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あの日から10年、忘れられない光景。
僕に紹介記事のお仕事を依頼してくれた方々、申し訳ありません。きょうは3月11日。あの日のことを書かせてください。
僕の実家は福島県郡山市にあります。津波の被害はありませんでしたが、家が傾いてしまって建て替えを余儀なくされました。
忘れられない、忘れてはいけない光景を書き留めておこうと思います。
六本木からの帰り道
あの日、僕は六本木にいました。
制作会社で特番のプレビュー中。大きいというより、長い揺れを感じ、窓の外を見たんです。通りには人があふれていて、東北のほうで地震があったと、そんな声が聞こえてきました。
そこに、テレビ朝日からの安否確認。仕事がキャンセルとなり、僕は歩いて帰ることにしました。その間、家族とつながるまで電話をかけ続けました。
自宅までの2時間弱。東京から日常が徐々に消えていく様子は今でもはっきりと覚えています。
交差点で呼び込みを続けるカラオケ店のスタッフ。
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パチンコで確変中のおっちゃんと空箱を持ってくる店員。
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電話ボックスに並ぶ人々。
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電車が途中で止まり、ぞろぞろと降車する人々。
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レンタカーで帰ろうと殺到する帰宅難民たち。自転車を買う人もいたなあ。
実際に見た「震災の爪痕」
震災後はたびたび被災地への取材に同行しました。そこで見た光景、制作したVTRは忘れられません。
岩手県釜石市、街中のあちこちに集められた瓦礫。
津波で打ち上げられた魚のにおいが、なかなか消えなかったといいます。
2008年に企画で取り上げた「102歳のアスリート」下川原孝さんの家も流されてしまったことを知りました。陸上の投擲3種目で世界記録を持っていたスーパーおじいちゃんでした。
宮城県気仙沼市、夜の港に広がっていた漆黒。
全てが流されてしまって、何も見えないんです。闇、闇、闇。生中継をするためのライトを点けると、うっすらと衝撃の光景が見えました。
骨組みがあらわになった建物の2階に、自動車が突き刺さっている!
気仙沼に押し寄せた津波は大地を削り、海岸線を変えてしまったそうです。
宮城県東松島市、家族も畑も全てを流されてしまった農家。
墓前で手を合わせ、家族に祈りを捧げる姿を忘れられません。
ディレクターさんは当初、この場面を1分近く編集でつないできたんですが、流石に尺の都合で半分ほどにしました。それでも、僕が関わってきた中であんなにも長く「沈黙」を画見せした記憶はありません。
スポーツには力がある
震災から数週間が経った頃でしょうか。サッカー日本代表とJリーグ選抜による震災復興支援チャリティマッチが行われました。
この試合、視聴率はなんと22.5%(関東地方)!
劇的だったのは後半37分、三浦知良選手がゴールを決めたことでした。
キング・カズ、このとき44歳。いまの僕と同い年。解禁したカズダンスがとても力強ったので、僕は当時のブログにこう書きました。
勇気、希望、感動、元気、エトセトラ。たくさんのものを与えてくれた。
対戦した日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督も……。
「私はゴールを決められるのは嫌いです。しかし、ゴールを決められて嬉しかったのは、私のキャリアの中で初めてです」
なんて粋なコメントでしょう。
この頃、たくさんのアスリートが悩んでいたと思います。日本がこんな大変なときに競技なんてしている場合ではないと。
そんな中、人々はスポーツを求めました。そして2年後、東京2020の招致が決定。大会は復興の象徴になるはずだったのです。
あの日から10年、東京2020は微妙な存在になってしまっています。しかし、人々はまたスポーツを求めるのではないでしょうか。その日が来ることを、僕は信じています。
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