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②One Controlの生みの親・川村朋和さんのそばにある1曲

どこにいようが世界を相手に勝負できると思わされるインタビュー①の話からの続きで。ヴィンセント・ギャロも購入した機材等々、どのように手に入れていたのでしょう?
普通にヤフオクとか、東北全てのハードオフはぐる~っと回って買い漁ってまして、BeeBaaもそれで見つけた…かもしれないですね。
それがスタートで、(自前の)ウェブサイト等もなく、ただeBayで物を売るということだけでした。そしたらeBayでの販売を通して仲良くなったアメリカの友達から“自分でエフェクターを作っていて日本で販売したい、製作を始めたばかりだしどうするべきかよく分からない”と言われて。そんなの私もよく分からないけど(笑)、日本で売る手伝いを始めましょう、と。それで始めたのが今のウチの会社・LEP INTERNATIONALになる、という感じです。
初めて仲良くなったその友達はマット(以下もこの通称を使用/本名:Matthew Holl)って言うんですけども、彼が作ったブランドは、その後すごく人気が出て。彼のエフェクターを気に入ってくださっていたのが、ナッシングス(=Nothing's Carved In Stone)の生形(真一/ELLEGARDEN)さんで。その2人のコラボが先日、発売になったんです。

なんと!?そんな背景があったとは…!
そうなんです。15年越しで大きいことが出来て、それぞれに対して恩返しが出来たと思ってますね。
マットとの馴れ初めをもう少し詳しく聞きましょう。
ヴィンテージのエフェクターの写真を交換しながら“俺はこんなの持ってるよ”とか、メールでやり取りをしてました。
それで“こういうエフェクターを個人で作っているけど、日本の人にまだ売れたことがないから買ってくれない?”みたいなメールがあって。全くの個人製作で、当時は家のキッチンで作ってるような状態でしたね。買ってみたらすごく良い物だったしそう伝えたら、“もし売れるのならもっと作るから(日本で)売ってくれないかな?”って。スタートはそこからですね。今は、マットの方も会社(社名:Wren and Cuff)になって。
それで川村さんがLEP INTERNATIONALという会社を立ち上げたのはいつになります?
2004年の春にBarをオープンしてから(インタビュー①参照)、2007年12月に法人化しました。自分の(エフェクター)ブランドもなくて、マットが作ったエフェクターを日本で売るための場所を作りたい、という感じで。

マットとのツーショット☆
お互い起業して今なお
お付き合いはつづいています
しかもマットも柔術をやっているそう
音で繋がったご縁に夢しかないですね🎶

マットのエフェクターを売るにも営業をしなくちゃいけないと思うんですけど、どうやってましたか?
これはですね…足を使った営業というのはやっていないんですよ。当時はブログ全盛時代で、ブログを通して“ここが良い”みたいなことを書きまして。正直そんなに売れるとは思ってなくて自分のウェブサイト・オンラインショップでちょこっと売れたら良いなと思っていたら、日本全国の楽器屋さんから“販売したい”と連絡が来まして、メチャクチャ売れまして。
不思議なのは、当時のブログだと今のように動画はないはずですし、文字だけで音の良さは伝わりにくい…と思うのですが。
YouTubeも当然ない時代でしたから、言葉でどう表現するかと。雰囲気としてはちょっとしたソムリエ気分でした(一同笑)。例えば、歪みの音をどう言葉で表現するか。“近い表現って何だろうな?”って、言葉でいかに伝えられるかということをずっと考えてやっていましたね。(その当時は)忙しくてライブとかに出かける暇も全然なかったですし、私の仕事は大アンダーグラウンドでしたよね。営業していない真っ暗なBarの中で、パソコン1台でやっている感じでしたので。
ではマットのエフェクターが売れて、次はどんな展開を?
エフェクターを作る友達とエフェクターのことしか話さない時期が2~3年続くとやっぱり、自分でも作りたくなるんですよ(笑)。それでエフェクター仲間に相談したりしていたら、“これは何か出来るかもしれない”と思って。でも、もしやるんだったら、他の人とは違うやり方をしないといけない。そう思って、中国に行くんです。
え!?
やるんだったら、中国で工場を作って世界一のブランドを作りたい!と思って。今考えると大迷惑だと思うんですけど、その頃に偶然知り合った中国人の友達がいまして。当時、その友達も中国でエフェクターブランドをやっていて、“何か一緒に出来ないかな”っていう話をして。その友達に会うために“視察をしたい”って中国に行って。(工場の)物件を探しながら、“ここに工場を作るから、(中国人の友達に)社長をやってくれ”っていう感じの話をして。“よく分かんないけど、まぁ分かった”って、それが2010年3月のことなんですね。2024年の今・現在もその人と仲良く仕事をさせてもらっていて、中国での工場長・現場責任者という形で仕事をしてくれてますね。
考えが中国に飛んだのは?
“大きく出たいなら中国だろう”と。私も当時の思考回路がよく分かんないんですけど(笑)、もし今、そういう人がいたら私は絶対に止めますけどね(一同笑)。当時の気運だと思うんですけど、あの時はとにかくそう思って、中国に行きましたね。
仮に工場建設ということだけ考えれば、岩手も広大な敷地がありますし日本語で出来るし、ですけどね?
あ…そうだそうだ、それは自分的にワクワクしないなと思っちゃったんです、当時。誰もやってないことをやろう、って考えた時に“いきなり中国に工場作っちゃったら面白いんじゃない!?”みたいな感じのノリだったと思いますね。

ギタリストのトモ藤田さんを囲んで
中国スタッフの方&
スウェーデン設計士の方と☆

そのノリは最高です(笑)!2010年3月に工場が…ということは、その1年後に東日本大震災があった、ということになりますね。
はい、自分の(エフェクター)ブランド・One Controlの設立記念日が2010年3月11日なんですね。中国に訪問した日を記念日にしたので。なので、“(2011年になって)設立から1年経ちました、ありがとうございます”というのをTwitter(現・X)に呟こうと思った時に地震があって。設立記念日を素直に祝えない…というのが続きましたね、“周年祭”といったようなものも。もう、それどころじゃなかったですから。
(本社は)花巻で、パソコンが壊れたりとか棚から落ちて商品が駄目になったとかはありましたけど、テレビで見る被害に比べたら私たちなんか、という感じで。自分たちの被害については何とも思ってないですし、(震災後)1週間ぐらいは何も出来なかったですけど、確か4月には新しい社員が入ったりとか、出張にも行っていた気がしますしね。
2010年3月に中国に行って工場を建設して、初めてエフェクターが世に出たのはいつでしょう?
2010年の9月に日本で発売を開始しました。反響も良かったですし、結構売れましたね…って、話していくと思い出すんですけど、RYOSUKEくん(FUCK YOU HEROES他ベース/STEP UP RECORDS主宰)が最初の商品を買ってくれまして、それを今でも使ってくれてるんですよ。“壊れた~”ってこの前、持って来たんですけど、“もう古いから新しいものにした方が良いんじゃない?”って話したら、“これは思い出のものだから、直してどうしても使いたい”って。それで恐らく、今も使ってるんじゃないですか…ね?RYOSUKEくんと私は同い年で、RYOSUKEくんも(レーベル)社長だし、結構いろんな話をしながら仲良くさせてもらってますね。

【川村朋和/LEP INTERNATINAL代表】
 岩手県生まれ 岩手県在住
One ControlEffects BakeryAnimals Pedalといった
オリジナルのエフェクターブランドを主宰する

趣味はブラジリアン柔術
 好きな食べ物はプリン

では2つ目の質問で「川村さんの側にある1曲は?」と聞かれたら?
聴いている回数が一番多い曲は多分…電気グルーヴの「FLASHBACK DISCO」(1999)ですかね。最初に聴いた時にもう、びっくりして。本当に革命的なトラックだったし今でもずーっと聴いていて、すごい中毒性だなと思いますね。電気グルーヴの音楽に出会って以降、CDは必ず買ってますしね。
その“中毒性”をあえて言葉にされるならば?
そうだなぁ…“音が見える感じ”、音なのに視覚化。この曲は1曲で、色んな色だったり風景が見える。こんなに色んな色が見える曲っていうのは私の中では他になくて、何かあった時にこの曲を聴くと色んなことが思いついたりとか考えられたりとかするんですよ。
電気グルーヴが何で好きかと言うと、今まで聴いたことのない新しい音を音を聴かせてくれる。そういう世界観とかマインドとかに惹かれてるんじゃないかなと思うんですけどもね。今年が(結成)35周年ですけど、今も第一線で。今聴いても新しいと思えますし、本当にすごいなという思いしかないですね。
“音が見える感じ”と仰いましたけど、そういう感覚って少なくともわたしにはないんですよ。音は聴くものであって…?
いわゆる“共感覚”というものだと思うんですけど、“この人のギターの音は茶色だな”とか“オレンジだな”とか、エフェクターを作る人の中にはそれを共通話題として喋ることが出来たりするんですよね。何となく…色が見える。それで、自分が見える音だったり聴こえる音を、(エフェクターを)発売する時に出来るだけ一番近い色のパッケージにしてリリースしてますね。
ギタリストも多分ですけど、何となく色を持ってると思いますね、“自分の色は何色なのか”と。ギタリストにその話をすれば分かる人も多いし結構、盛り上がる話じゃないかな(笑)?
では例えば、先月のインタビューに出ていただいた佐藤和夫(SaToMansion/TEXAS STYLE)さんのギター音ってどんな色でしょう?
(キッパリと)黄色ですね、黄色っぽい。赤でも茶色でも黒でもない、私にはそう見えますね。オレンジや赤、茶色だったりの人が多いと思いますけど、黄色とか、何となくそういう色の人って、あんまりいないんですよ。

【「③「川村朋和さんが大切にしている言葉」に続く/10月18日更新予定】

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