④『MUSIC CHINA2024』レポート&川村朋和さんの“これから”
【「③川村朋和さんが大切にしている言葉」から続く】
この回では、川村さんが10月に行ってきた中国のイベントのことを伺います!
川村:『MUSIC CHINA 2024』というイベントですね。元々は『Musikmesse』っていうドイツのイベントがあって、ドイツの企業が中国でも見本市を始めて、正式なところは分からないですがドイツでやっていた見本市はなくなって『MUSIC CHINA』だけになっている感じで。2012年からかな、コロナの期間以外は毎年『MUSIC CHINA 』に出店していますね。最初は楽器とPA・スピーカー関係と照明が一緒になったイベントが、だんだん規模が大きくなって今はそれぞれが独立して行われていて、『MUSIC CHINA 2024』は、楽器にまつわるもののみでしたね。
中国で10年以上ブースを展開してきて、どのような変化を感じます?
川村:詳しい資料がない話で申し訳ないですが、まず規模が……私が初めて行った頃は幕張メッセ2つ分ぐらいが楽器のスペースでやっていたんですけども、今年は建物10個ぐらいの場所が楽器だけでフルに埋まってたんですよ。ホラを吹いているわけではないですよ(笑)、規模で行ったら単純に5倍ですし、お客さんも増えてます。アメリカでNAMM Showという見本市がありますけど、大きさだけでいうとNAMM Showより大きいかもしれない、というぐらいでしたね。
コロナ禍以降は中国の国内企業がだいぶ増えた感じがしていて、昔は二胡であるとか、そういった楽器も結構あったんですけど今はそれ以外の楽器の規模が大きくなってきて、エレキギターだったり電子ドラムといった現代楽器のスペースが大きくなっている。ロックとか現代音楽というものがものすごく広がったんだなと肌感で感じてますね。
『MUSIC CHINA 2024』に、川村さんと一緒に行かれたギタリスト・Yusさんにも印象を伺います。
Yus:川村さんのおかげで今回、中国本土に初めて行かせていただいたんですけど想像以上に現地の音楽市場が大きいんだなと感じて。日本に住んでいると中国国内の音楽産業ってどうなっているか想像がつき辛いと思うんですけど、イベント自体の規模も大きかったですし、中国の国内メーカーの数も多いのにも驚きました。日本の国内メーカーもかなり大きめなブースを出していて、中国への投資も大きいんだなと驚きましたし何より一番驚いたのは、僕のことを意外と知ってくださってる方がいらっしゃる。日本のアーティストをチェックしている中国の方が結構、多いんだなという印象を受けて。
政治的なことをニュースで見ると日本の音楽をあまり聴いてないんだろうなと思ってたんですけど、本当にその真逆と言うか。日本の音楽文化だったりギタリストのファンがものすごく多くてびっくりしましたし、ものすごくあたたかく受け入れてくれる方がほとんどでしたし。将来また、中国で何かが出来たら良いなと考えを改めさせるような良い体験が出来ましたし、出来ることがあれば全力でやっていきたいと思わせるイベントでした。
Yusさんも仰っていましたが、日本の音楽の広がりは川村さんも感じられましたか?
川村:感じます。日本のバンドが中国でライブをしても日本と同じ、それ以上の集客があるという話も聞いたりとか、去年も今年も『MUSIC CHINA 2024』にギタリストのMIYAVIさんがいらしてたんですよ。去年は演奏している時に会場が壊れるんじゃないかっていうぐらい人が集まってましたし、(今年は)中国で有名な音楽ショーにも出ていたらしくて。
マーティ・フリードマンさんは『MUSIC CHINA 2024』のステージで演奏してましたけども、集まる方々はマーティさんのことを勿論知ってましたし、かなり詳しそうな方はYusくんも一緒に写真を撮ったりすることもされていて。日本人もかなり好意的に受け止められている感じはしましたね。
MIYAVIさんを見ていると、ギターを通してあんなに世界で活躍できるのかと夢がありますよね。
川村:本当にスーパースターなんだなという感じでしたもんね、中国でも若い女の子がキャーキャー言ってましたしね。中国は今、中々面白い場所だなと思いますね。
では川村さんから見て、Yusさんはどんなギタリストでしょうか?
川村:まず間違いなく上手いのと、ハードロックやブルース、繊細なものまで色んなスタイルのギターが弾けるんですよ。まだお若いので将来が有能なギタリストだと思っていますね。例えば言語であったりとか、日本のギタリストが世界に出て行くのはハンデがあるんですけどもそれも感じないですし、将来をすごく楽しみにしてますね。5年後、10年後に私なんかは相手にしてもらえないぐらいに(笑)。
このインタビューもメッチャ貴重になるかも知れないという(一同笑)ぐらいに!
Yus:頑張ります!レッド・ツェッペリンの「ハートブレイカー」(1969)を初めて聴いた時…ギター単体のリフから始まるんですけど“こんな音、聴いたことない!”って、脳天を突き刺すような衝撃を受けて。生々しくて、当時の空気感まで伝わるようなギターの音っていうのを初めて経験して、その日からもうずっとギターのことしか考えてないです(笑)。それからはもうずっと、家にいる時はずっとギターの動画を見てイギリスやアメリカのバンドをYouTubeで見漁ってましたし、いつか…メタリカみたいなレベルで売れたいなっていう夢はずっと持ってました。
歳を重ねていく中で、まぁメタリカみたいなのは無理(笑)だとして、自分が出来る範囲の中でギタリストとしての活動は続けていきたいなと思ってますし、求められることがあれば・喜んでもらえるならば何でもやりたい精神で常にいるので。出来る限り多くの人に僕のギターを聴いてもらって楽しんでもらえるような活動を続けていきたいなと思ってます。あとはもう、お天道様が見てくれているかどうかだと思って半分、運任せなところもあるんですけど(笑)、頑張っていこうかなと思ってます。
川村:ギタリストとして評価はされ始めていて、Kuboty(ex.TOTALFAT)さんが(Yusを)紹介してくれた通りで交友関係も広いですし、東京のギタリストからもちょっとずつ認知され始めてるような感じを私は受けていますね。私の中でトラディショナルなギタリストで成功した日本人はトモ藤田さんですけども、そういう系譜で花開くんじゃないかな…という感じがしますね。
ではここからは川村さんにお話を伺っていきます。今、お名前が出たトモ藤田さんとも川村さんの会社は繋がりが深いですが、そもそものきっかけは何だったのでしょう?
ウチのギターエフェクターのビルダー・BJFという方が元々お付き合いがあって。2009〜10年頃だったと思いますが、BJFが当時、手伝っていたMAD PROFESSORっていうブランドを通して最初はコンタクトを取らせてもらいました。それから年に1回ぐらいメールのやり取りはあったかな、という感じだったんですが、One Controlでリヴァーブのエフェクターをトモさんがすごく気に入ってくれているという話を聞きまして。それでこちらから再びちゃんとコンタクトを取って、やり取りが増えるのが2017年頃だという記憶があります。(最初にコンタクトを取ってから時間が空いたのは)トモさんとは…ブランドとしての地位といったものを確立してからお付き合いをしなくちゃいけないな、というのがあって。
それ以降は仲良くさせていただく中で、2021年のNAMM Showで“デモンストレーター(=ブースでOne Control製品を使ってプレイをする)をやっていただけないか”というオファーを私からさせてもらって、お仕事を通しても仲良くなっていった感じですね。『MUSIC CHINA 2024』で今回、1つの大きな目玉としてトモ藤田さんとOne Controlのコラボレーションで「Beth Reverb」っていうエフェクターをアナウンスさせてもらったんですけども、トモさんと初めてのコラボペダルで。“すごく大切なペダルだから、どうしても奥さんの名前をつけたい”っていうことで。“Beth”は、トモさんの奥さんの名前で。
素敵!!!会場の反応はいかがでした?
トモさんは自身の動画で既にアナウンスをしてくださっていたのもあって、“待ってました!”っていう感じで。トモさんが育ててきて動画で流していたペダルが遂に触れる!って、ものすごく評判が良かったですね。
音としてはトモさんが好きなリヴァーブの音に近いのでしょうか、それとも全く別な音を目指したのでしょうか?
今あるリヴァーブのその先・BEYOND、で。発展させた別な音も出せるようにした感じで発展形のエフェクターですね。年内には間違いなく全世界で販売開始しようと思ってます。トモさんって中国でもすごく人気があるので、去年、上海のブルーノートでトモさんのライブをやったんですけど、確か(上海ブルーノートが)完成して4年目ぐらいの、その当時での上海ブルーノートの最多動員記録を作ったんですよ。
(拍手!!!)世界を相手にやってきた川村さんが、今の時点で思い描いている“次”・目指しているものがあれば教えて欲しいです。
これはお話したいと思っていました。今、中国の工場で全部やっているんですけども…日本で、花巻で、エフェクターを作りたいですね。“日本製のハンドメイド”のエフェクターを全世界で販売できたらなと。ほぼほぼ形になってきてて、今年中には…本当に少しですけど、販売できるかなと思ってます。
え!?年内ですか!?
はい、もう物は出来てます。One Controlってすごく良い音だって言っていただけて知名度も頂いてますけども、唯一出来ていないことって日本でハンドメイドで商品を作る、っていうことで。“やれたら良いな”と思っていたところから“やりたいな”になって、“やれるんじゃないかな”となりまして。
表情が雄弁に語っています!
やれることは大分やったと思うんです。良く言うと隙のないブランドになれたと思うし、逆に言うと見ようによっては、面白みに欠けるかもしれないという気もしていてちょっとモヤモヤしていた部分ではあって。“こういう製品があるといい”っていうニーズで仕事をしてきて、求められているものを作るということにもものすごくカタルシスを感じるんですが、逆に今回はセルフィッシュに。自分がやりたいと思うことを表現してみたい、それでお客さんが喜んでくれるのを見てみたい。そんな思いからスタートしたプロジェクトで、私も色々と勉強をしながら(笑)、ウチの社員も勉強してまして今、ワクワクしながら挑戦しています。
【「ひとのちから、まちのちから。」〜川村朋和さん(LEP INTERNATINAL代表)編〜/完】