juke 日本

世界に先駆けてアナログでのjukeのリリースを行なったのはマイクパラディナスのレーベル、PLANET MU のDJ ROCとDJ NATE のようだった。

リリースに際しdommuneで野田努さんのトークでこのリリース一辺が取り上げられる。

フルトノはその頃そんなにdjの出番が多かった訳でも無いというか、私の方が多かった。月10本行う月もあり、週末が2日、4週間と換算して、月8本なので 数でいうとそれ以上を常に目標としていた。目標にしていたとはいえ、努力できることといえばレコードを購入し、snsなどで告知して活動していることをアピールし、来てくれそうな友達に連絡し、西に好きな音楽あれば行って踊り狂い、東に好きなdj来れば 行って好きだと言ってみる と自分の人生を好きなものに寄せていくしか無かったというか、特に意識していた訳ではないけど兎に角いい音楽が聴きたいということを念頭に置いて行動していた。 努力というか単にそうしていたら少しずつ知り合いが増え、ギャラが発生するものばかりではないけどブッキングがもらえるようになって来た。有難い話である。ブッキングが貰えなくても音楽が聴きたいのでクラブには常に行っていた。この上の文章の音楽の部分が仕事やお金だったら、もっと生きやすかったと思うし、成功本の1つでも書きたいところだが最終的に得たものがお金ではなく音楽なので人を選ぶ話だ。

フルトノは自宅から週一で動画でdjを披露する番組を放送していた。

視聴者数も少なく、フルトノの手元のみの映る得体の知れない音楽の番組はかなりハードコアだった。内容的にはめちゃくちゃカッコよかったので私は親友や他の友人数人にも薦めたりしていた。
日曜日の午後から配信していて、明日から仕事や、、と思いつつ新しい音楽を聴きまた頑張ってレコードを買おう と考える。そんなサザエさんの様な存在だった。

前置きが長くなったがこんなフルトノの活動を知り得ているのはごく僅かだった。
野田努さんは こんなジャンルやってる人、日本でいないでしょ
とdommune内で仰った。仕方ないといえば仕方ないが、そこで フルトノさんが居るよ!と何人か声を上げている人がおり、全国区?のdommune、引いては野田努さんに名前を知ってもらう機会を得ていた。

なんてええ友達を持ってはるんや と私は普通に感動した。その中の1人が東京のDJ Aprilだった。
私はまだ会ったことは無かったが東京の人で支持してくれている人がいる とは聞いていた。その人だ。

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