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【 DJ Michiru 】という人について

初めましての方も、私を知っていてくださる方も
読んでくれてありがとうございます。
こちらでは、DJ Michiru ( 宮本 侑希 )とはどんな人間なのか?
について、少し詳しくご紹介しています。

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・16歳からクラブミュージックに出会う
 → 国内のフェステバルで遊び歩く
・22歳でDJとイベント主催を始める。
 → Dears Music Internationalで海外のアーティストを中心に呼んだイベントを屋内から野外フェスまで数多く開催する。
(主なDJ出演実績)
→ sunshine festival / Re:birth festival / タイのコパンガン島のフルムーンやベトナムでプレイを経験
・27歳でDJ Tsuyoshiがプロデュースする日本国内で始めてのDJ Schoolを開講した(株式会社 Oplanning )DJ School東京校 IDPSで常任講師を務める。
・30歳からDJ School IDPSにて常任講師と運営側に就任。
その間 0=zero productionに所属し第一線で活動するイベントをサポート。
→ DJ Schoolでは約300人の生徒を輩出
・2021年2月 35歳で退職する。その後1年間休養期間に入り準備をする。
 → 本来の自分に還る “ リターンスクール ” に入学し6ヶ月間意識改革に挑む
 → その後、デジタル実践塾に入り6ヶ月間のコンサルティングを受講中でマーケティングを学ぶ
 → その間楽曲制作を本格的にスタートする
・36歳 現在 2022年1月に個人事業主として自分の使命を果たすべく
新たに “ DJ School Dig Oneself ” を開講する。

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私の人生はごくごく一般的な家庭に生まれて
思春期を過ごしてきたのですが
振り返ると幼い頃から“楽しい”ことが大好きな人間だったと感じています。

学生時代の全てをかけていたバスケットボール部の部活では
みんなの中心の存在として、誰かを励ましたり導いたり、教えたりする事が
何も教えられなくても得意な方でした。
そして、たくさんの仲間に恵まれていつもよく笑って順風満帆に過ごしていた記憶があります。

この頃から、私は変わらず【 誰かを応援すること、楽しませること 】
を自然とやっていた様に感じます。

当時16歳からクラブミュージックを聴く様になり
野外フェスティバル〜都内のクラブを中心に
毎週の様に遊びに行き、そこで出会った仲間達とイベントの主催を手伝っていて、当時22歳の頃チームメイトだった子にDJを教わったのが全ての始まりでした。

大きな転機は、27歳の頃に友達のDJに誘われて
当時は国内に一つしかなかったDJ School “ IDPS ” で講師を始めたことが
きっかけでした。

始めのうちは、教える事や環境に中々慣れず
毎日の様に落ち込んでは自分を責めていたのを覚えています。
膨大な音楽知識とDJ技術を習得するために
必死になって勉強していました。
自分の自信のなさがいつも足かせになっていて
やってもやっても、やりきれない。そんな時代だったと思います。

そんな中でも、幸運だったのは
そのDJ Schoolで素晴らしいDJやアーティストの先輩とご縁があったこと。
世界的に活躍するDJ Tsuyoshiさんを始め FUNKY GONGさんやCPU(Samy)Dachamboの CD HATAさんなど、国内はもとより世界でプロフェッショナルに活躍する方達と同じ環境で音楽を学ぶ事ができる絶好のチャンスだったのです。

私はそこで、1から学ぶことができました。
DJとはどんな存在なのか?音楽って一体何なのか?
DJ機器とは?音響の知識や音楽の聴き方。
ダンスミュージックの歴史、数多くの著名なアーティストの楽曲や歴史。
政治や宗教の存在。踊る事の意義や、人間という存在、宇宙の世界の話。
あらゆる事に繋がっている。そんなイマジネーションをかき立てて
興味をもたせてくれたのが、紛れもなく先輩方の興味深いお話からでした。

それまでの私は、音楽の聴き方も楽しみ方も
表現の仕方も浅かったので、どうやって音楽を探究して
どうやって楽しんだらいいのか、よくわからないまま過ごしていたし
教えてくれる人もいなくて、自分でもどう勉強したらいいか本気で知らなかった。そんな自分を呆れられながらも熱意をもって丁寧に教えてもらえた時間は自分の人生で本当に幸運な事だったと、あの頃の私も、そして今でも感じています。

そこから、スクールに入り3年が経過した年に
大きなトラブルを転機に常任講師と運営側の両方を任される事になります。
その頃、FUNKY GONGさんと二人三脚でIDPS東京校を運営し始め
いろんな困難を乗り越えていったのは長い歴史の話でもあります。

人間として、まだまだ未熟だった私は本社の方やスクールの先輩方に
そして生徒さんへも迷惑をかけてしまう程、本当に自分でも大変だった日々を過ごしていました。それでも、皆さんに許されながら前を向き続けながら生きていたと思います。
その頃お世話になっていた、本社の方々にも一から社会の常識的なルールや、運営に必要な事務や経理の知識を丁寧に教われたことも今となっては大きな財産でした。

講師として人に教育をする姿勢や
DJスキルや音楽知識をコツコツと地道に学んでいたのがこの頃で
その他にも、人としての在り方を深く学んでいた時期だったと思います。
ともかく、人によく怒られていた。それはありがたいことでもあります。

そこから数年が経ち、35歳の頃コロナが大きなきっかけとなり
自分の力不足が原因で経営不振に陥っていて、程なく東京校は閉校という
本当に辛い出来事に直面していて、そのショックから私の精神状態が日に日に混乱していき、感情が爆発して周りが見えないくらい自分を見失っていくことになります。

ここでは説明しきれない程、当時は沢山の事が積み重なっていて
スクールを退職する頃には、鬱の状態へと入り身体を思うように動かせない日々が続きました。この頃は本当にどうしたらいいか、全く先が見えない状態で、自力で何とかしようとしても、思う様に進まない。
そんな日々の中でどんどんエネルギーを消耗していました。


その時間は長かったけど、今思うとそんな自分がいたから、今の自分があると感じられる。
“ きっと、いつか、私は誰かの為になる。この時間も絶対に無駄にはしない。乗り越えて、誰かの為に生きる事が、できる。 私なら、できる。だから、やらせてほしい。”
でも、やり方は、わからなった。それがいつも私を絶望させた。
ただただ、思いだけはずっとありました。

音楽を聴く事も、プレイする事も、人と会う事も長い間できなかった。
不思議なことに、それで毎日がどんどん過ぎていった。
その頃には、うっすらとDJも音楽も止めようと考えていました。

そして、その頃に毎日消沈していた私を励ましてサポートしてくれたパートナーが、ある日私に、“多分好きだと思うから行ってみて”
と言われて重い身体を上げて向かったのが
“楽読レッスン”という速読のスクールでした。
“速読”というと、本を早く読む行為なのですが
実は本質の部分は“本音の自分と向き合う”がテーマのユニークなレッスンだったのです。

初めて体験した初日に、自分が求めていた暖かい言葉を投げかけてくれた人と出会い、希望の光を感じていた。
身体から笑うことを、人前で笑うことを、久しぶりに感じた。
“よく頑張って来たね、すごい勇気だよ” “ここなら絶対に大丈夫”
そうやって、心の真から励ましてくれた。
今でも、忘れられないシーンです。
そして真摯に向き合い続けてくれた仲間との出会いのおかげで
“ Return to human school ” の存在をしり、新たなスタートをきります。

自分ってどんな人間?私は本当は何をしたいのか?
誰かの教えや概念ではなくて
自分の内側から聞こえてくる声に耳を傾けよう。
誰かが決める人生じゃなくて、私から溢れてくる想いに従う。
それが、ここで学んできた一番大切な事でした。

できる、できない、じゃなくて
やりたいのか。やりたくないのか。
本当に自分が生きたい世界があるなら
もし100%パワフルに生きれるなら
やりたいと思った夢が叶うなら
チャレンジしたいのか、、、?
私は、飛び込んでみたかった。
そう、その時腹をくくったのを鮮明に覚えています。

側からみたら、大丈夫?と心配される様な展開かもしれません。
それが普通だと思います。
私が今、振り返ってみても感じることは
極論 “何でもいい” ってことです。何を信じて何を求めて何を叶えたいのか?
それは当然、人によって様々だということ。
その人が感じて“ 私はそう思う、だからそうなんだ ” となるならば
同じ答えじゃなくてもいい。それが自然なこと。
目の前に現れた事が、私の場合こうだった、という話なだけなのです。

ともかくその時の私は
死んでも後悔しない人生をずっと本気で考えていた。真剣だった。
この時ほど自分と真摯に対話し続けたことは
人生で一度もなかったと言えます。
そして、その気持ちを見事に引き出してくれたメンターとなる存在や
一緒のタイミングで人生につまずいていた
そして一緒に励まし合いながら、年齢も仕事も何もかもが違う
だけど暖かい家族の様な仲間と出会えた事で
私の運命が大きく舵をきり始めるきっかけとなった転機でもありました。

そして、私はそこから半年間のプログラムに仲間と挑戦して
“ 本来の自分に還る ” という意識への旅を始めました。
ここでは、ひたすら自分との対話を続けていく事になります。
人生を本気で諦めかけていた絶望的な時期からだんだん変化して
今までの自分を受け入れていく時間が続きました。
今振り返っても本当に本当に地道な作業だった。
そしていつも横たわる疑心暗鬼な世界がいつも苦しかった。

私、という世界でたった一人の
私という人間が生まれてから死ぬまでずっと側にいる存在が私。
私という人間はどんなことを感じて生きてきて
本当は、本音の私は今何て言っている?
何を本当はやりたくて、どうなってたら幸せと言えるんだろう。。
その頃の私は、音楽やDJを続けようとは思っていなくて
本当に自分が生きたい人生を生きれたら、なんでもいいと思っていました。

そんな私を横目にニコニコ楽しそうに自由に生きていて
笑顔いっぱいで生きてる人たちと出会って
こんな世界があるんだって、衝撃的だった。
今まで出会った事がない人たち。
そこで学んでいくにつれて、自分の暗い部分が剥き出していった。

人と比べては劣等感に心が歪んでいくこと。
私には、才能もないし努力も足りない。あの人はこんなにすごいのに、私は元々こうだし、あれもこれも足りない。年齢的にも。。。
だから無理に決まってる。それが当たり前だと感じていた。

だけど、それは自分自身が、自分に対して投げかけているだけのこと。
本当の自分と向き合うのは本当に怖いんです。できればみたくない。
そこには勇気がいる。

そのスクールにいる人たちと、私と違ったのは
どんな自分も“これでいいんだよ”と受け入れていたこと
比べる自分も、怒る自分も、そのままでいい、ということ。

人間という身体の構造や脳という大きなもう一つの自分。
それらの働きを理解すると、思考の癖や行動原理がわかってくる。
けれど、全ての根元は自分自身の深い内側にあって、それがとてもシンプルな事だったこと。本当の自分とは、という果てしない内側の旅を延々と続けていきました。

それは時に孤独で、時に愛に満ちた、静かな世界。
自分の内側から湧き出てくる世界をただただ無条件に感じていくこと。
この世と繋ぐ“わたし”というフォルターを感じていくこと。
それは万華鏡の様に次々と繋がり、飛び散り、今も変化し続けている。

自分との対話を毎日毎日気が付けば約1年間、自分に問いかけ続けて途方もない時の中で自分で答えを見つけていきました。

私は音楽を感じるのが好きで
音の中で生まれたい。とおもっている。
もっと純粋にみんなと楽しみたいし
音楽を通してDJ Schoolをもう一度やりたい。
教える事が本当に大好きだから。

さらに、私が鬱になった原因として、言いたい事が言えない関係や、人の立場に上や下がある上で、怯える様な圧力を感じてしまうこと。
それに対して、私の本音は耐えられなかったこと。
これは、会社や社会のあり方を否定してる訳ではないので、本当に誤解しないでもらいたいのですが、自分にとって素直に感じた反応だということです。何が正解なのかは、人それぞれ。

私は、それを教えてくれた全ての存在に心から感謝しています。
なぜなら、“こうあって欲しい”という本音がわかったから。
自分はこう捉えたらいいという事も学んだから。みんな違ってみんないい。
私の場合は、そう感じただけ、だから自分が望む様に生きたかった。

それらならば、全て自分の責任で自分のルールでやっていく。それができれば自由に好きなことを仕事にして生きていける。そう思ったから個人事業主を選び一から作ろうと思った。

そこから、自分や周りがどうなっていたらわたしは後悔しないで死んでいけるんだろう。。。という最終的な答えにたどり着いて
私の奥から響いた言葉は

“ 自分を好きになる ” 

一瞬で、それだ〜〜!という感じ。

みんなが、自分を好きになって生きてたら
世界はこんなに優しいんだよっていうことを感じていたら。
それは音楽やDJというフィルターを通して伝わっていくはずだから。
音も思考も空気の振動。そべては繋がっていて、感じる事ができる。
自分の中がクリアになって広がっていく
“なんでもできる”という自由の感覚。
自分で自分を生きてる時
あなたもまた、誰かを応援できる人になっている。
そんな世界が広がっていたら、もう、大丈夫だと思える。

そんなことを感じながら、日々準備をしていく中で
さらに、奇跡的なご縁がどんどん繋がっていき、今度はコンサルティングの素晴らしい方との出会いをきっかけにスクール運営の為のマーケティングを学んでいきました。意識の改革(内側を見つめる)から行動へ移す(アクション)というステップへやっと進んでいきました。私はこの頃には学ぶことへの投資を沢山していたので、引越しを決めて住まいを変えて着実に自宅スタジオを完成させることや、DJスクールの準備の為に必要なものを買い出して殆どの貯金を使い果たしました。

本来なら、不安になるところではありますが
私はこの大きな人生の投資に対して、大きなギフトとして返ってくると本気で信じて設定しているので、必ずやり遂げる決意でここまできました。
そう思わせてくれたのは、大きな学びを与えてくれた沢山の仲間達のおかげです。一人では、到底ここまでできなかった。
本当にそれだけは一番感じています。
人に対して心底感謝しているのは人生の中で、今かもしれません。


そして、やっと1年かけてスクールを開講してスタジオを開設すると同時に入学する生徒さんの問い合わせが増え始めて動き出していきました。


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私がスクールを開講する前に
自分のミッションとして“これだ!”と降りてきたテーマが

【  DJや音楽を通して“自分を好きになる” 】

それは、今まで私が歩んできた経験から
つまずいても、どんな自分であっても
ありのままの自分を受け入れた時から全てが始まる
と知っているからです。
そして自分を愛することは、周りを愛することと同じこと。

自分の世界を理想の世界へクリエイトするのは誰でもなく自分自身。
誰かがやってくれるから、よりも
自分で体験して体感するから面白い。

本当の自分と出会って本当に叶えたい人生を生きてる時に
人は満ち足りていくんだと感じています。
自分のありのままの姿を音楽と共に音にのせて
自分を解放し自由に表現する世界を沢山の人たちと分かち合いたいと
心から願っています。


長々と読んでくださりありがとうございました。



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DJ Michiru










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