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踊る身体【01.06朝の会】

活動先の施設には、朝の集会がある。
子どもたちはぴしっと整列して座り、職員の話をきく。
“わかりましたか?”
“わかりました、ムッシュー!”
というコールアンドレスポンスのようなやりとりがなされ学校を感じたのも束の間、スピーカーから音楽が流れだしダンスタイムがはじまった。

ダンスをする彼らは、実に楽しそうだ。身体の真ん中に染み付いたリズムが、音楽を合図に弾けだす。肩から腕から手の先へ、腰から脚からつま先へ、血液が流れ出すように、音楽と一体になる。ぼーっとみていたら、手を引かれ、列に加わることになった。基本の振りはあるようだが、周りを見渡すと皆微妙に違っている。

小学校2年生のとき、“世界にひとつだけの花”を運動会で踊ったときのことがよぎった。おそろいのボールをもって、おそろいのキラキラテープを腕につけて、みんな同じタイミングでくるくると回って、“オンリーワン!”と最後はボールを持ち上げてポーズ。
なにもかもが決まっていて、同じになるまで練習して、揃えることが美しかった。

音楽は、言語が生まれる以前から、人間が手にした大事なコミュニケーションツールであり、人間が大きな社会力をもつ源泉になってきたのです。
(…)人間が二足歩行で獲得したといわれているのは現在2説あります。(…)でもぼくは、(…)第3の説があると考えるようになりました。それは、共感力につながる「踊る身体」を手に入れたということです。

山極寿一,『スマホを捨てたい子どもたち』

子どもたちが踊る。音楽がかわり、基本の振りもいつのまにかなくなって、各々好きなリズムでステップを踏む。言語よりも先に音楽があり、言語よりも先に踊る身体がある。
どうしたらいいのかと戸惑いながら、子どもたちと目を合わせて笑いながら、みようみまねで身体をうごかす。なんでもよいことが、ただただ心地いい。こうして繋がっていくんだよと彼らは無言のうちに教えてくれる。同じ言語はないけれど、踊る身体は私にもあった。そんなことを、はじめてのように思いだした。

*写真は朝の集会スペースの壁。子どもたちはポールをするするとあがって、屋根に登っていることも。 下の動画は朝の会の定番ソング。


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自分のきもちの備忘録とジブチのことについて、ゆるゆると発信するnoteです。

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