【連載】日本のストリートボール史 vol.7

- 新たな仲間とライバル達の登場編 -
※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。

2003年6月9日の月曜日。FAR EAST BALLERS第一回トライアウトの当日です。脳裏に浮かぶのは、無残に踏み付けられたあの日のチラシ。なので本当に応募があるのか不安でしたが、蓋を開けてみればHotmailには27名から申込みが届いていました。関東圏だけでなく、愛知や鹿児島からも応募がありましたね。

そこに書いてあったプロフィールや意気込みをまとめたリストをせっせと作成して、いざ東高円寺へ。事前にキャンセルもあったので、最終参加予定者は20名。さらに、我々のトライアウトならDJもいるだろうという話になり、機材一式も車に積んで出発しました。

ある意味、初めての主催イベントなので、浮足立つクルー達。体育館の使用開始時間18:30の2時間前には全員集まって、COHEYの家や近くの公園のベンチでそわそわしていました。

トライアウトの時間は19:00~21:00で、参加者は18:30に丸ノ内線「東高円寺駅」に集合。こちらは参加者が到着するまでの時間に準備をドタバタと済ませて、澄ました顔で余裕たっぷりな雰囲気にて迎え入れる。そんな段取りでした。

18:20くらいにYONEが集合場所へ向かい、残りは使用時間になるまで門の外で前のめりに待機。

そして若干フライング気味で体育館に入り、椅子を用意したり、DJブースのセッティングをしたり、肝心の審査内容の流れを確認したり大わらわ。そんなに急いでいたのは、参加者以外にも、関係各所に見学や審査の助言に来てもらうことになっていたからですね。

以前、“週末だけ活動するんじゃダメなの?”という最適解を投げかけて下さった皆様にもお越し頂き、映像クルー「MIDDLE OF LIFE FILMS」も集合。さらに5厘刈りでガタイのいい高身長の人物が現れ、その強面な風貌に何者なんだと動揺していると、AJが

“凛太郎さん。NIKEの人だよ”

と、この日はFAR EAST BALLERSがNIKE JAPANと初めて交わる場面にもなっていたのでした。

”こっちは集まってるんですけど、もう行っていいですか?”
携帯電話のYONEにOKを出し、

”もう向かうってよ!”

と、サプライズパーティーでもやるかの如くキャッキャと動き回っていましたが、数分後に扉が開いて緊張した参加者が入ってきた時には、みんなどっしりと構えて澄まし顔。計画通りです。

ドタキャンもあり結局17人の参加者となりましたが、その中に1名、メールでの事前申し込みのなかった人物が混じっていました。それはMATSUとHIDEの地元の先輩であり、2人経由でトライアウト参加の申し出のあった男、KUNIOです。

”クニオさん、ちょっとアレなんですけど、バスケ凄く上手いので”

なにやら「実家がわりとイカツイ」という触れ込みのもと、パンチパーマの彼だけはベンツで体育館前に登場。いやいや駐めるとこないよと、近くのパーキングに駐車してもらい、駅前の集合場所にもちゃんと行ってもらいました。

トライアウトの内容は、3メン、スターシューティング、3on3、21、5on5。そして最後には、DJの音楽に合わせて30秒間の自己アピールタイムも実施。ドリブルをする者、フリースタイルをする者、3ポイントを打つ者、ダンクにトライする者と様々でしたね。

最終的な結果は、マツヒデの推薦通りパンチパーマのKUNIOが正メンバーとして見事合格。

そして6名が練習生として合格となり、その中にはまだ“その他大勢”の一人だったTANAも混じっていました。

今回のトライアウトにより、一気にクルーとしての厚みが増し、練習も賑やかに。それと同じくして、出場、出演、主催にと動きも活発化していきます。

さらに翌月には、いよいよCHRISのCDデビューも控えているのでした。

つづく


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