アニクラ露出問題はやり過ぎなので論破していく
どうも、あつあつ刑事です。
今回は個人的な話。アニクラでのゴーゴーダンサーの露出はやり過ぎであるか否かの話がモヤモヤするので、整理も含めて書いていきたいと思います。
冒頭からこんな調子なので主観的な文章になるでしょうけれど、結論から言うと個人の快、不快を公共的な善悪に落とし込んで論とするのは間違っているんじゃないか?という話です。
経緯
大阪某所の某イベントで鬼滅の刃の人気キャラに扮したゴーゴーダンサーが過度な露出パフォーマンスを行ったことに一般客が物申した事を単にアニクラ恒例行事の学級会がスタート。
TLが大荒れに荒れたそんな1日が2020年3月17日頃の話です。
この後、パーティー主催者が謝罪し、比較的さっぱりと終わりました。
幕引きに関しては非常に綺麗でしたね。合理的な判断で素晴らしいと感じます。
問題点の整理
さて、この話題はレイヤーが露出するしないのコスプレの文化的文脈とゴーゴーダンサーの露出は決して交わらない平行線の二元論的な話に集約されがちです。
平行線なのでどちらの文化も尊重されて然りなので、TPOに応じて使い分けましょう。
って何だそりゃって話。
TPOを誰が定義するんだ?レイヤーか?客か?主催か?責任の所在が曖昧なまま、主催がババを引かされてインターネット上で魔女裁判が始まる様相は狂気の沙汰であり、現代文明社会の敗北です。
なので、今回の問題点は文化的な齟齬ではなく、個人の快・不快を是正する事で公共の利益につながるような集団リンチに仕立て上げた所が問題点だと考えています。
はっきり言って1つずつ紐解いていけばこのツイート、詭弁でしかないですからね。
問題のツイート
という事で、このツイートの問題点は5点
**・個人の願望と公共の利益を一緒くたにして語っていること
・法の観点からは問題ないのだが?
・そもそも他人様の顔写真を載せるな。貴様もルール違反じゃ
・不満があるなら直接主催者に伝えるべき。ハッシュで晒し上げする必要はあったのか?
・男の上裸や男体化はいいのか? **
・個人の願望と公共の利益を一緒くたにして語っていること
さて、何故個人の快・不快が公共の利益につながるように誘導されて見えるか、という話。
皆を盛り上げてるのは分かるけど鬼滅ファンとしては正直止めて欲しい、、、。(露出してるキャラならえーけど)
未成年も参加してるの分かってるやろうに何を考えているのとも思う
さて、皆様はお気付きになりましたでしょうか。
「鬼滅ファンとしては正直やめてほしい」
これは個人の願望を表しています。
一方で、
「未成年も参加してるの分かってるやろうに何を考えているのとも思う」
これは公衆衛生や社会秩序の観点からNGではないか、と言う疑問の提示の仕方をしています。
あつあつ刑事が常に申し上げている主語の肥大化が起こっているわけです。自分が駄目であると思っていることをみんなが駄目って思っているというのは非常に危ういです。
・法の観点からは問題ないのでは?
今回の会場となったクラブハウスではIDチェックがあり、18歳未満の入場は原則お断りとなっています。
各都道府県で規定されている青少年育成条例では基本的にクラブには出入りができない上、2020年の新型コロナウィルスの流行懸念からの外出自粛要請の事情を鑑みて、分別のついた男女が同好の士と楽しく交流しているだけでしょう。
あぁそうそう、ここから一歩踏み込んでセクハラの概念を持ってきて戦おうものなら他のレイヤーやオタク関連の文化にツイフェミが食ってかかってきて、まとめて対消滅を起こすと思います。
・そもそも他人様の顔写真を許可なく載せるな。貴様もルール違反じゃ
そもそもこのツイート、ゴーゴーガールの人に許可を取ったんでしょうか?思いっきり顔が乗ってます。
未成年も〜とツイートしていますが、不特定多数の全世界にこの写真を貼りつけている時点で前提の理論が崩れています。
あまつさえ、イベント批判、レイヤー批判って下手したら営業妨害で訴えられてもおかしくないですからね?社会的な罰を受けるのは貴様だ。
・不満があるなら直接主催者に伝えるべき。晒し上げする必要はあったのか?
では、実際イベント改善したいと思うのであればどうするべきだったか?と言えば運営とコンタクトとって話し合いが筋でしょう。
・男性の上裸やキャラの男体化はいいのか
ここはもはやギャグですね。該当ハッシュタグを追っていくと上裸のコスプレ、男体化コスプレなど、レイヤーの文脈からするとセンシティブな表現が見受けられますが、そこに関しては都合の良いように目を瞑っているわけです。
ゴーゴーダンサーは乳首出してたわけでもパンツ脱いでたわけでもないのに全世界に写真をさらされるほど悪いことをしたのでしょうか?罰がエスカレートしていますよね?
排除の先に待つものは統制と孤立
と言う事で好き放題書いて行ったわけですが、何故こんな事を書くかと言うと、嫌いなものを排除すると自由は無くなるからなんですよ。
現在、私が住んでいる香川県はゲーム・ネット規制条例が可決し、今年の4月から施行の見通しです。
民主主義的な観点からも、議会政治的な観点からも逸脱した行為であり、インターネット上では非常に多くの指摘がありますが、その中のいくつかに「パチンコやうどんの規制もしなくては!」という事が書かれています。
冗談か本気かはさておき、日本人の多くは「私が不快な思いをして我慢をしているのだから、あなた達も等しく我慢をすべきだ」という同調圧力をかけがちです。
でも、パーティーは違う。
そもそも、大きいフロア、大きな音、大きな画面って独り占めする為に大きいわけではなくて、感動や喜びを分かち合う為に大きく作ってるわけなんですよ。
公共益のために我々は何か改善しなくちゃ、と思いがちではあるんですが、何も変わらないこともまた一つ勇気なわけです。
誤解しないでほしいのはこれは1人がみんなの為に我慢をしろと言う事では無く、正規のプロセスに則ってやんなさいよ、って言う事です。1人で対応できないなら賛同者を募って連名で抗議しても構わないです。
ただ、少なくとも今回のこれは瞬間的な反射で投稿されたものであり論理的とは言えない上にパーティーオーガナイザーに謝罪させたと言うのは大きいポイントだと思います。
適切なやり方を取らないと、最後に待っているのは規制や統制、そして雁字搦めになった状態での孤立です。香川県から脱出して徳島に移住するって本気で言ってるやつもします。
そうなってしまってはもう遅いのです。