【連載】日本のストリートボール史 vol.18

- FAR EAST BALLERS奮闘編 -
※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。

JORDAN COURTのオープニングイベント&打ち上げを機に、一気に距離の縮まったFEBと愛しのKOMPOSITION。

マンションに囲まれた閑静な場所にあることもあり、蓋を開けてみれば一筋縄ではいかない運用となったJORDAN COURTの管理を一手に引き受けたコンポジは、毎日の鍵の開け閉めやコート周辺の環境整備など、本当に有難い存在でした。

そのお陰もあり、横濱TEAM-Sや当時の“大阪ストリート最強”として乗り込んできた新撰組とのエキシビションゲームも実施。とにかく試合を欲していたFEBにとってはどれも貴重な機会です。さらに贅沢なことに、コートを占有する時間も設定してもらい、“公開練習”などと銘打ってトレーニングにも励みましたね。夢のような環境でした。

この頃から、円山町CLUBエリアに程近いマンション「ノア道玄坂」の一室にあったコンポジオフィスのデスクの1つを、FEBで使用させてもらえる運びとなりました。憧れの“事務所”ができたわけです。

それが嬉しくて、用もないのにバイト終わりに寄っていましたが、集合場所やミーティングに使わせてもらったりと、徐々にFEBクルーの出入りも増えていきます。そこでコンポジ側のスタッフとして出会うことになるのが、後々ALLDAYやAKTRのデザインをするカトチン、AKTR運営会社「千日商店株式会社」の代表取締役となる新田さんなどです。

とは言え、バスケ、ましてやストリートボールなんかに関心があるわけもなく、この頃は挨拶を交わす程度。何かを一緒に行なう段階ではありませんでしたね。

一方、FEBクルーの中で一番何事にも積極的だったMAMUSHIが、JORDAN COURT管理のお手伝いをするようになり、コンポジの活動にも参加。雨の日も風の日も鍵の開け閉めを行う業務に取り組んでいました。騒音による近隣住民からの苦情、ゴミ問題、利用時間外にフェンスをよじ登って侵入する連中への対策など、1つのコートを守ることがどれだけ大変なのか、コンポジの奔走ぶりを見て我々も痛感。

そしてある日のエキシビションゲームでMAMUSHIがMCに抜擢(無茶ぶり)され、ついにMCデビューを果たします。もちろん“人前でしゃべる”なんて慣れておらず、観客をそのまま直視するのもしんどいので、サングラスをかけてマイクを握ったのが、彼のトレードマークの始まりだと記憶しています。

当然まだまだつたないながらも、一生懸命に取り組んでくれました。

その記念すべきMCデビューは2004年の秋頃ですが、夏にはストリートボーラーとしてのMAMUSHIの大活躍がありました。

まずは7月31日・8月1日に横浜赤レンガ倉庫で行われた「JAPAN HOOP IT UP 2004」。100チームを越えるチームが出場するかなり大規模な大会です。

ライバル達も軒並み出場。そして我々からは、JUNをリーダーとするFEBの別働チームとして結成された「AJ TOKYO」が参戦。そのメンバーはJUN、K-TA、TANA、MAMUSHI。
ふざけたチーム名はもちろんAJが考えました。

自分は31日の朝からチームに帯同していましたが、同日深夜に大阪でCHRISのライブがあったので、途中で大阪へ移動。翌日は寝ずにそのまま横浜へ戻り、急遽DJもやらしてもらいましたね。

決勝トーナメントの一回戦で宿敵TEAM-Sにからくも勝利し、それで勢い付いたAJ TOKYOは順調に決勝戦へ。相手は同じく宿敵の勉族です。直射日光降り注ぐ炎天下のコートで、再延長までもつれ込んだゲームはまさに死闘。過酷すぎる戦いによって、会場は異様な空気に包まれていましたね。

そして最終的に競り勝ったAJ TOKYO。4人全員が死力を尽くして捥ぎ取った感動の優勝でした。

その数日後、我々は千葉の成田市へ。ついに完成したCHRISの1stフルアルバム、タイトルは「暁の明星」。そこからのリードソング「HEATWAVE」のMV撮影が成田のスクラップ工場で行われました。MAMUSHIもFEBクルーとして参加です。

セッティング1時間、撮影5分、セッティング1時間、そんなサイクルの長丁場な1日。撮影のラストには、DJ MASTERKEYさん率いるTHE LIFE ENTERTAINMENT.の方々とCHRISを囲んでバウンスしたのでした。

その週末には、昨年に引き続き「ALL STAR WEEKEND 2004 “夏!バスケ祭り”」が行われました。会場は新木場STUDIO COAST。

初来日が11月に迫っていた「AND1 MIXTAPE TOUR」のJAPAN TEAM最終選考をはじめ、様々なコンテンツがありましたが、自分は「FREESTYLE BATTLE 東京NO.1 決定戦」の制作を担当。慣れない作業で完徹にて当日を迎えましたね。

そしてこのイベントの目玉は前回同様「1on1 東京NO.1 決定戦」。
残念ながら画像は残っていませんが、その決勝の舞台に立った2人が、JUNとMAMUSHIです。

当時、MAMUSHIはJUNが中心となって行っていた練習、通称「岩佐塾」に参加しており、云わば師弟対決となった決勝戦。接戦を制したのはやはりJUNでしたが、MAMUSHIの気迫あふれるプレーに会場は大いに盛り上がりましたね。
試合後のファイナリストインタビューで思わず涙したMAMUSHIに、惜しみない拍手が送られたのでした。

そんなMAMUSHI、そしてFEBの夏はまだまだ終わりません。

これまでの努力と功績により、MAMUSHIもイベント出場メンバーの1人として参加することになる「STREET TOUR in OKINAWA」が昨年に続いて決行されます。

そこには余りに豊かな経験と、現在へと繋がる素晴らしい出会いが待っているのでした。

つづく

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