【連載】日本のストリートボール史 vol.10

- 現在へと繋がるイベント乱発編 -
※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。

新たな仲間、厄介なライバルも現れ、若造集団も俄然勢い付いた2003年夏。これまでとは規模の違うイベントが次々開催されます。

まず最初に訪れたのは、ATSUSHIやJUNを釣り上げた誘い文句“タダで沖縄行けるよ”の公約を守り、8月4~10日の期間に自らで決行した「STREET TOUR 2003 in OKINAWA」。

今振り返ればあまりに奇跡的だったと言えますが、各所でみせたAJの巧みなプレゼン力、KENSAKUの東京と地元沖縄を股に掛けた八面六臂の大活躍、そしてNIKE JAPAN 凛太郎さんのご尽力により、見事実現へと辿り着きました。

沖縄では完全無名のストリートボールクルーが、勝手に県内各所でバスケをして回り、それを映像に撮り、DVDとして発売するという、無謀なチャレンジの始まりです。

ツアーのメンバーは、AJ、COHEY、CHRIS、ATSUSHI、JUN、KUNIO、そしてタダで沖縄戦法により、アメリカから帰ってきていたJ-WALKこと仲西淳も合流。J-WALKの加入でストリートボールの華やかな要素が一気に増大しましたね。

そして今回もビッグマンの助太刀としてBIG WEST(大西君)にも参加してもらい、ゲームでプレーする選手が計8名。パフォーマンス担当としてMATSUとHIDE。さらにTANAを含む練習生も4名が来てくれ、かなりの大所帯での沖縄初上陸となりました。

神NIKE JAPAN様により、選手8名にはヨットハーバーの敷地内に建てられたプール付きのゲストハウスが用意されており、初日に到着すると、リビングにツアー中に着用する全員分のウェアが特大段ボールに詰められ配達済み。

その中には、出発の数日前に通称「エンプ」と呼ばれている、エンプロイ(従業員)や関係者、契約アスリート向けのお店に行き、メンバーそれぞれが選んだプロダクトもありました。


外観からは中がお店だとは思えない、秘密空間のようなエンプにドキドキしながら入店し、受付で挙動不審となる我々。無事受付完了後に凛太郎さんが言い放った言葉は衝撃的でした。

「上(ヘアバンド)から下(シューズ)まで2着ずつね」

そんな夢のような状況があるのかと、カゴを持って一斉に店内に散らばるネズミたち。同行していたKENSAKU、YONE、そして自分もモジモジしながら「自分たちはどんな感じですかね」と恐る恐る聞くと、「いいよ」となり、同じくネズミと化したのでした。

目の前には沖縄の海。外界から遮断された一軒家。ウェアも潤沢にある。ここから数日間バスケだけやればいい。

後にも先にもこれ以上の天国を味わったことはないであろう8人の男達。とても真面目で紳士な大西君は除いて、残りの連中の有頂天ぶりは凄まじいレベルでしたね。

商業施設の広場でFEB同士のエキシビションを行った際は、ゲームが終わってユニフォーム姿そのままで、ゲーム中に目を付けた女性の観客へ向かっていき、即ナンパ。スタッフの制止が間に合わない速度で、至る所で始まっていました。しかし幸運なことに全て撃沈。

渡航費用や物品など、NIKE JAPANを始めとする様々な企業から多大なるご支援を頂きましたが、現場でイベントを制作するのは全て手弁当です。ゴールの搬送・組み立て、ライン引き、テント設置に音響周りまで、思い通りに進まず何度も途方に暮れながら、それでもツアー中に3回のイベントを開催。ここで培った現場力は今後ずっと活かされることとなります。

そして当時は、日本のストリートボール界に「MC」という存在がいなかったので、自分がDJをやりながら実況をしていましたが、今振り返ればよくやっていたなと思いますね。あまりに無茶な話です。

そしてクリニックやCHRISのLIVEもしっかり行いつつ、こんなことやクラブで外国人同士の流血大乱闘に巻き込まれるなどありましたが、初めてのツアーをなんとか完走。この経験はクルー全員にとって本当に自信となりましたね。

そしていよいよ東京へ帰る際、疲労困憊極まるKENSAKUが運転するハイエースが、国際通りでタクシーと接触。飛行機の時間が迫っており、万事休すかと思った時にYONEが何かに気付き叫びました。

「モノレール開通してます!」

偶然にも運行開始の初日だった「ゆいレール」に飛び乗って、無事フライトに間に合ったのでした。

それから数か月後、MIDDLE OF LIFE FILMSの編集により、DVD「THE DYNASTY Vol.1」を発売。美大に通っていたTANAが、知り合いからデザインソフトを借りてきてくれて、訳も分からず初めてのジャケットデザインをしましたね。

その場にいた誰もが、「人生で一番盛り上がった時」と断言する全イベント終了後の打ち上げ。周りに民家がないのをいい事に、ゲストハウスのテラスにて爆音で音楽をかけてエンドレスに騒ぎ続けました。まさに全てから解放された状態でしたね。

クルーが一丸となって挑んだ日本初のストリートボールツアー。それを終えた達成感による狂乱の様子は以下となります。

これが終わった時点で8月10日。日本のストリートボール最初の夏はまだまだこれからです。

つづく

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