②片平里菜の側にある、大切な1曲
【「①片平里菜を育ててくれた街はどこ?」から続く】
自分の側にある大切な1曲を教えてください。
そうだなぁ…場面場面でこの曲に救われた、っていう曲がいっぱいあるから1曲っていうのは本当に難しいな。でも自分で曲を作るようになってから、それこそ曲を作ることがセラピーじゃないけど、自分の気持ちを吐き出して消化して救われることが多くって。曲を作れるようになってからはやっぱり、自分の曲ですね。なのでその原点の曲にしますね、「夏の夜」です。
前回①でのインタビュー・10代で野音に立ったエピソードに繋がるお話ですね。
「夏の夜」は、自分の思いがちゃんと形になった最初の原体験だった気がしていて。デビュー前の高3の時、福島のおうちでギターをポロポロ弾きながら。何か…満たされないモヤモヤっとした気持ちを抱えている18歳の女の子が、何かの救いを求めて、ギターを抱えて、曲を作ろうとしている。その情景がストン、と…自分がその状況を俯瞰してるかのような感じで、曲が出来たと言うか。
“夏の夜 ひとり ギターを弾いてた 誰も知らない自分がいた 本当の声は喉を通らずに 音もなく叫びつづけ”ている、その状況と気持ちがフワッと出てきて…俗に言う“降りてきた”っていう感覚に近いのかも知れないんですけど、その時初めて、自分の思いが曲として形になったっていう感動を覚えて。その時の感動を追いかけながら今も曲作りをしているところがあると思います。
「夏の夜」を原体験に、曲を作ることで“救われて”きている。
そうなんだろうな…って最近、改めて実感しました。去年、出したアルバムが『Redemption』っていうタイトルで、“救い”とか“償い”とか、色んな意味がありますけど、改めて…曲を作る時・曲を聴く時に、無意識に求めていたことだったんだなと思います。
原体験が、最新アルバム・今に至るまで続いている。
そうなんです。「夏の夜」の頃に求めていたような“救い”を、どこかで追いかけながら曲を作っていたし、これまでの音楽活動の中で手を差し伸べてくれた先輩たち…地元で大きな地震があって、大変なことが起こった時に真っ先に駆けつけてくれた先輩だったり、自分の周年の時に駆けつけてくれる先輩だったり。そういった先輩たちと作った作品が『Redemption』で。本当に、自分の作りたい形に落ち着きましたね(『Redemption』楽曲のセルフライナーノーツを里菜ちゃん自身が公開していますので、こちらも是非)。
楽曲を聴くだけでもアルバムタイトルになるほどと思えていたけど、こんなお話を聞くと、そのタイトルにさらに唸っちゃいますね。
うふふ(笑)、ビビッと来たんです。タイトルをどうしようかなぁ、って悩んでた時に、ボブ・マーリーの「Redemption Song」だ!って。アルバムの全曲が出揃った時、スタッフさんが“これはレベルミュージックだね”って言ってくれて。レベルミュージック→レゲエ→ボブ・マーリー…って、連想して繋がっていきました。
最初から“redemption/救い”といったコンセプトでアルバムを作ったわけでもなかったのね?
そうなんです、自分の琴線にふれる曲たちを形にしただけだったのでそういうアルバムを作ろうとは全然思ってなかったです。だから、再発見・再認識じゃないけど、このアルバム制作を通して、自分にとっての歌って?表現ってなんだろう?というところに立ち返った感じがしました。「夏の夜」の時も今回のアルバムも“歌”に求める気持ちは一緒だけど、(アルバムを作って)ツアーにも出て色んな過程の中で自分にとってその時々に必要な、大切な人や場所、気づき、ご縁を得て今、ここにいる。だから、そういう人や場所や気づきが、これからに繋がっていくんだなって思ってます。
音楽を生み出し表現する上でも、人や場所・気づきやご縁は片平里菜にとって大切なものだと。
そうですね。1人では生きていけないっていうことに改めて気付かされているし、だからこそ身の回りの人や場所、生きている環境とどう向き合っていくかっていうことを、これからも考えていきたいなって思ってます。
1人では生きていけない?
無理、耐えられない(笑)!昔は、人との関わり方が分からなすぎて孤独を選んでいたところがあったけど、今はもう、1人は無理。閉じこもるんじゃなくて人と関わって、色んな出会いを経て。自分の気持ちがどんどんオープンになっていって、以前より軽く、柔らかくなったなぁって思います。
でも自ら人と関わっているところが今やあるよね、今回のツアーの本数も多くて(笑)。
うん、おかしい数ですよね(笑)。だから本当は…そこに飢えてきている自分だったと思うんですね。“1人ぼっちだ”とか“人が怖い”っていう幼少期から、きっと…きっと、飢えてたんだと思う。本当は人と関わって、一緒に生きて、楽しい時間を過ごしたい。そういうところはあったと思うし、皆、そうなんじゃないかなぁ、って思う。
過去の自分をもさらけ出して今、笑顔で話せて生きる片平里菜は素敵です。現在も、全国47都道府県・51箇所を周るツアーがまだ続いてはいる中ですが、どんな出会いがありました?
宮古(@KLUB COUNTER ACTION MIYAKO/岩手県)で、中村旭ちゃんっていう小学生の女の子が私の歌を歌ってくれて。ツアーの対バンで出てくれたんですけど、素晴らしかったですね。
今回のツアーは全国を細かく回って、全箇所で地元のアーティストに出演してもらっていて、私の音楽を青春時代に聴いていて“初めてカバーしたのが片平里菜さんです”とか、“今も好きです”とか、“歌うきっかけは里菜さんです”みたいな子が結構、いらっしゃって。こういう人たちが私の音楽を聴いてくれてたんだ、っていうのを身にしみて実感したし、色んな音楽に影響を受けながら独自の、自分だけの音楽を作ってステージに立っている姿に感動しました。出会い、そして再会もあって、自分の音楽活動を改めて実感している感覚です。
すごいことだよね。
すごい、ですよね。きっと…前の私の環境と、今の私の環境って、全く違って。(今回の対バン共演者が)曲を聴いてくれていた頃の私は、テレビに出演したりメディア露出も多くて、ちゃんとお化粧して着飾ってキラキラしてる。そんなパブリックイメージがあったと思うんだけど、今やっている音楽活動は、そういった世界から比べたら地味で地道だと思うから…あの時、彼ら・彼女たちが見ていた片平里菜像と今の姿って、ちょっとギャップがあるのかなって思ったりもするんですけど、逆に今の方が私は素に近いし、本当にやりたいことをやれている。地方のライブハウスを回って“こういう活動の仕方もあるよ”って、何かを感じてもらっていたら良いなっていうのは思いましたね。
勿論メジャーで華やかにやることも素晴らしいし、“バズりたい!”とか“売れたいんですよ!”っていう人もいると思う。でも、そうでなくとも。こうやって楽しく、色んな街の人と関わりながら音楽するのも良いよ、っていうのを見せられている感じがするのは良かったかなぁ、って思います。
でも改めて今、里菜ちゃんがやりたい形で音楽をやれているのは間違いわけだし、これまでがそうではなかったという意味ではないのだけど、今すごく地に足をつけて音楽をやっている姿に見えてます。
そうですね。そういう先輩たちを見てきたせいか(一同笑)。
迫ってきた野音でのツアーファイナルは、そんな先輩たちも一緒にステージに出てくれますよね!
そうなんです!今回のアルバムに参加してくださっているOAUと、おおはた雄一さんにセッションゲストで参加していただいて、オープニングアクトで磐城じゃんがら遊劇隊の皆さんにも出演いただきます。
【「③片平里菜にとっての大切なことば」に続く/近日公開予定】