何かを得る為には、何かを犠牲にしなければならないのか?
皆さん、お疲れ様です。
あばれる君の6つ歳上の41歳で、無職、貯金ゼロ、先日太刀魚を釣りに行ったはずなのに、サバを大量に釣って帰って来た秋山真之介です。(働け!)
これまでの記事に『スキ』や『コメント』を下さった皆様、本当にありがとうございます。
本日は『何かを得る為には、何かを犠牲にしなければならないのか?』というテーマでお話させていただきます。
①決意
私はこの3ヶ月間、長編小説を書いておりました。
8月末が締め切りの文学賞に向けて、100万円の賞金と栄光に向かって走っていたわけですが、裸足のままで飛び出す前に決めていた事が有ります。
何も失わないゾ!です。
無職なので、その気になれば起きている時間の全てを執筆に費やす事も可能でした。
しかしこの3ヶ月間、毎日のように妻と散歩に出かけ、一緒に夕飯を食べ、酒を飲みながら映画やオリンピックを観ておりました。
友人から飲みの誘いが有れば、必ず顔を出しました。
②理由
既に結果を出している人間が引き篭もって創作に没頭するのと、まだ何者でも無い人間が同じ事ををするのでは、リスクが全く違います。
後者には、人間関係を損なうリスクが有ります。(仕事じゃないので)
何かを得る為には、何かを犠牲にしなければならない!
成功したかったら人の100倍努力しろ!
悔しかったら狂ってください!
そんな言葉を間に受けて、可愛い妻と一緒に飯も食べず、散歩にも行かず、友達の誘いも全て断り、自分の才能とひたすら向き合って引き篭もる事も出来たわけですが、果たしてそんな環境で書かれた物語が面白いでしょうか。
私はそうは思いません!
何より、賞を受賞したとしても、落選したとしても、一緒に喜んだり悲しんだりする相手がいなければツマラナイですよね。
③結果
(何も失わないゾ!と決めて良かった事)
ストレスが無いんですね。
執筆中に妻にお使いを頼まれたり、締め切り直前に友人から釣りに誘われた時に、「俺の邪魔をするな!」とイライラしないで済みます。
想定内なので。
まだ何者でも無い人間の「俺の邪魔をするな!」ほど醜い事は無いですよね。
結果的に小説はちゃんと締め切りに間に合い、私は何も失わずに済みました。
最後に
小説の連載中に『スキ』や『コメント』を下さった皆様、本当に励みになりました。ありがとうございますm(._.)m
結果が出るのは来年の春だし、先月で失業保険の給付も終わったので、そろそろ就職活動を始めなければならないと、感じざるをえません。
京都にお住まいの方で、何か私に出来るオイシイ仕事をご存知の方は、ご一報くださいませ。
ご静聴ありがとうございます。