のぶつかり合いみたいなものはありますよね。
まあもちろんあれは神事ですけれども。
そういう形で、実際の拳銃の打ち合いみたいなリアルな抗争じゃなく、構想の代替ができるようにしたっていう。
そういうのがこのヒップホップっていう文化に繋がっていって、そういう精神でみんなやってるから、実際のバイオレンスとかガンショットに繋がりそうな件が多少は回避されたという話は話なんです。
でも依然としてあることはあるんですけどね。
一応、そういうヒップホップの歴史的経緯を知って、パリオリンピックのヒップホップっていう文化を見ると、ちょっと見方も変わるんじゃないでしょうか?ということをちょっと今日はお話しさせていただきました。
古い話ではございました。
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00:18 ヒップホップ文化の始まり
01:49 ブラックスペイズとZulu Nation
04:36 ダンスバトルが生まれた理由