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『霜月の灯りと過去りし日の約束』

霜月の夜に漂う哀愁

霜月の夜風が冷たく街を吹き抜ける中、タケルはリーゼントに整えた髪を気にしながら、ジャケットの襟を立てた。赤いボーリングシャツと黒いスラックス姿が、街灯の明かりに浮かび上がる。

彼が働くバー「グレイハウンド」は、街の片隅にたたずむ小さな店だ。扉を押して中に入ると、古いレコードの音が耳に飛び込む。心が躍るはずの一曲だが、今夜のタケルにはどこか遠く響いていた。  

カウンターに腰を下ろし、手に取ったグラスを無意識に磨く。ふと壁の隅に目をやると、そこにはナナミとの写真が飾られていた。彼女の笑顔が、タケルの胸を締め付ける。「いつか一緒に夢を叶える」という、あの日の約束が頭をよぎった。

3年前の文化祭。体育館のステージは熱気に包まれていた。タケルはロックンロールのビートに乗りながら踊り、隣にはナナミがいた。

赤いスカートが、彼女の軽やかなステップと共にひらりと舞う。観客の手拍子が二人を包む中、ナナミが耳元でそっと囁く。

「ねえ、タケル。もっと大きなステージで踊ろうよ」

突然の言葉に、タケルは一瞬足を止めかけるが、ナナミが手を引く。

「ほら、ちゃんとリズムに乗って!」

ナナミの笑顔が、揺れるライトの中で輝いて見えた。

「⋯⋯そうだな。今度は、プロのステージで派手に決めるか」

何気なく言ったその言葉に、ナナミが少し嬉しそうに目を細める。それを見たタケルもつられて微笑んでいた。

「⋯⋯約束だよ。いつか一緒に夢を叶えようね」

この約束が、どれほど大切なものだったのか気づいたのは、彼女と別れてからだった。

ポスターに託された想い

次の日、バーの壁に新しいポスターが貼られていた。  

「ロックンロールダンスコンテスト開催! 優勝者にはプロダンサーとして活動するチャンス!」 

鮮やかな色彩と大胆なフォントデザイン。それは独特で、視線を奪うデザインだった。

「⋯⋯いいデザインだな」

タケルはそのままじっとポスターを見つめる。その視線が鋭さを増した。

「優勝者にはプロダンサーとして活動するチャンスが与えられる。⋯⋯これだ!」  

タケルは拳を握りしめた。あの頃は仲間と遊ぶことばかりを優先し、ナナミの情熱に応えられなかった。それが、ずっと彼の胸を締め付けていた。

「やってみるか⋯⋯」  

微かな高揚感が広がった。  

贖罪しょくざいだろうがなんだろうが⋯⋯もう一度、やるしかない」

一人で踊る夜  

その日から、タケルはバーの裏手で黙々とダンスの練習を始めた。ひんやりとした静けさに包まれ、薄暗い街灯がポツンとひとつだけ、心許なく光を落としている。

彼は小さなポータブルスピーカーから流れるリズムに合わせ、両手をしなやかに振り腰を捻る。舗装が荒いアスファルトは、彼のサドルシューズに擦れ乾いた音を響かせる。

冷えた空気の中、汗が額から流れ落ちる。息を切らしながらも、彼は動きを止めなかった。アスファルトに手をつき右足を放り出し、地面スレスレに回転を繰り返す。

「ここで止まるわけにはいかねぇ」

ナナミへの罪悪感と自分を変えようとする決意が混ざり合い、疲れを忘れて踊り続けた。身体をリズムに乗せるたびに、あの頃の記憶が蘇る。

ナナミが一緒に踊ってくれた夜、彼女の笑顔、そして温かな手の感触——

孤独の果て  

ある夜、タケルは練習の帰り道で足元の砂利につまずき、地面に倒れ込んだ。膝を擦りむき、痛みに顔を歪める。  

「⋯⋯こんなことして、ナナミに何を示せるんだろう? 意味があるのかよ⋯⋯」  

そう呟きながら、空を見上げた。

翌日、タケルは店のカウンターでうなだれるように座っていた。ダンスの練習と仕事の両立は、タケルの体力をじわじわと奪っていたのだった。

その時、扉が開き同級生のミユキがひょっこりと入ってきた。  

「タケル、久しぶり⋯⋯大丈夫?」  

ミユキは軽く笑いながらカウンターに腰を下ろした。
タケルは何も言わずに、ぼんやりとカウンター越しの壁を見つめていた。ミユキもその視線を追うように、壁に貼られたポスターに目を留めた。

「⋯⋯このポスター、ナナミがデザインしたの、知ってた?」

その一言に、タケルの動きが止まった。

「⋯⋯は?」

ミユキはグラスを傾けながらさらりと続ける。

「ナナミがデザインしたのよ、このコンテストのポスター。彼女、ずっとあんたとの約束を大事にしてたからね」

ミユキの声が少し優しくなった。

「ナナミ、あの時言ってたでしょ。『プロのステージで踊るタケルの衣装を自分でデザインする』ってさ」

その言葉が、タケルの胸に鋭く突き刺さった。

「でもね、ナナミはただ夢を語ってたわけじゃないよ。あの子、自分の技術を磨くために、デザインの勉強も仕事も必死でやってるの。あんたと離れてもね」

ミユキは続けた。

「ナナミは諦めなかったよ。『タケルが戻ってきたときのために準備してる』って。衣装をデザインしながら、ずっと待ってたんだ」

その言葉に、タケルは何も言えなくなった。

支え合う力  

冷たい風が頬を刺す。タケルは路地裏の練習場に立っていた。昨夜、ミユキから聞いたナナミの言葉が頭を巡る。

「ナナミは諦めなかったよ。『タケルが戻ってきたときのために準備してる』って」

彼女が今も約束を守ろうとしていること、それに応えられなかった自分の情けなさ。

「俺だって、まだやれる。ナナミに応えるために」

タケルはスピーカーの音量を上げると、大きく息を吸い込み、リズムに合わせてステップを踏み始めた。足をしなやかに動かし、腕を弧を描くように振る。

「おーい、タケル!」

背後から声がした。振り返ると、常連のジョージやミユキを含む数人が、コンビニの袋を手にやってきた。

「お前こんな寒い中、一人で頑張りすぎだろ」

ジョージは笑いながら袋をタケルに差し出した。中には温かい缶コーヒーや肉まんが入っている。

「ほら、これでも食べて一息つけ」

「なんでお前らここに⋯⋯?」

タケルは驚いた顔をしながら袋を受け取った。ミユキが笑いながら言った。

「コンテストで優勝するんだよね? 放っておけなくてさ」

その言葉にタケルは一瞬戸惑ったが、缶コーヒーを開けて一口飲むと、冷えた体がじんわりと温まるのを感じた。

「みんな、ありがとう⋯⋯」

ジョージが軽く肩を叩いた。

「ナナミさんもきっと喜ぶさ」  

その言葉に、タケルの胸が熱くなった。

「どんな結果でも、ここに帰ってこい。俺たちが祝ってやるからな」  

タケルは深くうなずいた。  

霜月の灯  

コンテスト当日、ステージのスポットライトがタケルを照らす。満員の観客の中で、彼は胸に手を当てた。  

「ナナミ、見ていてくれよ」  

音楽が始まる。タケルは軽やかなステップで舞台を駆け抜け、観客を魅了した。誰もがそのパフォーマンスに熱狂し、拍手の嵐が響き渡る。  
コンテストの結果が発表される。優勝者の名前がアナウンスされた瞬間、観客席から大きな歓声が湧き上がった。
しかし、その名前はタケルのものではなかった。
ステージ上で結果を受け止めながら、タケルは心の奥で感じる悔しさを噛みしめていた。汗で湿った髪を手でかき上げると、静かに深呼吸をした。

「ダメだったか⋯⋯」

拍手に包まれる中で、タケルはゆっくりと視線を上げた。観客席の奥に座っていたミユキと常連たちの顔が見える。

「最高だったぜ、タケル!」  

その声援に包まれた瞬間、彼の口元がふっと緩んだ。ステージを降りると、ミユキが声をかけてきた。

「タケル、お疲れ!」

「⋯⋯ありがとな、ミユキ」

彼は精一杯の笑顔を返す。その時、ミユキがふと目線を送った先に、一人の女性が立っていた。

「⋯⋯ナナミ」

二人の間に、しばらく静かな時間が流れる。タケルは絞り出すように言った。

「⋯⋯優勝できなかった。でも、もう一度、本気でやってみようと思うんだ」

ナナミはその言葉を受け止めるようにうなずいた。

「私、ずっと待ってたよ。タケルがまた踊るのを」

タケルは視線を落としながら、小さく笑った。

「悪かったな。俺、ずっと逃げてた。でも今度は⋯⋯プロダンサーになって、あの時の約束を叶えたい」

ナナミの目が少し潤んだように見えた。

「⋯⋯待ってる」

ナナミが微笑みながらそう答えると、冷たい風が二人の間を吹き抜けた。しかし、その風はどこか優しく、二人をそっと寄り添わせるようだった。


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