【連載】日本のストリートボール史 vol.2
- FAR EAST BALLERS誕生編 -
※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。
1994年、雑誌『HOOP』で紹介されていたCoolio「It Takes A Thief」が最初に買ったHip HopのCD。ビデオ『NBA JAM SESSION』で使われていたBobby Brown「Drop It On The One」の収録されたアルバムを買うつもりが、間違えて「Dance!...Ya Know It!」を買ってしまい、意図せずNew Jack Swingにも出会っていた中学時代。
高校に行くと隣のクラスにいたDJに感化され、バスケとDJの二本立てへ。BUDDHA BRANDを始めとした日本語ラップの盛り上がりもあり、同い年にラッパーが大勢いた賑やかな学校内。「気持ちがレイムじゃモノホンプレイヤーになれねえ」のレイムってどういう意味?と休み時間の廊下でクリスに質問をしたりしていましたね。
そんな高校生活、自然な流れでクリスも遊びでラップをやるようになっていました。
そして大学へ進むと、クリスは青山学院大学のバスケ部で凄まじい日々を。自分は専修大学でDJに打ち込みながら気ままな人生の夏休みを。
時々会っては町田などでビリヤードをやっていましたが、今後のストリートボールの進展も気になる2002年11月のある日、相模原駅近くの深夜のビリヤード場でクリスがキューを構えながら驚きの発言をしました。
“avexからMASTERKEYさんと一緒にCDを出すことになったよ”
“は?”
“あと来年始まるDEAR BOYSのアニメで曲が使われる予定”
“どういうこと?”
にわかには信じがたい話でしたが、その証拠として顔の前に突き出してきた携帯電話の画面には、確かに「DJ MASTERKEY」の名前と共に11桁の番号が表示されていたのでした。
2002年12月1日。“最後だから観に来て”と言われ、高校バスケ部で同じだった友人と連れ立って代々木第二へ。インカレの最終日、クリスの青学での最後の試合です。不義理なことに大学バスケをちゃんと観るのはこの時が初めてでした。
席に着いて、ふと左上の方向を見ると、すぐそこでMASTERKEYさんとO-KENさんがすでに観戦中。あのビリヤード場での話は本当なんだと改めて実感しましたね。
クリスが奮闘するも青学は準決で負けてしまいましたが、気付けば我が専修大学が見事優勝。しかも何やら小さくてふてぶてしい選手が終始大暴れしていて、MVPを獲得していました。
“あんなとんでもない奴が同じとこ通ってるんだな”と思いつつ、クリスにお疲れ様でしたと告げ、宇田川町のレコード屋へ向かったのでした。
それから1週間ほど経って、青学の青山キャンパスに呼び出されました。DEAR BOYS用に作った曲をチェックしてもらいたいとのこと。
キングギドラ「最終兵器」を聴きながら正門をくぐり、1号館の前で合流。その後誰もいない太陽光だけ差し込む広い教室へ。2人でひとつのイヤホンでCDプレイヤーから流れるビートを聴きながら、クリスがその場でラップ。もし他人に見られたら、あまりに奇妙な光景ですね。
一通り聴き終わり、思いつく限りのアドバイスをして、“もう少し練ればいけるんじゃん”と無責任に太鼓判を押しました。そして帰ろうとすると、
”エージが来てるから紹介するよ”
奇しくも高校のクリスの時と同じく、キャンパス内のトレーニング施設でエージと初対面。ちょうどトレーニングを終えたところでした。
カリフォルニアの大学に留学してて、AND1のイベントにも参加したことがあり、ボーラー名はAJ、そんな紹介をされハンドシェイクをすると、
"渋谷で3つパフォーマンスが決まってるから、すぐに練習を始めたい”
しかも最初の舞台は来週末。渋谷で行われるファッションブランド「LIZ LISA」主催イベントでのAJのソロパフォーマンスです。
そして1月にはCLUB ASIAで行われるイベント、そして2月にはSHIBUYA-AXでの山嵐のツアーファイナルへの出演。この2つは「チーム」としてしっかりとしたショーケースをしたいと伝えられ、怒涛の展開に戸惑いつつ、こう聞きました。
”チームって言ったって今から間に合うの?”
“大丈夫。名前も決まった”
“それは?”
その時、後に若干の改名が施されるあの名を初めて耳にしたのでした。
つづく>
<前回