見出し画像

2022年7月18日(月)| DTMをはじめる

連休3日目ですが、土曜日まで今日が休みであることを知らなかった。翌日の業務は月曜日稼働前提で、まあ、安定のスケジュールミスで微妙な気分。ささっと音楽を聞きながら、軽く仕事のインプットを進めている。
こんにちは。DJ Komatyです。

振り返るとnoteを書くのは半年ぶり。振り返りDJ日記も途中で止まってけど、相変わらずサウンドクラウドではDJログを残し続けて、時間があるときは振り返って「ああ、ロングミックスすぎてしつこいね」とか「もうちょい上げていいタイミングだったのに、また落ち着かせたトラックを流しちゃったね」とか、ぼんやり自省してる。

上達というのは、自分のミスを改善し続けることに限る、だけど、趣味というのは第三者から指摘を受けることは少なかったり(仲が良い友人はいい感じに指摘してくれるけど)するので、いわゆる、裸の王様一直線ウェーイ、になりがちになる。

他人からどう思われようがこのスタイルでいくんだ!と考えも正しいし、また、相手からの意見でその充実感が阻害されるなら、それで趣味に楽しさを失う人もいるのも事実。だから人に指摘するのも、そう簡単なことじゃないよねってことです。

つまりは「自己充実感」っていうのは人ぞれぞれで定義が違うということで、その上で、僕の中で自己充実感のひとつは「手札を増やしていく」こと。

最近、いい歳になってDTMを始めてみた。20年程前まで空き時間でDJやらVJも少ししていたけど、レコードは場所を取るしお金はかかるし、仕事ができないコンプレックスの塊だったこともあって、週末はプログラミング(仕事のため)の勉強をしていて、まあ、DTMをする心の余裕もなかった。しかし、それと引き換えの努力の結果、プログラミングの才能がないことに数年かかって気づくのだけど(笑)。

最近も相変わらず忙しい。しかし、年の功か仕事に「諦め」ということを覚えてきた。まあ、一人頑張ってもなるようにしかならんな、ということ。週末に仕事をするにしても、そんな「諦め」でやっているので、そこで生まれた時間で、DJをしたり音楽を聴いたりと、その上で曲も作ってみようかなあ、という気分が生まれてきたのかもしれない。

ああ、なんか、まるで自分のDJのように話題が分散してしてる。
話を戻すと、やはりDJであろうが進化したい欲求はある。意識が高いってわけではない。なんとなく上手くなりたい。
その上で最近考えるのは、やはりトラックの構造を理解したいなということもあったりする。好きなアーティストにはやはり構造的な共通点というものがあり、KickやHiHatの音であったり、Bassの変化だったり、ピアノのコード展開だったりと。ちなみに専門用語もまだ知り得てなく、言語表現が貧弱で、自分へのフィードバック力も弱く成長曲線も激ゆるである。それも踏まえて未熟ってことだ。

そんな感じで僕は全く音楽の基礎も勉強していないけど、昔DJをしていたころも、上手な人のミキサーの使い方をずっと眺めていた。六本木にイエローがあったとき、螺旋階段の上からDJブースを見下ろすことができて、ずーっと手元もひとり眺めていた。ああ、こんな感じなんだなと。

トラックを作ろうとしている、いまはそんなスタート地点にいる感じ。まあ先は果てしなく長い(笑)

トラックを聴きながらメモる

トラックを小節ごとの展開を気にしてじっくり聴き込むと、やっぱりプロのきめ細やかさは凄い。

音を構造化する作業というのは、聴いた感覚を一旦、停止状態するために言語化する必要があるのだけど、音楽というのはそうそう言語化できるものではない。とはいいつつも、自分の脳内にフィードバックさせるように体系化しなければならんなと。ポコポコとか、恥ずかしいキーワードも書いているけど、ひとまずは自分の中で消化できればいいとは思う。大切なのは感覚化するところまで、やり続けるってことなのかなと。ただ長期的には更に言語化できるようにはしたほうがいい。この辺りはシンプルに覚えるってことかな。

Ableton Live(DTMソフト)を使ってから、まだ1〜2ヶ月。わずかながら使い方を理解してきた。トラックの作り方にルールはないよ、とトラックメーカーの方々から言われて、初心者にはさっぱりわかんねーっという感じだったけど、その理由も感覚で理解できてきた。DJも最低限の基礎はあるけど、基本的にはルールはないよね、っていうのに近いような気がする。

また、ちょっと話を変える。
僕はおそらく表現することは好きなほうなのだけど、といいつつ、何が得意っていうのもなく、ぼんやり過ごしてきた。ただ表現が好きと言っても、ちょっとタチが悪い人なら、勝手に人の作品をパクったりして「いいね!」を貰えることで充実感を得る人もいるのかもしれない。表現は好きなのだけど、自己表現するものがなく、そういう行動になっているのかもしれない。表現するものがないけど表現したいという屈折した行為なのかな。わからんけど。

最近だとキュレーションっていう言葉もあるけれども、それは一次創作者との信頼感の上で初めて成立するし、創作者だって、クリエイターを理解をしない人に自分の作品を委ねようなんて思わない。

また話がずれた。
昔から自分の好きなものを作る行為ということは好きだったけど、いつの間にか商業的な世界にも足を踏み込んだせいもあって、それが嫌いになった時期もあったし、そのせいで、今は職務としては全く物理的なメイキングをしていない。結果、そっちのほうが職務として向いていた(結果を出せた)のも神様とは意地悪だなとも思う。

最近はテクノロジーの進化もあり、20年前までは高価であったものも身近に手に入るようになった。例えるなら手洗い洗濯機が全自動になったように。そのように技術的な問題もクリアされてきた。DJをするとか音楽を作るとか、最近だと多数に聴いてもらえるような配信なども含めて、一人で完結できるようになった。

だからまた作る行為を好きになりたいなとも思っている。あくまでの趣味として。それが、ひとりでも聴いてもらえるとラッキーだし、聴いてもらえなくても、自分の中でDJができるとか、トラックが作れるということができるようになるだけで、充分に自己充実感が満たせてるのかなと思っている。

まとなりのない僕のDJのような文章。
そんな感じ。以上、現場からでした。

最近のDJ

NO MUSIC, NO LIFE

いい言葉だよね。タワレコいってないなー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?