見出し画像

「九州のアンダーグラウンド音楽シーン」を取り上げたBandcamp Daily記事への応答

先日”Tracing the Pulse of Kyushu’s Underground Music Scene”と題されたBandcamp Dailyの記事が発表され話題を呼びました。

私自身「九州のアンダーグラウンド音楽シーン」で活動してきた身で、記事の中でも主催イベントが取り上げられていたり、取り上げられたアーティストの大半が共に活動してきた方々ではあるものの、一読して記事の内容には強く違和感を覚えました。

※追記※
以下、記事への批判的な内容が含まれますが、著者とは今でも連絡を取り合い、様々な関係者とも連絡を取り合い、未来への展望など議論しています。

記事への反応として、この著者よく調べてるけど一体何者!?という声もかなり挙がっていました。著者のJames Gui氏は他にも日本の音楽シーンを取り上げた記事として東京や京都を過去に取材しています。

Bandcamp Dailyの中でも特にこのScene Reportは良記事が多く、私も沢山の事柄をこれらの記事から学びました。東京と京都に関しては、自らの活動領域に近しい距離にあり(九州アンダーグラウンド音楽シーンの記事内でもそのように地域を越境して活動されている方がチラホラと紹介されています)、記事が発表された当時から目を通していました。今となっては古い情報だと感じてしまう面も多々ありますが、それでもこの切り口はよく理解できるし、取り上げる範囲が限定的であることによって、ある時代におけるあるシーン、地域の特色というものを上手に描き出していたのではないかと思います。

※追記※
前提として、James Gui氏は日本のクラブシーンを紹介してきました。東京のテーマはコロナ禍から解放されつつあった状況下で勃発していたジャンルレスなアンダーグラウンドレイヴシーン。難しいテーマですが、扱う範囲を狭めることでシーンを切り取れていたと思います。京都のテーマはシーンの中で行われている実験と流動性。裸のラリーズの名前は出てくるものの、EP-4もDumb Typeもレイ・ハラカミも竹村延和も山本精一もアンチボも出てきませんが、日本で最も先進的かもしれない京都のクラブシーンの萌芽やその周辺を描けていたと思います。

“シーン”とは一体何でしょうね?私の意見を言わせてもらえば、それはあるとも言えるし、ないとも言えるし、見る人の立場によって、時の巡りによって、変化していくものではないかと思います。私が特に違和感を覚えたのは九州という地域の設定で、シーンの小ささに比べ、これはあまりに広すぎる。SNS上で発信したこのような違和感に対し、著者の方から「記事で取り上げた内容は九州アンダーグラウンドを包括するものではなく、各都市の相互に関連し合う繋がりに着目した」と返答をいただきました。しかし、私の目線からは、この繋がりが古い文脈に依存しているように見えますし(実際に記事への反応としてポジ/ネガ問わず懐古的な評価は多かった)、新しく起きている事柄の掘り起こしは全く充分でないように思います。東京や京都のシーンをあれだけ鮮烈に描けた人の目線から九州はこう見えてしまうのか、という落胆もありました。

記事の中身にざっくりと触れていくと、福岡の紹介のされ方が特に異質で、この文脈に依るならば、熊本の内容は大きく変えなければならなかったと思うし、各都市との繋がりも限定的。長崎と熊本の繋がりも、大分と熊本の繋がりも、長崎と大分の繋がりも然りで、パワーバランスがちぐはぐなことに。北と南で分断されがちなのも昔からの話で、記事の文脈に則った上でも、佐賀や鹿児島でシーンと呼べるような枠組みを切り取ることも可能だったはず。宮崎だけはごめん、正直に自分もよくわからない。個人的に注目しているアーティストはいる。あとは離島、、、

※追記※
私は福岡・長崎・大分・熊本でイベント企画やDJ活動を行ってきており、シーンのリサーチも日々行っていますが、長崎や大分の紹介がこうした形になるのは理解できる(クラブシーンの紹介は弱いです)一方で、熊本はそれに引張られてしまったし、その文脈に接続している福岡のシーンは無視されるか歪な形で紹介されています。私が言う”古い文脈”とはバンドシーンが築いてきたツアーのネットワークのことで、その土台を前提としていながら、バンドシーンが築いてきたものの多くは見逃されています。

ここで"アンビエントヤクザ"よろすずことShuta Hiraki氏の補足記事を紹介します。アーティスト活動と並行してライター活動も行っており、何より九州でこれだけ(扱うジャンルの静謐さに反し)熱量のある情報発信を行っている音楽リスナーはなかなか他にいません。

Shuta Hiraki氏の補足記事では、基本的に九州アンダーグラウンド音楽シーンの記事を踏襲しながら、まず自らが暮らす長崎シーンを深掘りし、氏の交流や経験を下に福岡や熊本のシーンにも目を向けています。長崎と熊本の繋がりが限定的、というのはここからも読み解けるだろうし、九州アンダーグラウンド音楽シーンで描かれたものとはまた少し違う福岡のシーンを垣間見ることもできます。私がここで描かれた福岡のシーンについて補足するならば、広義のJAZZにおける新旧様々な動きについて、もう少し取り上げても良かったかもしれないし、大分より層も歴史も厚い新旧のノイズシーンに着目しても良かったかもしれません。

最近発表された、完全に別角度から福岡音楽シーンを取り上げた記事も紹介しておきます。この記事の中では取り上げられていませんが、比較的新しいジャンルであるブレイクコアにすら、世代交代の波はあり、新世代も台頭してきている。いずれにせよ、シーンというのは、かように多面的であり、一方向から読み解くのがいかに難しいか、というのは言えると思います。九州アンダーグラウンド音楽シーンの記事中で基軸になっているバンドシーンからも、あれがない、これがない、といった定番の反応をよく見かけました。

現場レベルで言えば、Fukuoka Music Infoが発信しているイベント情報はここ数年の膨大なアーカイブであり、正に今現場で起きていることを追体験できる貴重なメディアであります。ここをパラパラと眺めているだけでも、前述の記事とは全く異なる福岡アンダーグラウンドが浮かび上がってくるはずです。

著者のJames Gui氏は九州でリサーチを行っている期間、福岡STAND-BOPにてDJ出演しています(トップ写真にこの時のフライヤー画像を引用しています)。本来ならここを起点にして、福岡シーンを深掘りしていくこともできたはず。しかし、著者はそれを行わなかった。著者の過去記事を見てみても、DJ活動を追ってみても(私はサンクラマニアなのでサンクラで存在を認知してた)、不自然なほどクラブカルチャーが無視されていることに、はっきり言えば大きな疑念を感じてしまいます。ここで一体彼が何を見て、何を感じていたのかは、ただただ想像するばかりですが。

※追記※
STAND-BOPのマネージャーの方とやり取りし、特に先方は事態を重く受け止めているわけではなく、気にもされていないようなので、この批判は取り下げても良いと考えています。ただ、このあたりのニュアンスを福岡のクラブシーン外にいる方と共有するのは難しい話かもしれませんが、STAND-BOPはここ数年で注目を集めているクラブで、記事の中では"ダブとヒップホップにフォーカスした"と軽く触れられているのみですが、新世代のDJやクラバー達にとって求心力のある場所になりつつある。また、福岡では正に記事の中で”インプロ、アンビエント、ノイズの分野で独自のサウンドと精神を育くんできた”と紹介された文脈上に位置付けできるクラブシーンも生まれています。これは私の知る限り、大分や熊本でも観測できる現象です。このあたりをJames Gui氏が見逃しているのは、やはりリサーチ不足だったと言わざるを得ないかと。

Shuta Hiraki氏は、今回紹介されたちくはぐな九州シーンを、"外部から「シーン」としてこの地域の蠢きを捉えようとした時に不可避的に生じる率直かつ誠実なもの"とポジティブに捉えていましたが、私の見解は異なります。アーティストの選出基準もある日のブッキングをそのまま採用してるケースも見受けられたし、著者のリサーチより狭い人間関係同士の政治が優先されたのではと感じてしまう側面もあります。もっと踏み込んで言えば、閉鎖的なシーンのあり方そのものが表出したのが今回の記事ではなかろうかと私は受け止めました。まあ、シーンのあり方なんて全然自由だと思うし、どうせ数年後にはまた違った景色が見えてくるでしょう。答え合わせはその時にでも。

最後に自分の宣伝を。ちょうど発売から1年ほど経ちました。今や化石のような存在であるミックスCD!!!データ販売なし、フィジカルオンリーでちょっとサポート欄は寂しいことになっていますが、少なくとも何名かは非公開で購入いただいているのも目視してます。皆さん、恥ずかしがらずに買ってやって下さい。全国各地でも絶賛販売中。録音は2年前ですが、内容は古びてません。拠点はバラバラながら、九州アンダーグラウンドにも縁深い方々に推薦コメント頂いておりますので、それだけでも軽く目を通して欲しいです。


いいなと思ったら応援しよう!