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大人になって普通の人間になった

自分で言うとかなりイタイ感じになるけど、僕はまあ変わり者だと思う。特に子どもの頃は変わっているとよく言われた。周りにはもちろんだけど、親や兄弟にまで言われる始末だ。
現在満29歳。最近めっきり変わってると言われなくなったことに気づいた。ややネタ的にツイート(今はポストというべきか)してみたらちょっとだけ反応があったので少しだけまじめに考えてみることにした。
こういう話をすると、そもそも普通って何?とか言い出す人がいる。そんなもんは知らん。そんな真面目に考えるな。ここでも考えない。ふわっとさしとく。それでええ。

子どもの頃変人だった

自分ではそんなつもりはなかったのだけれど、今思うと変わっていたと言われても仕方ない部分はいくつかあったと思う。
例えば、小学生の頃円周率ってのを習う。円周率は終わりがありません。3.14です。みたいなこと。
僕はどうしても円周率が無限に続くということに納得できなかった。円周率には終わりがあるかもしれないじゃないか。終わりがないことを一体どうやって確かめるんだ??と思った。聞いても誰も教えてくれなくて余計悩んだ。今は納得してるし、円周率に終わりがないことを示すにはそれなりに難しいので大人でも普通の人が知らないのは無理もない事だとわかります。謎に円周率も100桁くらい覚えていた。今でもまあまあ言える。
こんな感じなのでまあ変わってると言われる事も有ればなんか天才かもしれんみたいな感じになることもあったかもしれません。
後は、変人とほぼ同義な感じでマイペースだなと言われることが多かった。特に、食事と着替えが絶望的に遅かった。今はだいぶマシになったけどやはり人よりは遅いと思う。どんだけ頑張っても着替えが誰よりも遅かった。一応みんなに遅れないように一所懸命やってみるのだが全然早くならない。だけど、遅いことに罪悪感は特に感じてなかったのでマイペースなことには変わりないとは思う。でも、一応頑張ってはいた。
じゃあスポーツが苦手かというと別にそんなことはなくて、体力テストは平均よりもやや高いくらいだったし球技はむしろ得意な方だった。剣道も三段である。本当に、自分でもよくわからない。
自分でいうのもなんだけど、勉強もかなり出来たのでちょっと変わってるとかマイペースだなくらいで済んだという見方もある。これで勉強も運動もできなかったらただの害悪でしかなくなりそうだ。
そして、僕は高専に進学する。

変人の巣窟へ

高専というのをご存知だろうか?
呪術を習うところではありません。
現実世界には本当に高専というのがあります。工業高等専門学校というところです。詳しくはググってください。
高専に進学をする人は同世代の1%と言われています。つまり、めちゃくちゃマイノリティというわけです。
高専にくるような人はベースが変わり者というわけで、本当に変わってる人がたくさんいた。
シカゴ元気な?
僕はすごく安心した。高専の中では僕は普通だった。多分。この辺りからはあまり変わってると言われなくなってきた。たまには言われるけど。
変人の巣窟に入ることで、自分は一般人になれたと思う。

大人になってさらに普通へ

大人になってからはさらに普通になったと思う。結婚して子どもも産まれて、普通にライフステージが変化するモデルみたいな人生。非常に安心する。
周りの人も大人なのでわざわざ変人だなとか言ってこないのもあるけど、仕事も大きく関係してるんじゃないかなって思う。
僕は開発の仕事をしてる。毎日仕事が少しずつ違うので、色々やっても怒られない。むしろなんかいろんなことに手を出してとりあえず形にしたら褒められます。これが毎日同じことの繰り返しの仕事だったら多分めちゃくちゃ怒られてたと思う。すぐ違うところに気が向いちゃうし。
後は、着替えや食事がゆっくりでも別に怒られない。誰も僕の着替えの時間とか食事の時間は気にしてないのでのんびりマイペースにやれる。なので変な印象をもたれにくいと思う。
開発の仕事では斬新な目線でものを言っても怒られることはほとんどない。むしろ歓迎されてるまである。会社にはすごい人がたくさんいるので、別に僕の目線が特別新しいことも少ない。聞いたら普通に答えが返ってくる。
物事をしつこく追求しても誰も怒らない。しっかりまとめられればいいし、他の仕事に支障をきたさなければ好き放題できる。
なので、今の仕事は自分がこれまで変だと言われてきた特性をむしろ歓迎して評価してくれる場所であるというのが、普通になれた要因だと思う。
所属する集団を間違えなければ、誰でも普通になれるのだと僕は思う。

最後に

僕は自分はいいセンスをしてると思ってる。この文章のワードセンスも自分好み。
なので、10代後半くらいまでは僕が変わってるんじゃなくてみんなの方が変わってておかしいだ!みたいな拗らせ方をしていた。おかげでメンタルは良好に成長した。
今は、自分の方がマイノリティで変わってるという自覚が持てます。変わってることをアイデンティティにしてる人のことは少し寒いと思ってます。天才を演出したいという感じがするんだと思う。
変わってる事は自分にとって特段アイデンティティにはなってないけど、自分のセンスは気に入ってる。
センスはアイデンティティの一つになっている。
たまに、僕のセンスにどハマりする人がいてるのでそういう人がいたら嬉しく感じます。


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