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『星降る秋夜の約束』

ロカビリーガール  

エリカは、夜ごと地元のダンスホールへと足を運んでいた。20歳の彼女にとって、ロカビリーは日常の全てだった。

ポニーテールを揺らしながら、彼女は鮮やかな赤いワンピースで床を滑るように踊る。ホールに響くロカビリーの跳ねるようなリズムは、彼女にとって自由そのものだった。  

けれど、その情熱の裏にはもう一つの理由があった。エリカの母、マリはかつて地元で名の知れたダンサーだった。華やかな衣装に身を包み、ステージで踊る姿は、多くの人々を魅了した。

だが、エリカが幼い頃、母は突然ダンスをやめた。理由を尋ねても、母は詳細を語ることはなかった。

幼いエリカは時折、母が窓辺でレコードに耳を傾けているのを見つけた。音楽が流れると、母の指先が自然とリズムを刻み始める。その姿を見て、エリカは小さな胸の中で誓ったのだ。

「お母さんが踊らないなら、私が踊る」

エリカの情熱の源は、母の叶えられなかった夢にあった。ホールで輝くエリカの笑顔の裏には、そんな感情が潜んでいた。

ロカビリーの床を叩くステップは、彼女にとって自分自身を確かめる手段であり、母の夢を引き継ぐ証だった。

しかし、心の中では問い続けていた。  

「こんなに楽しいのに、どうして満たされないんだろう?」  

リズムの合う人 

ある日、エリカはダンスホールの片隅で一人たたずむ青年に気づいた。黒いジャケットに白いシャツ。無口なその男は、なぜか彼女の目を引いた。  

「踊らないの?」
  
声をかけると、彼は少し戸惑ったような笑みを浮かべながら

「いいのか?」

と短く答えた。その青年と踊り始めた瞬間、エリカは驚いた。彼の動きはスムーズで、エリカのステップにぴったりと息を合わせてくる。  

音楽に合わせて体を揺らすたび、心の奥底から湧き上がる感覚がエリカを包み込んだ。それは、星空の下で風を切りながら踊っているような気持ちだった。まるで足が宙に浮いているかのようで、エリカはその感覚に酔いしれていた。

曲が終わると、エリカはハッとする。鼓動がまだリズムを刻んでいる中、彼女は口を開いた。

「すごい。こんな感覚、初めて⋯⋯」

彼は小さく笑い、またホールの片隅へと歩いていった。二人で踊るその時間は、音楽と星だけが存在する世界に彼女を連れて行ってくれるようだった。

その夜、エリカは彼に惹かれている自分を感じた。  

影の正体 

タカシ——それが彼の名前だった。彼は、他の誰とも違っていた。彼のリードする手の温もりや、微かに聞こえる息づかい。それは、これまで感じたことのない特別な心地よさだった。

しかし、彼は踊り終えるとすぐに去ってしまう。  

「ありがとう、またな」

そう短く告げるだけで、足早に夜の闇に消えていく。

彼の背中を見送るたび、エリカの胸にはぽっかりと穴が開いたような切なさが広がった。踊っている間は、全身が輝いているように感じるのに、その時間が終わると彼はあっという間に遠い存在になってしまう。

彼にもっと近づきたい、彼の心を知りたいという願いは募る一方だった。
踊り続けてきたのは、母の夢を引き継ぐためだったはず。

それが今、踊るたびにタカシの姿を求める自分に気づいてしまう。彼と呼吸が溶け合う瞬間、音楽以上にエリカの心を震わせるのだ。

「もっと一緒にいたいのに⋯⋯」

彼女の中に芽生えたその思いは、次第に彼への恋心へと変わっていった。彼に触れた手を離さなくてはならないのが、何よりも切なかった。

エリカは踊りながら願った。

「どうか次の夜は、タカシがもう少しだけ長くそばにいてくれますように——」

星空の下の真実

ある日、エリカはホールに、彼がまだ来ていないことに気づいた。彼のいない夜は、大好きな音楽ですら色褪せて感じられた。  

ようやくタカシが現れたのは、夜も更けてきた頃だった。エリカは彼を見つけると、声をかけた。

「今日は遅かったね。どうしたの?」

タカシは苦笑いを浮かべた。

「仕事が長引いて。悪いな、待たせて⋯⋯」

その言葉にエリカは首を横に振った。

「急いで来てくれたの?」

彼は黙ったままうなずいた。その横顔を見つめながら、思い切ってエリカは彼を外へ連れ出した。秋風が頬を撫で、夜空には無数の星が瞬いている。

「タカシ、教えて。どうしていつも急いで帰っちゃうの?」  

彼は少しだけためらい、静かに口を開いた。

「俺、遠い街に住んでるんだ。毎晩ここまで2時間かけて来てる。でも、朝早く仕事があるから、長くはいられないんだ」  

その言葉を聞いた瞬間、エリカの胸に温かい感情が広がった。彼が自分に会うために努力していたことに気づき、彼の気持ちが自分と同じだと知ったのだ。  

タカシは子どもの頃からダンスが好きで、特にロックンロールのリズムに強く魅了されていた。しかし父親が倒れ、家計を支えるために昼夜働かなければならなくなった彼は、進学もプロへの道も諦めざるを得なかった。

ダンスホールに通うようになったのは偶然だった。仕事でこの街を訪れたとき、たまたま外を通りかかり少し覗いて見ようと中へ足を踏み入れた。そして、エリカの踊る姿を目にした瞬間、かつての自分の夢が一気に蘇ったのだった。

心の奥に宿る夢

エリカは、彼が抱えてきた苦しみと、ダンスを諦めた理由を知り胸が熱くなっていた。しかし、夢を完全に忘れたわけではないことも、踊る姿から痛いほど伝わってくる。

「もし時間もお金も何も気にしなくていいとしたら、何がしたい?」

エリカの問いに、タカシはしばらく答えなかった。ポケットに手を突っ込み、空を見上げる。やがて静かに口を開いた。

「⋯⋯もう一度、本気でダンスをやりたい。ロックンロールのステージに立つ夢は、ずっと消えてないんだ」

「じゃあ、その夢を追いかければいいじゃない」

エリカがそう言うと、タカシは真剣な眼差しで彼女を見つめた。

「簡単に言うなよ。現実を考えると、夢を見ること自体が罪のように思えてしまうんだ」

とタカシは苦笑した。

「簡単じゃないのは分かる。でも、あなたが踊るときの顔、すごく輝いてるの。 あなたがステージで踊ってる姿、きっと最高にかっこいいと思う!」

エリカの声が夜空に響く。

「俺には守らなきゃいけない家族がいるんだ。夢を追いかける時間も、リスクを負う余裕もない。エリカはどうなんだ? お前には、何か夢があるのか?」

その問いに、エリカは少し考え込むようにして微笑みを浮かべた。

星が降る夜に

「私はね、踊り続けることが夢。でも、それだけじゃない。誰かと一緒に、心が通じ合うリズムを感じながら踊りたいって思う。それがあなたとだったら⋯⋯もっといいな」

タカシは驚いたようにエリカを見つめた。彼女の言葉には、迷いも飾りもなく、まっすぐな想いが込められていた。

「俺と⋯⋯一緒に?」

「そう。私たちならきっと、どんなステージでも踊りきれると思うの。あなたがリードしてくれるなら、私はどこまでもついていくよ」

エリカの言葉に引き込まれるように、タカシは静かに目を閉じた。頭の中に浮かんだのは、ステージの上で踊る二人の姿だった。

きらびやかなライトに照らされ、観客の手拍子が響く中、エリカと息を合わせて踊る自分。その光景が不思議とリアルに感じられる。

「⋯⋯悪くないな、その未来も」

タカシの一言に、エリカは満面の笑みを浮かべた。

「でしょ? タカシがステージに立つなら、私も一緒にその夢を見たい。だって、あなたと踊ることが私の新しい夢だから!」

二人は夜空を見上げた。無数の星々が瞬き、まるでその約束を祝福しているかのようだった。

「約束しよう。星が降る夜には、必ずここに来る。ここから始めよう。二人でその未来を掴むために!」  

タカシの言葉に、エリカは大きくうなずいた。 

「うん、約束!」

エリカの手が、タカシの手にそっと触れる。その夜、二人はいつまでも踊った。満天の星の下で踊り続ける二人の姿は、まるで映画のワンシーンのようだった。  

星降る秋夜に交わした約束。それは、永遠に続くと愛の物語の始まりだった。 

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