【連載】日本のストリートボール史 vol.14

- 現在へと繋がるイベント乱発編 -
※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。

東京と大阪で計5日間行われた「NIKE FREESTYLE CLASH」。我々参加メンバーにはNIKE JAPAN様より“日当”が出るわけですが、それは一旦スタッフがまとめて受け取り、正確な額を各人へ。

イベント後の最初の東高円寺練習の最中、体育館のステージ袖、あずき色の緞帳の陰で、札束となった全員分のギャランティーを封筒に小分けしていました。あれだけの現金を手にしたのは、後にも先にもこの時のみでしたが、“俺たちストリートボールで儲けてる”という実感がしましたね。受け取った時のメンバーはみんな満面の笑みを浮かべていました。

あっという間に2月に入り、第3回目のトライアウトを実施。その参加者の中に、FREESTYLE CLASHの会場で異彩を放ち、控室で話題になっていた人物を2名発見します。

この日から我々の活動に合流することになるのがMAMUSHIとKYOSHIです。他にも西村和史など、骨のある参加者が多く、一気に7名が練習生として加わりました。

そしてこの頃、練習生扱いだったTANAがついに正メンバーへ昇格。コート上でのプレーはまだまだ他のメンバーには及びませんでしたが、ステージ上でのパフォーマンスでは既にFEBに不可欠な存在となっていました。

続いて、日本のストリートボールが長きに渡り様々なシチュエーションでお世話になる「新木場STUDIO COAST」でのパフォーマンスを初めて経験。前日に行われたリハーサルでは、あの豪華な控室にて束の間の大物気分を味わいましたね。

これがどんな内容のイベントだったのか記録がなく詳細不明ながら、メインステージでのパフォーマンスはもちろん、野外でオープンの大会が開催され自分がDJしたり、メインフロアにコートを作ってエキシビションも行われ、MCはAKIさん、そしてYOHEIがダンクを決めるなど、FEBクルーがイベント全体を大いに盛り上げたのでした。

2月も後半になると、チーム内であれだけ盛り上がっていたFREESTYLEのブームも落ち着き、今後訪れる試合に向けた「バスケットボールの実力向上」を目的として、小田原で合宿を実施。

この合宿のためにお揃いのセットアップまで作り、新宿駅からロマンスカーで一路城下町へ向かったのでした。

2004年4月。

“バスケも上手いしイケメンなんだよ”

AJによるそんな事前の触れ込みのもと、K-TAが練習に初参加。彼だけなぜかスタッフとの面談を会議室でしたりしましたが、その誠実な人柄、そして前評判通りの実力とイケメンっぷりで、正メンバーとして新加入。

さらに、“T”こと岡田卓也さんを正式にコーチとして迎え、毎回の練習の質は圧倒的に向上。東京に住み始めたMAXYも頻繁に参加してくれたりと、練習は大いに賑わっていましたね。

「STREET TOUR 2003 in OKINAWA」、「ALL STAR WEEKEND “夏!バスケ祭り”」、「HOOP IN THE HOOD」と「NIKE BATTLE GROUND ASIA」、そして「NIKE FREESTYLE CLASH」に新木場STUDIO COAST。
2003年後半からここまでで、現在に通じるような形式・規模のイベントを次々と経験。

黎明期の日本のストリートボールシーンに関わる人々、我々FAR EAST BALLERSというクルーも、イベントがどう作られていくのかや、人前でプレーするには何を考えるべきなのかを大いに学びました。ストリートボールでお金を稼ぐことが如何に大変で、でも如何に楽しい事なのかも。

そして東京と大阪で蒔かれた“FREESTYLE BASKETBALLの種”も、これから急速に全国各地で芽を出していきます。

ストリートボーラーのコート外での遊びの一部であったFREESTYLEが、それだけでシーンとして発展していくとは、この時点では想像もしていませんでしたね。

そんな日々の裏で、FEBはとあるオファーを頂き、それに向けたパフォーマンス制作にも取り組んでいました。

これまで0人から数百人の観客しか経験したことのなかった我々にとって、次元の違う規模のステージが間もなくやって来ます。
現在へと繋がるイベント乱発編[完]

つづく

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