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優れたDJの見分け方はDJ論ではない

どうも、アツアツ刑事です。

はてなブログに投稿された1つのポストがDJ界隈を賑わせていました。
http://senotic.hatenablog.com/entry/howtofinddj#%E6%9B%B2%E7%B9%8B%E3%81%8E%E3%81%AE%E6%8A%80

優れたDJの見分け方というキャッチーでセンセーショナルなタイトルはあらゆるDJの耳目を刺激してきた事に違いないでしょう。
最終的にはいつものように大喜利になり、問題提起の本質は遥か彼方へ葬り去られましたが、このポストの最後に著者が述べている危機感故に発言をしていると言うことを無視しては成立しないような気はします。

DJへの警鐘の意味もあるが……

炎上した当時の意見は以下の2つ

・客のくせに偉そうな…!
・pcdjの普及で玉石混合になっただけでは?

・客のくせに偉そうな…!

思っても言っちゃダメなやつ。
筆者はこういうDJがみたい!と条件提示を行った上で、事細かに参考のプレイスタイルについて紹介もしています。

牛角のアンケートなら5万円くらいもらえそうな優良カスタマーに匿名で(やろうと思わなければ)足がつかないからと言って好き放題するのはエンターテイナーの風上にも置けません。

強烈な意見に初心者は萎縮する等の話も見受けられましたが、1番プレッシャーに感じてるのは初心者ではなく、RTに対し呟いた我々ですよ。

・pcdjの普及で玉石混合になっただけでは?

配信イベントで活躍するDJについて同じ顔ぶれで、ネームバリューだけでのブッキングに言及している以上、我々一般プレイヤーだけではなく、プロDJにも牙が向いています。

あと、うまいDJは弘法筆を選ばずと言うか、キャリアもそれなりに長いので、どんな機材でもそれなりに成果を出します。

残念な事ですが、筆者をギャフンと言わせるには我々はもっと努力しなければならないわけです。

もっとも、ギャフンと言わせる程、情熱に溢れたプレイができているなら、こんなつまらない事に目くじらは立てないわけですが。

問題をミニマムにしすぎている

さて、今回の何が悲しいってよってたかって大喜利にする前に中堅プレイヤーや職業DJが初心者を盾にして自己保身を図ったところです。

クラブの営業再開も完全とは言い切れず、いつ締め付けが行われるかわからない政府発表に怯えて相当なストレスがかかっているんだなと感じます。

今年1年の一連の騒動で浮き彫りになったのは自己責任論を端に発する社会の分断です。

多様性と言えば聞こえはいいですが、我々は生きるのに精一杯で隣人の生活を気にかける余裕がないほど我々は追い詰められていると言ってもいいでしょう。

余裕が無いことを言い訳にして誰かが何かにつまづけば、原因は己にあると言う自己責任論で傍観する立場を正当化しがちであります。

今回の優れたDJという話が炎上したのも、DJが面白く無いのはお前らDJが下手くそだからだ!と受け取った人が多かったからだと思います。

これを書こうと思ったのは、危機感からです。私の観測範囲では、ごく一部の人を除いて、レベルが下がってきている気がします。DJを聴いて批評する人がいないからだと思います。外タレが来日できなくなって、ローカルの実力あるDJにチャンスが回ってくるかと期待しましたが、結局国内でも集客できる(正直上手いとは全く思えない)DJがブッキングされるようになっただけです。
優れたDJの見分け方-電子計算機舞踏音楽-

目次に整理されていない最後の項目の引用から本来読み取るべきは、DJ個人に対する横柄な振る舞いではなく、現在の日本のDJ業界に対する陳情と読み取るべきでは無いでしょうか。

DJに対する批評という側面も勿論ありますが、結論を見ると、配信イベントのブッキングで足りないポイント(こういうDJをもっと増やしてほしい!)を指摘した記事だったように思うわけです。

草野球を楽しんでいる人に、トレーニングして上を目指そうとは言いませんが、それとは別に才能を発掘し、競争する場がなければ、プロに育たないと思います。日本にプロ野球がなく草野球しかないとしたら、才能ある子は野球留学するしかなくなり、その状況で野球ファンが育つでしょうか。track makerのライブセットもレベルが下がっていると、個人的には感じています。私の目が肥えたからではなく、昔のライブセットと比較してそう思います。
優れたDJの見分け方-電子計算機舞踏音楽-

引用から読み取るべきもっとも大きな問題は、現在の日本では売れてる奴でしか大きなパーティーのラインナップを組めないという現状です。

私自身は大きな配信イベントでのブッキングは別に忖度だとは思っていませんし、とても楽しく見ました。

絶対にコケられないという状況の中で最善のパーティーであったことは間違いないのです。

ただ、あれは私達が知ってるDJパーティーではなく、どちらかと言えば音楽フェスです。グルーヴを紡いで…みたいな要素の楽しみ方ではなかったわけです。

ほんなら、フェスにDJパーティーを求めるのはおかしいんじゃ無いか、と筆者に詰め寄ることは可能です。

ただ、そうしたら我々は一体いつDJパーティー的な楽しさを享受できるようになるのか、と考えると我々は立ち止まらざるを得ないのでは無いでしょうか。

つまるところ、この優れたDJの見分け方はリスナーもプレイヤーも業界も一緒になって考えなければならない問題定義であり、分断と自己責任の中に埋没させるべきでは無い、巻き込んで提示するべき問題であったと言えるでしょう。

おわりに

他人の問題を自分ごとのように捉えると言うのはDJという人種が周囲に理解されにくく、それなりに肩身の狭い思いをしてきたから、という事もあるかもしれません。

しかし、共感力の高さが人をシバく為の棒になってはならない事を忘れてはいけません。

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