【連載】日本のストリートボール史 vol.16
- FAR EAST BALLERS奮闘編 -
※個人の記憶を奔放に綴った内容ですので、事実と異なる点もきっとありますがご容赦下さい。
代々木第一体育館「MTV THE SUPER DRY LIVE」出演の打ち上げは夜通し続き、気付けば迎えた2004年5月23日。我々が泥のように眠っているその日中、「MICHAEL JORDAN ASIA TOUR 2004」の目的地のひとつとして、渋谷にマイケル・ジョーダンがやって来ました。
代々木公園を筆頭にHOOP寄贈を全国で行っていたNIKE JAPANの活動の一環でもあり、ジョーダンが来日した記念として、この日、美竹公園に「JORDAN COURT」が誕生。
ジョーダンによるテープカットや手形の作成が行われたのでした。
そして都内某所で関係者やVIP向けのJORDAN BRANDによる非公開イベントも行われ、JUNがモデルに抜擢され出演。AJも眠い目をこすって駆け付けていました。
翌日の東高円寺練習では、目の前にジョーダンがいるという感動の光景について、みんなで根掘り葉掘り聞きましたね。
まさかのモデルデビューを果たしたJUNは、趣味でずっとDJをしており、この週の金曜にCLUB ASIAで行われるイベントで回すとのこと。
ならばと意気揚々とチーム総出で参戦です。
一週前と同様に始発まで盛り上がったわけですが、夜が明けて昼になれば大事なお仕事が待っていました。そしてその場所で、今後のシーンにとって最重要となる出会いが待っているのでした。
HOOP寄贈同様、NIKE JAPANが社会貢献のために行なっていた子供達へのスポーツ推進活動。FEBはバスケ部門を担当させて頂き、当時は都内の色々な施設でクリニックを行っていました。
その流れでこの日、渋谷区のコミュニティ施設で行われる「せせらぎまつり」にも出動。朝帰りだったAJとTANAと自分、そしてKYOSHIを含む練習生数名という布陣にて、ちびっ子達の前に登場です。
AJ主導、TANAがそのパートナー、練習生達がサポートといった体制でクリニックを行い、AJお得意のハイテンション&ハイトーンボイスによるMCで会場は終始笑顔に包まれたまま終了。任務完了です。
帰りの車の中で、AJが“あいつはいいな”とTANAの働きを褒めていたのを覚えています。なのでその後のクリニックでは、常にTANAがパートナー役を務めることとなりました。
このクリニック活動、当初こそNIKEの方が帯同していましたが、それなりに信頼を獲得したのか、途中からはFEBのみで訪問するかたちになっていました。
この日の「せせらぎまつり」も我々だけでノソノソと会場へ到着。そこで出迎えてくれたのが、渋谷でアートやスポーツのイベントを企画するNPO法人「KOMPOSITION (コンポジ)」の方々。
そして手際よく控室や現場にアテンドをしてくれていたのが、同法人の専務理事でもあった秋葉さんだったのでした。
とは言えこの時点では、我々にしてみれば、数あるクリニックの会場でお世話になるスタッフさんの1人くらいの認識でした。
しかしどうやら秋葉さん、そしてコンポジ側には、FEBとの出会いに特別な感覚があったと後々知ることとなります。
FAR EAST BALLERSとKOMPOSITION。
その後の日本のストリートボール発展に奮闘するこの2団体が再会するのは、その年の夏。
再会の場所は、まるでバスケの神様の思し召しかのように、あの美竹公園「JORDAN COURT」なのでした。
つづく>
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