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「音楽一筋からの挑戦。26歳の社会人が大学受験で掴んだ新たな道」社会人の大学受験、その1

 今日は、社会人だった私がどのようにして大学受験に挑み、合格を掴んだのか、その体験をシェアしたいと思います。(2000年台初頭の話ですので、今の時代とは違いがあることを了承下さい。)

 私はもともとミュージシャンで、ドラマーとして活動していました。ファンクやロックを基調としたバンドで演奏し、音楽漬けの毎日を過ごしていたのです。(noteマガジン内のハリールの人生をご参照下さい。)

 しかし、人間関係のトラブルやバンドの解散を繰り返す中で、次第に「もっと広い世界で挑戦したい」という想いが芽生えました。

 きっかけは、周囲の変化でした。同じ楽器店で働いていた有名なレゲエアーティストが(現在はレジェンド級の方)、突然「ニューヨークに行く」と言い出し、実際に拠点を移してしまったのです。

 それまで、私は「日本のアーティストも海外で活躍する時代が来る」とラジオなどで語っていましたが(当時、時々、地元のラジオ番組に呼ばれてコメントしていました。)実際に行動に移す勇気がありませんでした。

 さらに、妹が大学の推薦でアメリカに留学することになり、アメリカで新たな生活を始めようとしていたタイミングもありました。

 身近な人たちが次々と海外に移っていくのを目の当たりにして、「自分も海外で生活できるのではないか」と思い始めたのが、私の挑戦の始まりでした。(海外生活への挑戦と大学受験との繋がりまでもう少し読み進めて下さい。)

 私は、「まず自分自身がアメリカに行き、現地の生活を実際に見てみるべきだ」と考えました。当時は、インターネットがまだ一般的ではなく、海外に行く方法を簡単に調べられる時代ではありませんでした。そこで、旅行代理店を訪ね、なんとかアメリカ行きのチケットを手に入れることができたのです。

 その当時から実際に体験すること、人生を変えるには環境も変えることの大切さを経験から知っていました。

 そうして、仲間や妹に影響されることによって実現した、短期間ですが、アメリカでの生活が始まりました。(これに関しては、また別の機会に書きたいと思います。)

 紆余曲折あったアメリカ生活ですが、楽器店仲間のレゲエアーティストに会いに、ニューヨークを訪れてみると、そこで暮らす日本人の中には、アルバイトをしながら生活している人もいれば、留学生として勉強しながら生活している人もいました。

 私は彼等と会う内に「学生として留学する方が、生活の基盤が整っていて、より良い経験が得られるのではないか」と感じました。そこで日本に帰国後、海外生活を実現するために「大学に行こう!」と決意したのです。

 大学の留学生に惹かれた理由には様々ありますが、アルバイト生活を続けている音楽仲間より、留学生達の方が、英語を流暢に話し、アメリカでの生活をスムーズに行なっているということに気づいたからです。

 当時の私は、アメリカに行ったものの英語が少ししか話せず、普通の生活にも苦労する有様でしたので、大学へと通い英語を流暢に話す、留学生達が輝いて見えました。

 ですので、先ずは受験勉強を通じて英語を理解できる様になり、先に述べた妹の経験もあり、日本の大学へと入り、そこから交換留学で海外の大学へ行けば良いと考えたのです。

 しかし、問題はそこからでした。高校時代はほとんど勉強をせず、音楽に没頭していた私は、どうやって大学に入るのか、どの大学を目指せば良いのかさえわかりませんでした。

 そんな時、テレビで広末涼子さんが早稲田大学に合格したニュースを目にし、「自分も行けるのではないか?」と勘違いしたのです。(当時、私は早稲田大学の受験がどれくらい難しいのか知らなかったのです!)しかし、その勘違いが、私にとって最初の具体的な目標となりました。

 勘違いでも具体的な大学名も含めた目標ができたのは大きな一歩でした。

 具体的な目標とする大学名が決まると、学生時代の仲間が受験の為に予備校に通っていたことを思い出しました。

 早速、私は、家の近所にある予備校のドアを叩きました。しかし、社会人の私を受け入れるコースは無いと言われ、門前払いされそうになりました。

 それでも諦めきれず、「どうしても大学に入って人生を変えたいんです!」と「熱意」を伝えたところ、なんとか入校が許可されました。(今考えると、ベルボトムにロン毛という渋カジを意識した恥ずかしい格好で予備校の担当者と会ったので全く説得力が無い感じでした。恥ずかしいです。)

 予備校の担当者との話でAO入試という社会人向けの小論文と面接のみで入学できる入試方法も分かりましたが、バンド以外になんの社会的な経験もない私はAO入試は諦めました。それ以上に受験勉強を通じて、自分の頭の中をレベルアップしたいという気持ちも強くありました。

 正直なところ、当時26歳の私は、高校出たての若い生徒たちと学ぶことに戸惑いを感じていました。紹介された予備校のコースもレベルの高くない地元の私立大学の受験を目指すコースでしたので「早稲田を目指す俺を馬鹿にするな!」と憤ってもいました。(この時点では、受験の厳しさを知らない無知な人間でした。)

ただ「自分の未来を変えたい」という熱い思いだけを胸に予備校生活を始めました。

 予備校生活が始まると、想像以上に大変な日々が待っていました。音楽一筋で過ごしてきた私にとって、勉強の仕方や集中の仕方もわからず、日々の課題をこなすこともできず、授業も何を言っているのかすらも分からない状態でした。

 また、地元のバンドや音楽業界では、それなりの地位と尊敬を得ていた私ですが、授業についていけず、一般社会では自分が「ただの役立たずだ」と認識させられたことは、私にとって非常に屈辱的な体験でした。

 周りの生徒たちはすでに基礎知識を持っている若者ばかりで、その中で自分が取り残されているように感じることがよくありました。

 実際に模擬試験を受けてみると、自分の偏差値は30台で、全く理解できないと感じたのです。そんな中でクラスメートに共感を求めても、普段はゲームばかりしている子どもっぽい彼らの方が、偏差値が高く、模試の成績も良かったことに打ちのめされました。

 劣等感と、講師からの蔑んだような視線を感じながら、予備校生活はとても辛いスタートでした。唯一の自分のアイデンティティは、最前列に座り続けることだけでした。何度も「いつになったら授業が理解できるようになるのだろうか?」と悩み、苦しんでいました。

 悩み、苦しみの中でも「人生を変えたい」という強い思いが、私を前に進ませる原動力となっていたのです。

 この様な、苦しい受験勉強のスタートの中で、次回は、具体的にどのように勉強したのか?どの様にモチベーションを継続したのか?を話したいと思います。

社会人の大学受験、その2へと続く。


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