シン・西早稲田汽缶室の進捗_0225(夜)
出演者紹介:デラ
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<以下、プロフィール>
有象無象の100円CDを、独自のクラブ解釈でフロアに投下し続ける DJ。「100円CDコーナーの神」「キングオブ100円CD」「100円CD流家元」などと呼ばれる。 2005年にハウスDJとしてキャリアをスタート。2015年頃から、BPMの変化によって全ての音源をミックスできると開眼。中古屋の100円CDコーナーでノンジャンルに買い込んだ盤ばかりを、フロアにガシャガシャ持ち込んでのDJスタイルとなる。そのクロスオーバーかつアップリフティングなプレイは独自の世界観を放ち、唯一無二との呼び声が高い。年2回開催の単独6時間プレイ「デラ一人会」には、全国各地から熱狂的なクラウドが集まる。 DOMMUNEには2度出演。手がけたミックスCD2枚『100円CDミックス①』『100円CDコンビニミックス①』は世界的に高評価を得る。2025年2月には初の著書『100円CDガイドブック①』をリリースした。2024年『短冊CDディスクガイド』執筆陣ほか文章寄稿多数。
デラ君を紹介する。100円CD界隈では有名人になってしまったデラ君だが、X(旧Twitter)のログと私の記憶をたどると私はデラ君と2010年ごろから数年間の付き合いがあった。2014年ごろに私の旧アカウントが凍結という憂き目に遭い、そこからデラ君とは疎遠になってしまった。しかし何かの折に彼の活動がTLに流れてきて再フォローし、ひっそりと観察を続けていた。そして2019年ごろにデラ君は「見つかって」しまう。彼はそこまで意識してはいなかっただろうが、100円CDと呼ばれるものに対して執着し続けてきた彼の情念を世界が無視できなくなったといっても過言ではない。
私とデラ君の出会いは2010年ごろ、共通の知人のDJさんを介してのものだった。80年代洋楽PVを流すイベントで顔を合わせたり、大岡山時代/渋谷移転直後のアシッドパンダカフェで「アメリカンバイオレンス」という、名前以外一切ノーコンセプトなワンナイトイベントがあり、そこで共演していた。デラくんのDJスタイルは当時から今までその根幹の部分は変わっていない。100円CDとして世に忘れられた円盤の中から誰も知らないグルーヴを発見し、それをフロアに放流していく。彼がDJするときにスピーカーから放たれるサウンドはやや時代を感じさせるものが多かったが、当然そこも含めて彼は自分の味わいにしていた。ここ最近彼のDJを2度ほど聞く機会があったが、ダンスミュージックを探し出すと言う軸の部分は当然ぶれていないものの、探し出してくる音源は民謡/民族音楽/音効素材/レンズクリーニングCD/鳥除け用CD などかなり涅槃に近づいてきた感じがある。
完全に余談だがアメリカンバイオレンスというイベントにはもう1人のヤバいDJがいた。「林家ホンコン」というDJネーム以外一切の手がかりが無く、彼の連絡先を入手していなかったことを今も悔やんでいる。過去に一緒にパーティーをやったことがあって、もう会わなくなった人はたくさんいるが、もう一度会ってそのミックスを聞きたいと願っているのがこの「林家ホンコン」だ。彼の情報を持っている方はぜひ情報提供をお願いしたい。デラ君もそれを願っていると勝手に確信している。
デラ君絡みでひとつ後悔していることがある。彼が主催したデラスペシャルという自身の名前を冠にしたパーティーが渋谷で開催され、そのうちの1回に私も呼ばれたことがある。当時私は渋谷のクラブでDJをすることに浮足立ってしまい終始、場の空気に気圧されてあまり自分の満足いくパフォーマンスを発揮できず、パーティーに集まった方々に少々失礼な態度を取ってしまった記憶がある。デラ君に見せた自分の最後のDJがアレであってほしくない。デラ君をシン・西早稲田汽缶室に呼ぶ動機はここにある。もし彼が私の出番まで泥酔することなく無事に立っていられたなら、「私の成長したところ」そして「私の全く成長しないところ」も同時に見せつけることになるだろう。その瞬間を心待ちにしている。なのでシン・西早稲田汽缶室に来る皆さん、デラ君の呂律が回らなくなったり、同じことを何度も喋り出したらそれ以上酒を飲ませないでほしい。