③『おおつちありがとうロックフェスティバル』実行委員長・岡野シゲオの座右の銘
【「②ありフェス実行委員長・岡野シゲオの大切な1曲は?」から続く】
シゲオさんの座右の銘や、大切にしている言葉をお尋ねしましょうか。
大好きな言葉があって、「この世の中の全てのものは必ず誰かの手によってデザインされている」。ネジ1個にしても白いガードレール1本にしても、建物や道路にしても、誰かがデザインしてます。
ありフェスも、12年間存在してきていよいよラストを迎える。止める理由も色んな人から聞かれるし自分で発信もしてるんですけど、“復興フェス”というところから上には行けなかった、というのが1つにはあるんですよね。復興のためのフェスだからと力を貸してくれる方もいるわけで、そうなると“いつまで続けるの?”って思う方もいるわけで。未来へのトライを続けてきた中で、4年前にそろそろ限界だなと思いました。(ありフェスを)やっている意味というのが重要なわけで、大槌町にどう必要で大槌の人がどう求めているのか。そして関わっている人がどう考えているのか。僕は、この状況のまま続けていってもプラスになるものはない、という判断だったんですね。
でも、僕の中では“復興フェス”だけのつもりはなかった。大槌になかったものを自分たちの手で、全て、新しく作りたい。Tシャツのデザインから映像まで全部、自分でやってますけど、パソコンの電源の入れ方も分かんないのに“デザインやるならMacでしょ!”って(一同笑)買って、グラフィック1つにしても、今まで町になかったものにトライしたかった。
町になかったもの…音楽が好きな連中が周りにいっぱいいたし、下玉利元一(盛岡・いしがきミュージックフェスティバル運営委員長)という人間がアーティストと一緒に(復興食堂の活動で)大槌に入ってきた。そこから「ありフェス」に繋がっていって。それで、「ありフェス」をやるなら毎年、必ずストーリーを決めてやろうと決めたんです。アーティストに来て頂いて毎年開催する、それじゃあただの運動会だと思ったんで。
僕は洋服が好きでパリコレクションとかの情報を見てものすごく刺激を受けるんですよ、シーズンによってテーマが違うから情熱とパッションが毎回、違う。それをやりたいなと思ったんですよ。だからありフェスには毎回、テーマがある。アーティストを見に来てる人は毎回同じじゃねーか、って思ってるかもしれないけど、やってる側は全然違うんです。そういう意味で、ただ“復興フェス”としてやってきたわけでは、ない。
ありフェスも1からデザインをされたものであると。そんな今年のありフェスのテーマは“LAST STATION/WE CAN CHANGE”。
石川の地震を見ても、楽しいお正月の日にあんなことが起こったんですよ。だから明日はどうなるか分からんのです。そう考えた時、皆で集まって1つの船に乗って一緒に未来に行こう、今まで繋がってきた縁が形を作って、今回は方舟に乗り込んで出発する最後の駅だよ、っていう。
毎年テーマがある、ということで考えれば。テーマを“復興フェスからの脱却”に変えて、存続していくことも可能なのでは?と思ったりしますが?
そうなんです。でも12年存在したというだけで十分だと思うんですね。実は毎年、ありフェスは振り出しからなんです。去年ここでやれたから今年もここで、みたいなことがない。ここで工事が始まるからとか担当者が変わったとか、場所ひとつにしても一(いち)からだし、逆に思うのは、小さい町だからこそ難しい。“〇〇フェスって言ったら、ここじゃん!”みたいな場所が、大槌には存在しない。
前に、OKをもらった場所なのに開催1ヶ月前ぐらいにキャンセルになって。どうすんの!?って揉めたことがあるんです。何とか終わった後、打ち上げでTAISEI(SA)さんに“お前らが、ありフェスをやりづらくなる方が嬉しいわ”みたいなことを言われたことがありましてね。
……ほう?
TAISEIさんも酔っ払ってんのかと思った(笑)んですけど、何でですか?って聞いたら、“フェスをやりづらくなっているということは、町が生きてきてるっていうことだろう。1回消えた町が、生活が出来てきてるっていうことだろう。場所がないっていうことは、普通の生活が出来てきてるからだろう”って。なるほどな…って、言われた時にドキッとしました。
それで、“復興フェス”であるということを受け入れて進むしかない。逆に、ありフェスが終わる理由を考え出したのもそれからなんです。もし復興フェスでない文化の1つとしてこれからもやっていくのであれば、ありフェスの名前は変わるべきだし、新しい人間が新しく初めても良いと思うし。
震災になんか負けない、って意固地になって1日1日を生きてきて、俺らは“助けてくれ”とかも1回も言ったことがない。強がってやってきたところもありましたけど、TAISEIさんにそう言われた時に“そうだな、もう、いいかもなぁ”って。やろうとして動いてきた(今までの)努力が大事ですよね。
自然に消滅するものなんか、世の中にはいっぱいある、人の愛も力も借りてやってきたのにHPだけで“こういう理由でやめます”みたいなものもいっぱい見てきた。でも「おおつちありがとうロックフェスティバル」の散り際として…もう1回、ちゃんとやらせてくれ、って。最後に胸を張ってやれるって言える、“LAST”って掲げてね。それを選べたことがね、誇らしいし感謝しかないですよ。色んな人のご支援、手助けに。なので最後、乗り切りたいなと思ってますので。ご協力をよろしくお願いします!
“LAST”を、ちゃんと形にする。素晴らしい。
物事を続けていくのは大変です。例えばスポーツ選手とかは毎年、そのシーズンの開幕に向けて調整してトレーニングして、って毎年、同じことをやっていくというか。同じことをやるのがベースなんで、さほど難しくはなくて…って、難しいんですけど(笑)。考え方によっては、続けるより“辞める”という決断をして皆に伝えて、辞めることを掲げて試合に挑むことの方が、つまり“辞める”ことの方が、すごく難しいと思うんですよ。
ありフェスも4年前に“やめる”って発表したらコロナ禍に入っちゃって止まっちゃって、“何で辞めるの?”って聞かれて答えるのが面倒くさいなって思う時が正直ありますよ。辞めるって根性がいるんですよ(笑)、でも辞めるって言えるのも幸せなことですし、(最後の開催が出来るのも)皆さんのおかげですからね。
惰性でも続けている方が楽な場合も、確かにあるような気がしますもんね。
そうでしょう?でもそれだと、ありフェスは僕らが始めたものだということに対しての責任、っていう部分がね。震災がなければおそらく、大槌町にありフェスはなかった。文化を作るには相当な覚悟が要るし、ハードに動き回って色んなことをして、ありフェスのことを1年中考えてますからね。
例えば盛岡にはいしがきミュージックフェスがある、それを作るって本当にスゲーなって(ありフェスをやったからこそ)思うし、だからこそそういうものはそういう人たちに任せるべきだなぁって思う。(ありフェスは)ハートと情熱だけでやってきて、物事を10何年も続けるなんて、中々ないですよね。
ちなみにシゲオさんが生きてきた中で長く続けていることってあります?
うーん、何だろうな?洋服か、好きなブランドを30年着続けてるってことぐらいじゃないかなぁ。でもそれって生活の一部ですもんね(一同笑)。あ、あと友達だな。これも長い間もう、ずーっと一緒ですから。ほぼ家族(笑)!カッコいいでしょ!
そうだ、YouTubeで俺が喋ってるラジオがあって。それもね、続けてるんでぜひ聴いてくださいね。毎週やってて、ありフェスの話は聞いてもらえるんだけど、俺のランニングの話とか未解決事件の話とかもね、面白いのに誰も聞かないから(笑)。
【「④岡野シゲオが描く、これから」に続く/5月31日公開予定】