「イーロン・マスクの軌跡:少年時代の試練とペンシルベニアでの選挙スピーチ」イーロン・マスクの人生。その1
人生には様々な道があり、それぞれが異なる選択と運命を辿ります。このシリーズでは、世界を変え続ける資産家たちの人生に焦点を当て、彼らの選択がいかに時代を形作ったのかを追っています。
今回は、米実業家であり、革新的な起業家として名を馳せたイーロン・マスク氏の歩みを紐解いていきます。
2024年10月17日、イーロン・マスク氏(53)は、アメリカ大統領選の行方を左右する激戦州ペンシルベニアで対話集会を開き、共和党のトランプ前大統領への支持を本格化させました。
マスク氏は、もし民主党政権が続けば治安の悪化と暴力が支配する未来が待ち受けると警告し、映画『マッドマックス』の荒廃した世界のようになると比喩しました。彼は、アメリカの未来のためにトランプ氏への投票を呼びかけ、ペンシルベニアが選挙の鍵を握ると力説しました。
また、マスク氏は、不法移民に対する民主党政権の国境管理を厳しく批判し、もし民主党が続けば不正が横行すると警鐘を鳴らしました。彼の発言は、これからのアメリカの行く末を見据えた強いメッセージを含んでいます。
イーロン・マスクという一人の男の決断と行動が、今アメリカの未来に影響を与えようとしています。彼の人生は、富と権力を超えて、人々の選択と運命を揺るがす力を秘めているのです。
【速報】テスラのCEOイーロン・マスクがペンシルベニアでトランプ応援スピーチ「バイデン・カマラは民主党の操り人形だ!」
そんな彼の人生を紐解くために、まずは幼少期に目を向けてみましょう。
参考とした書籍は『イーロン・マスク 未来を創る男 』アシュリー・バンス著 斉藤栄一郎訳です。イーロン・マスク研究では、ウォルター・アイザックソン著の『イーロン・マスク上下』も参考になります。
イーロン・マスクは1971年、南アフリカ北東部の都市プレトリアで生まれた。マスク家は裕福な家庭であり、家事や子どもたちの世話は多くの黒人のメイドたちが担っていた。家では盛大なパーティが頻繁に開かれ、その光景は裕福さと特権を象徴するものであった。
広大な自然が広がるアフリカの大地は、豊かな恵みを与え続けていたが、その一方で、イーロン・マスクの少年時代はアパルトヘイトという人種差別政策の激しい対立に揺れていた。
彼が5歳の誕生日を迎える頃、ソウェト蜂起が勃発した。ソウェト蜂起とは、1976年6月、アフリカーンス語を公用語として強制されたことに対する黒人学生たちの抗議運動であり、警察との衝突によって多くの命が失われ、南アフリカ全土に激震をもたらした事件である。
幼いながらもこの歴史的な出来事を目の当たりにし、マスクはアパルトヘイトの厳しい現実に直面した。彼の心の中に芽生えたのは、「人類の救済が必要だ」という強い思いだった。幼少期のこの経験が、後の彼の壮大なビジョンと挑戦の原点となり、宇宙探査やAIの未来、地球環境の問題に対する深い関心へと繋がっていくのである。
それは、南アフリカの激動の中で少年が見た一つの夢の始まりだった。マスクは、広大なアフリカの大地のように無限の可能性を信じ、世界を変えるための旅路を歩み始めるのだった。
イーロン・マスクの父親、エロル・マスクは成功したエンジニアで、プレトリア屈指の大豪邸を所有していた。しかし、イーロン・マスクが8歳の頃、両親は別居することとなる。母親は、父エロルの暴力的で支配的な性格に耐えられなくなり、離婚を決意したのだ。
離婚後、母親は子どもたちを連れて、南アフリカ東海岸のダーバンにある家族の別荘に移り住んだ。しかし、数年後、マスクは父親との同居を望んだ。
「父が孤独でかわいそうだと思った。母が子供全員を引き取った後、父は一人ぼっちだったから。それは不公平だって考えた」(『イーロン・マスク 未来を創る男 』アシュリー・バンス著 斉藤栄一郎訳 42頁)。
表面から見れば、父親との暮らしは豪勢なものに映った。エロル・マスクは、読書好きのイーロンのためにあらゆる本を買い与え、コンピューターをも与えていた。
また、子どもたちを連れて何度も海外旅行に出かけ、その旅行の範囲は南アフリカ国内に留まらず、世界各地に及んだ。父親は優秀なエンジニアであり、マスクに物理の基本を教え込み、仕事場でレンガ積みや配管、窓枠の取り付け、さらには電気配線まで実際に手を動かさせながら指導した。
エロルは、当時のイーロンについて次のように語っている。「イーロンは独立心旺盛で目的意識の強い子でした。南アフリカではコンピューターサイエンスなんて誰も知らなかったころから、大好きだったようです。(中略) 6歳以降、弟のキンバルと2人で南アフリカはもちろん、世界各地を旅していて、全大陸を制覇しています」(『イーロン・マスク 未来を創る男 』アシュリー・バンス著 斉藤栄一郎訳 44頁)。
しかし、これに対してイーロン・マスクはこう語っている。「まっとうな子供時代じゃなかった。幸せではなかった。父は、人の人生を惨めにする特技の持ち主。どんないい状況でもダメにしてしまう。幸せな男ではない」と、父親を否定する発言をしている。
資産面で豊かな家庭に育ち、幼少期から世界を旅し、様々な現実を見ていたイーロン・マスク。加えて父親からエンジニアとしての資質を受け継いだイーロン・マスクだったが、彼の目には、父親が与えてくれた豊かさ、その家庭が決して幸福なものには映っていませんでした。
そして、彼はこの恵まれた状況に対し、心の底から感謝することもできず、その代償として後に大きな試練を迎えることになります。
次回のは、イーロン・マスクがどのように試練に立ち向かい、人生の新たな局面を切り開いていったのかを追っていきます。どうぞお楽しみに。
イーロン・マスクの人生、その2へと続く。。。。