①片平里菜を育ててくれた街はどこ?
早速いきましょう、里菜ちゃんを育ててくれた街は、と聞かれたら?
うわ〜………絞るのは難しいですね。
難しいのはもちろん、分かってます(笑)。
う〜ん……結局のところ、福島なんじゃないかな。旅を通して日本全国、津々浦々の人と場所と繋がって、地元に帰った時に気づくことがいっぱいあるし、“まだこんなに問題が山積みなんだなぁ”って地元の姿が明確に見え出したり、“皆しっかり生きてるなぁ”って思わされたりする、から。
“旅”というワードが何度か出ましたが、元々、旅をする人間だったの?
旅をする人でした。10代の頃・福島に住んでいる頃は自分が住んでいる環境に息苦しさを覚えていたので、とにかく、ここではないどこかへ行きたい、っていうフラストレーションをずっと溜め込んでいて、お金と時間の余裕が出来たら、旅に行ってましたね。
高校生の時もバイトしながら“とりあえず日帰りで行ける場所に!”って電車で松島に行って帰って来たりとか、20代になって海外に行く余裕が出来たら弾丸で行ったりしてました。(海外は)しばらく行けてなくて、コロナ前にパリに行ったのが最後になるのかな。自分の気持ちと関心が向いている先に身体がついていく、のかな。
今、関心が向いている場所はあったりしますか?
アイスランド!地球を感じたい(笑)。氷河がどんどん溶けてるっていうのも聞くから今、この目で見てみたい。マグマも見たいし、今しかない景色を見たいなって思いますね。シロクマとかアザラシとか、野生動物も。
さっき、“自分が住んでいる環境への息苦しさ”とも言ってましたが、どういうところに感じていたのかな?
当時は…自分のおうちもそうだし、学校もそうだし、何か…自分をさらけ出せる場所っていうのがやっぱり、なかった。自分ひとりの空間で、やっと自由になれるっていう感覚が強かったです、当時は。
“さらけ出す”と言えば別でインタビューをした時、高校生の頃のエピソードで、渋谷駅のモヤイ像前で歌っていたという話を聞いてびっくりしたことがありました。
そうそう、歌ってた。当時、東京のボーカルスクールに通ってて、せっかく東京に来てるからって(笑)渋谷の路上とかで歌ったりしてました。
本当だったら、自分の家族だとか友達だとか身の回りの人に何の気なしに自分の本音を言えれば良かったのかな、って思う。だけどそれが私の性格上なかなか難しくて、音楽に向いたのかもしれないな、と思います。
音楽を通してなら自分を出せる、と気づいたのはいつ頃だったんだろう?
いつ頃なんだろうな…音楽だけでなく表現すること全般が好きでした。表現、って言うと大それた感じになっちゃうけど(笑)、小っちゃい頃・物心がつく頃にはチラシの裏が“白紙だ〜!”って気づくと絵をずっと描いて、その時間が私にとっては本当に自由だったし、授業中にはノートの隅っこに何か書いたり机の落書きだったり、そうだなぁ、美術の時間もそうだし。
身体を動かすことも好きだったから小3からミニバスケットボールのチームに入ってバスケ少女で(笑)、身体を動かして自分の技力を高める、みたいなのも同時に好きだったんですよね。その延長線上に音楽っていう爆発的なパワーに力をもらった、それが10代半ばとか…ぐらいなの、かなぁ。気持ちが救われたと言うか。
(バスケのように)自分の身体を使って何かをするのと、表現することも、どっちも好きだったし、だから、“歌う”っていうのは適職だったのかな、ってすごく思いますね。
さまざまな表現方法を通して、爆発的なものは音楽でしたか。
うん、音楽。ドカンと来ましたね。あの当時特有の孤独感…自分の気持ちを外に出せないから、不安だし怖いしいつも怒ってる、みたいな。誰かを傷つけるようなことはしないけど、内側ではずっと、自分自身を抑え込んでいるような感じがあった、そんな時期に聴いた音楽に、“あ、おんなじ気持ちの人がいるんだ”とか、負の感情を明るくポジティブに変えて前向きにさせてくれるんだ、とか。
共感してしまう部分だなぁ…そうそう、これも前に聞いた時に意外と思ったのだけど、バンドものの音楽が結構、好きなんだよね?
そう、そうなの。このインタビュー、私の前が花男さんだったけど、太陽族もよく聴いてました。お兄ちゃんの影響が大きくて、お兄ちゃんが聴いているバンドを一緒に聴いてハマってたので。太陽族のCDはジャケットの絵がすごく可愛くって絵を真似したりしながら、歌も素敵だったし。初めて弾き語りした曲も、太陽族の「GOOD DREAM」だったりして。
え!?そうだったの!?
ツアーでこの前、地元の福島公演の時に花男さんにも出てもらったんですけど、“里菜ちゃんが弾き語ってた曲なんだって!”って、サプライズでこの曲を弾き語ってくれたんですよ。わざわざこの日のために練習してやってくれたことに、本当にグッと来ました。優しいなぁ…夢みたいでした。あの頃の自分に自慢したい、っていう日でした。
今もツアーで全国を周っている中でのインタビューなのですが、そんなツアーファイナルは日比谷野外音楽堂ですよね!
そうです。野音は、2011年の「閃光ライオット」という10代限定のオーディションの最終審査で歌った場所で、わたしにとっては思い入れのある場所で。伝説的な人たちが伝説的なライブをした場所なのもあるし、実際に野音のステージに立ってみて会場の特別さをすごく実感しました。それと、その日その場所に賭ける気持ちの強さ・覚悟の強さも、ものすごく大きかった。だからこそ、私にとって今も「閃光ライオット」は特別だし、野音も特別な場所で。
自分が作った「夏の夜」(デビューシングル/2013年リリース)が、自分の部屋で1人で歌ってた曲が、初めて大勢の人に届いた感動をそこで覚えて。ただ、うまく歌えなかったみたいで結構、悔しい思いをして袖に帰ってから泣いて。“いつかまたここに立ちたい”って思い続けながら音楽活動をしてきて、メジャーデビューしても中々その機会に恵まれず、今回ようやくで、野音に立たせてもらえる機会を与えられたと思っていて。これは続けてきたご褒美のような日で、今からワクワクしてるし、うん、本当に…夢のような日です。