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小学生の思い出

YouTubeで何気なくみた動画がきっかけで、小学生の自分について思い出した。
その動画の内容はざっくりまとめると、カースト上位の女の子が罰ゲームでクラスの知的障害の男の子と10日間付き合うというもの。毎日顔を合わせるうちに結局お互い好きになっちゃって本当に付き合うのだが、男の子が事故にあって亡くなってしまった。という感じのものだ。下記にリンクを貼っておくので、気になる人は後で見てほしい。

この動画の内容と小学生というのはあまり関係がない。ここで思い出とリンクしてくるのが障害者というところだった。この話のようにドラマチックでもなければ、オチもないのだが思い出したのだから仕方がない。とりあえず語っていくとする。

小学生時代の私

イオン(当時はジャスコ)すらないような田舎で生まれ育った私。自然に囲まれてのんびりのびのび過ごしていた。家はどちらかといえば貧乏だったけど、毎日ご飯は食べられていたし、ひもじいという感じもしなかった。普通の小学生だったのだけど、大人になって振り返ると障害者とよく関わっていたんじゃないかと思う。
小学科は全校で大体500人前後くらいの規模で、町では1番大きかった。みんなの学校にもあったんじゃないかと思うけど、特別支援学級というのがあって、障害者のある子たちが各学年に数名程度ずつ在籍していた。なんj的にいえばひまわり学級的なやつ。
ほとんどの人は関わらないだろうし、場合によっちゃイジメの対象だったかもしれない。ただ、私はひまわり学級の子たちとよく遊んだ。家に帰ってからその子たちと遊んだり、時々教室に遊びに行ったりもしていた。別に他に友達がいなかったわけじゃない。クラスのカースト(当時はカーストなんて言葉なかったけど)最上位の子や女の子でも特に偏ることなくみんなと遊んでた記憶がある。今の自分と比べると全然違う気もするけど、友達はすごく多かった。
じゃあ一体なぜ関わりがあったのだろうかというお話になってくる。

障害者の子達と関わった理由

理由なんて書いたが、大層なものではない。単純に近所だったからだ。小学生の時、朝は集団登校という形で近所の子達が集まって登校していた。登下校の班にひまわり学級の子が2名いたのだ。1人はN君。2つ年下で電動車椅子に乗っていた。手足に麻痺があらような子だった。もう1人は同い年のO君。O君の障害が何なのかは正確にはわからないが、なんらかの発達障害だったと思う。この2人が近所だったから、よく一緒に遊んだというだけなのだ。特別私が人権意識が高かったわけではない。単に日常だった。
ただ、今になって思うことが一つある。それは、私が誰よりもニュートラルであったという点だ。障害者だからどうこう。というのを考えた事は一度もなかった。N君やO君が障害者だという認識はしていた。でも、それだけのことだった。読んでる人には伝わりにくいだろうからもう少し詳しく説明すると、単に障害者という事実や情報でしかなかったという事だ。障害者だから優しくしなければいけないとか支援が必要とかは全く考えていなかった。メガネかけてるやつがいると、あいつメガネやなぁって思うくらいの意味しかなかった。
小学生でこのニュートラルな考え方をしていた自分、今ならとてもすごいことだったなと思う。小学生でこれができる人間あまりいないんじゃないだろうか。大人になればもっといなくなるかもしれない。
大層なことを言っては見たが、平たくいえばなんも考えてなかっただけに過ぎない。

N君と遊んだ思い出

N君は車椅子で年下だった。彼とは1番家が近かったから本当によく遊んだ。家に行ってゲームしたり、外で一緒にドッヂボールやサッカー、野球もした。お泊まりもした。本当に普通に遊んでいた。ゲームはもちろん、ドッヂボールになれば思いっきりボールを投げた。でも、彼は投げるのは得意じゃなかったのでその辺りは上手にルールを作って楽しめるようにやってたような気がする。登下校も毎日一緒にした。歩道の段差は毎日押してあげた。小学校の前にものすごく急で長い坂道があり、電動車椅子のパワーでは登りきれなかったので毎日押していた。お陰で車椅子を押すのが今でもめちゃくちゃうまい。これを、障害者だから助けてあげなきゃ。という気持ちは一つもなかった。単に友達が困ってるから助けようという気持ちだった。N君もそこに申し訳なさとか障害者という後ろめたさはなかった。単に友達に助けてもらったことへの感謝しかなかったように思う。
歩けないと大変だろうなとは思ってたけど、友達として遊ぶ分には気にする要素にはならなかった。

O君と遊んだ思い出

O君とも家がそれなりに近かったのでよく遊んだ。そして、彼の家にはゲームが沢山あって彼もゲームが好きなので半分ゲーム目当てにO君の家に遊びに行った(私の家にはゲームがちょっとしかなかった)
O君は知的障害者だという事を情報としては知ってたけど、正直自分と何が違うのかはあんまりわからなかった。確かに勉強は人よりも苦手そうな感じはあったんだが、それが他の人と一体何が違うのかがわからなかった。私の頭が良かったがために、自分以外の人がなぜ勉強がわからないのか当時は本当に理解できていなかったというのも一つあるかもしれない。だけど、それ以外はむしろ人よりも思いやりがあって、なんかちょっと面白いやつだった。なので私は彼のことが好きだった。一緒にゲームをしてはしょーもない事で爆笑して、たまにムキになってちょっと険悪になったり、どう考えても今思い出しても普通だったように思う。

お父さんお母さんのありがとう

彼らの家に行くと、毎回ものすごいおもてなしを受ける。今思えばものすごいというほどではないのかもしれないが、明らかに他の友達の家で受ける待遇とは異なる。そして、お母さんからはいつもありがとうと何度も言われるのである。
当時は、なぜなんだ?とか、お前いつもこんなうめぇお菓子食べてんのか?羨ましすぎるぜ。とか思ってた。今ならわかる。こんなやつは私だけだったんだ。普通に遊ぶだけの友達。子を持つ親になって、この事実がどれほど心の助けになっただろうかというのがほんの少しだけだが理解できた気がする。

差別とは。支援とは。

私は、彼らが近所に住んでいてしかも一緒に遊ぶことが楽しかったから共に時間を過ごした。でも、一緒に遊んで楽しくなかったら遊んでなかったと思う。私には大人になってなお差別という感覚がほとんどわからない。差別はいけない事だと刷り込まれてはいるけど、世の人がいう差別は普通にしていると思うし差別的な考えを持っていると思う。これほどニュートラルな人付き合いができるとしても、差別は普通にしてると思うしこれからもしていくだろう。
差別とはなんでしょうか。多くの人は、生まれ持った性質で後天的に変更できない属性や特徴で不利益を与える事。みたいな感じでいうと思う。
私は、N君と遊んだ時思いっきりボールを投げた。これは差別なんだろうか。あるいは、手加減してボールを投げたら差別だろうか。そもそも、一緒にスポーツをしないのが正しい判断なのかもしれない。
彼らに支援が必要だと決めつける事自体、差別にはならないのだろうか。私は、支援が必要だとか言い始めた時点で、人間をレベル分けして下にみている感じがしてならない。
とはいえ、事実としてはやはりなんらかの支援は必要だと思う。私の友達が楽しく過ごせるような環境が用意されていればそれは良いことだと思う。しかし、誰しもが何か少しずつしんどい思いをしている。そして、その苦しみを比較する事は難しい。より良い暮らしができれば良いと考える一方、障害者が苦しむことがおかしいとは思わない。多少苦しみつつもなんとかかんとか生きていくのが人間ぽい気がする。そんな時に必要なのって、単純に隣にいる誰かの場合が多い気がする。障害者にとって必要なの、普通の友達じゃない?支援者とかそういうんじゃなくて、ニュートラルな付き合いができる普通のお友達。一緒に飯食ってぐちを言ったりちょっと喧嘩したりするような。
もし、あなたが人権意識に目覚めてるような人なら、そんな支援とかなんとか言わずに、とりあえず近くの障害者と飯でも食べに行くといいんではないかな。

彼らは元気だろうか。連絡先知らんけど、久しぶりにあって飯でも食べたいですね。
これ見つけて心当たりが有れば、連絡先くれ。


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