【連載】日本のストリートボール史 vol.5

- 新たな仲間とライバル達の登場編 -
※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。

“週末だけ活動するんじゃダメなの?”

2003年4月のある平日の昼下がり、六本木のスターバックスに呼び出されたAJとKENSAKUと自分は、見識ある大人の方々にこう諭されていました。至極ごもっともな御言葉です。

“そうじゃないんです、ストリートでプロになるんです”

これこそ若気の至りだな、そう我々を眺めながら、愛のある諦めをした泉さんはこう言って下さいました。

”じゃあどんなのがいいの?”

そうして現在のように素人では作る術のなかった、立派なウェブサイトが完全なるご厚意で出来上がりました。

”出世払いだから”

ロゴを作成して頂いた林さんは、いまお会いしてもこう言って、何も受け取ろうとはしてくれません。

到底無理な挑戦。そう思い心配しながらも、小僧達の夢物語を面白がってくれた大人達が、今の日本のストリートボールの礎となっています。

2003年5月。日本の一般のバスケ選手達に対して、初めて”生のストリートボール”が披露されたと言えるイベントが到来します。東京ビッグサイトで行われた「毎日新聞3on3大会」です。

5月3~5日の3日間、数十チームによって競われるこの大会にて、FAR EAST BALLERS(FEB)はエキシビションゲームで登場。AJがアメリカで所属していた「GYMRATS」のリーダーである岡田卓也さんなど数名が助っ人として参加してくれました。

3日間の内の後ろの2日間にて、1日目はボールパフォーマンスとエンタメ要素も散りばめたFEB同士のエキシビション、そして2日目は完全ガチンコのエキシビションのみ。その対戦相手こそが、あの横浜「TEAM-S」です。

1990年代の"ストバス時代”から脈々と活躍してきたS、2000年代からの新たな潮流”ストリートボール”を体現しようとするFEB。この両クルーの長きに渡るライバル関係はここで生まれたのでした。

結果的にこの大会には、今後様々なかたちでシーンに合流する登場人物達が出場していましたが、FEBにとっては格好の"いけす”です。目下の課題、新たなメンバーを釣り上げるための広報活動の場と捉えていました。

この大会で告知できるように、第一回目となるトライアウトの日程を設定。場所はいつもの東高円寺。自分が卒論以来に開いたWordで拙いチラシを作成し、近所のampmで大量にコピー。当日のゲーム後に手分けしてチラシを配りました。

初の人前での試合でただならぬ気合いの入ったFEB、対するTEAM-Sの盤石の試合巧者ぶりが相まって、ゲームはまさに大盛況。チラシも全て配布して、かなりの手応えを感じた我々は、”いやいや上出来でしょ”と話していました。そうして大会も終わり、参加者が帰った広い会場を歩いていると、現実を思い知らされます。

フロアに無数に捨てられたチラシ達。バッシュの足跡の付いたそれらを拾いながらAJに言いました。

”ほんとにひと来るのかよ”

早速不安なトライアウトは6月9日。まだひと月以上先のこと。しかしそれまでの間に、発掘、帰国、そそのかし、殴り込み、そんな色々な経路から、まるで王道少年マンガの如く新キャラクターの登場が続いていくことになります。

その中でもやはり一番インパクトがあったのは、AJとCOHEYの出身地である福岡から「この俺を入れてみろ」と上京してきた、あの男ですね。 

つづく

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