【名もなき階段を登ると粟野駅】
週末は例によって地元の奉仕作業に参加しました。
数年前から、お寺の掲示板に注目が集まり、関連書籍なども出版されているようです。
掲示板に掲げられる短い法語に、心をぐっとつかまれる人がそれだけたくさんいるということなのでしょうか?
ご縁さんから頂いた資料の中に面白いエピソード話しが記載してあったので紹介します。
「のぞみはありませんが、ひかりはあります。」
Kさんが夜遅い時間に新幹線に乗ろうとして駅員さんから言われた言葉だそうです。
勘のいい方はみなまで説明しなくてもわかりますよね。。
Kさんは、
「希望(のぞみ)を失っても、光(ひかり)はまだある」という意味で捉えたそうです。
なんとお見事な解釈。
自転車で地域を周ると、色んなことが見えてくる。あらま、こんなことになってしまっているんだね、、あーそういえばこれ、こうだったな、、
等々。
確証はとれないが、地域の方々から聞いたエピソード話しをご紹介します。
粟野駅へ行く際、皆さん恐らく東西から登る車道を使い登ってこられると思いますが、徒歩の方には素敵な近道階段があるのご存知でしょうか?
金山保育園、粟野小学校卒者なら、もしかしたら、「はいはいはい、あの階段ね。」とアンサーしてくれる人いると思います。
その昔、粟野駅建設時になんとなく出来た階段だそうで、、建設作業員らが粟野駅下に下宿し毎日作業にあたっていた。
毎朝毎朝、西側か東側の坂道を登り作業場(粟野駅)に通っていたそうですが、とある日
「ここに階段あったら楽じゃない?」
となり現在も残っている。 らしい。
地権者と地域と使用者の三方よし。かな。
物事をシンプルに考え
欲を少なくし、足ることを知る。