
『君に贈るラストソング』
止まった季節
12月の風が冷たく吹き抜ける。街はクリスマスツリーの眩しい輝きに包まれ、商店街のアーケードには 煌びやかなイルミネーションが揺れている。
店先からは楽しげな音楽が流れ、カフェの窓辺では笑い声が響き、恋人たちが寄り添い合っている。だが、直哉(20歳)はその賑わいに心を動かされることはなかった。
煌めく街の光が強いほど、自分の影が濃くなるような気がした。直哉は歩道に積もった雪を無意識に足で蹴った。しかし、その冷たさすら今は感じなかった。
「直哉、夢を諦めるなよ!」
かつて友人に言われた言葉が頭に浮かぶ。だが夢を追い続けた結果、直哉は一人取り残された。
彼は地元のライブハウス「サウンド・ネスト」でギターを弾く無名のミュージシャン。客は少なく、音楽を愛する気持ちはいつしか義務感に変わっていた。
ここは、かつて夢を追7いかけた若者たちが毎晩、熱いステージを繰り広げていた。だが今はどうだろう。心を込める必要などなかった。どうせ誰も聞いていない。演奏が終わっても拍手はなかった。
「夢なんて、ただの幻想さ⋯⋯」
そう呟きながら、空っぽの心で弦を爪弾いていた。
忘れられない声
ある夜、寒空の下での帰り道。直哉は耳に馴染みのある歌声に足を止めた。
「直哉くん?」
振り返ると、そこに立っていたのは幼馴染の美咲だった。
「美咲⋯⋯?」
かつて二人で歌った曲を口ずさむ彼女は、まるで昔のままだった。
「久しぶりだな、美咲」
「うん、久しぶり! 何年ぶりだろう⋯⋯元気にしてた?」
美咲は昔と変わらない笑顔を見せていたが、直哉はどこか距離を取るような態度で答えた。
「まぁ、それなりにな」
「あ、まだギター弾いてるんだね」
彼女の視線が直哉の肩に掛けられたギターケースに向かう。
「まあな、バイトみたいなもんだよ。夢とかそういうのは、もう関係ないけど」
その言葉に、美咲の笑顔が一瞬揺らぐ。
「そっか。でも、弾き続けてるってことは、やっぱり音楽が好きなんだよね」
「どうだかな」
直哉は視線をそらしながら答えた。そんな彼を見つめる美咲の瞳には、少しの切なさが浮かんでいる。ふと、美咲が何かを思い出したように目を輝かせた。
「ねえ、クリスマスイブの街角コンサート、知ってる?」
「ああ⋯⋯」
「私、そこに出るの! ずっとやりたかったの。みんなに聞いてもらえる場所で、歌いたいって」
美咲の言葉は、まるで子供の頃と同じように純粋でまっすぐだった。直哉は無意識に眉をひそめた。
「お前、本気でそんなのに出るつもりなのか?」
「うん! でもね、伴奏をしてくれる人が見つからなくて⋯⋯直哉くん、お願い。私の伴奏してくれないかな?」
美咲はためらいながらも、直哉の目をじっと見つめ頼んだ。だが、直哉は即座に断った。
「悪いけど、俺には無理だ」
美咲は悲しそうに目を伏せた。それでも、彼女は
「分かった。無理なら仕方ないね。でも、久しぶりに話せて嬉しかったよ。またね」
そう言い残し、美咲は小さく手を振って去っていった。
響き合う音
数日後、直哉は偶然、再び美咲の歌声を耳にした。声のする方へ足を向けると、小さな公園のベンチに座る美咲の姿があった。
彼女は白い息を吐きながら、冷えた指でギターを弾いている。音はまだぎこちなく、途中で止まったり、コードがずれたりしていた。それでも、彼女は空を見上げ歌い続けていた。
自分が失くしてしまった「夢への情熱」を、目の前の美咲が持ち続けていた。それが羨ましく思え、目が離せなかった。すると美咲の声が突然掠れ咳き込んでしまう。直哉は思わず歩み寄り
「大丈夫か?」
と声をかけた。驚いた美咲が顔を上げると、直哉は冷たい声で言った。
「少し休め。無理しても意味がないだろ」
「まだ練習したいの。イブまでに絶対もっと良くしたいから」
美咲の瞳は強い光を宿していた。だが彼女の体がその情熱についていけていないことを、直哉ははっきりと感じ取った。
「コード、間違ってる。貸せ」
美咲が困惑する中、直哉は彼女のギターを取り上げ、隣に座り込んだ。
「⋯⋯伴奏してやるよ」
そう言いながらギターを鳴らし、彼女が弾いていた曲を簡単に奏でてみせた。その音色に、美咲の瞳が嬉しそうに輝いた。
「直哉くん⋯⋯!」
何も言わずにギターを返す直哉。
「⋯⋯仕方ないから、少しだけ手伝ってやるよ」
美咲の笑顔を見たその瞬間、直哉は自分がしたことに気づき、苦笑した。同時に、長く忘れていた感覚が蘇った。
隠された真実
共に練習を重ねる日々が続いた。クリスマスイブが近づく中、美咲の歌声と笑顔に触れる時間は、直哉の心を少しずつ温かくしていった。
その日、二人は直哉のアパートで、子供の頃に書きかけていた曲を完成させるために取り組んでいた。
テーブルの上には古いノートが広げられている。そのページには、幼い文字で書かれた未完成の歌詞と、ところどころに消し跡が残っていた。
「懐かしいね、これ」
美咲が笑いながらページをなぞる。
「あの時、未来の自分たちに歌ってほしいって思ってたんだよね」
直哉も小さく笑った。
「ああ。確かに俺たち、未来にすごい期待してたよな」
直哉の胸には苦い思いが残った。夢を諦めた自分と、今も真っ直ぐに夢を追い続ける美咲。その対比が、自分を責めるようだった。
「直哉くん、この部分どう思う?」
美咲が指差したのは未完成のサビだった。
「“君と私の未来”ってフレーズ、何かもっと強い言葉にしたくて」
「未来、か⋯⋯」
直哉はギターを持ちながら呟いた。
「未来なんて誰にも分からないけどさ⋯⋯。それでも、一緒ならどうにかなるって思えるような、そんな言葉にするのはどうだ?」
美咲が目を輝かせる。
「いいね! そんな歌詞なら、絶対に誰かの心に届くと思う!」
直哉はその笑顔に小さくため息をついた。
「お前、ほんとポジティブだよな」
美咲は笑いながら、彼をじっと見つめた。
「直哉くん、ありがとうね。私のために、こんなに頑張ってくれて」
その言葉に、直哉は一瞬言葉を失った。そして小さく笑いながら答える。
「別にお前のためじゃないさ。⋯⋯まあ、俺も久しぶりにギターをちゃんと弾きたくなっただけだ」
「ふふ、そっか。でも、私は直哉くんがいてくれなかったら、ここまで来られなかったよ」
二人の間に少しの沈黙が流れる。直哉はギターを抱え直し、いつになく真剣な顔で美咲に言った。
「⋯⋯お前が歌う限り、俺はギターを弾く。だから、絶対に諦めんなよ」
美咲の瞳に涙が浮かび、でもそれを隠すように笑った。
「うん、絶対に諦めない」
その言葉に、直哉は少しだけ「夢」を信じる気持ちを取り戻していた。しかし数日後、直哉は病院で美咲が医師と話す姿を目撃する。聞きたくなかった真実が耳に届いた。
「歌うのはもう控えるべきです。負担が大きすぎます」
「分かってます。でも、クリスマスだけは歌いたいんです」
美咲の声は震えていたが、表情はどこか清々しく見えた。
「早く手術をしなければ⋯⋯もう歌うことはできませんよ」
衝撃に凍りつく直哉。その夜、美咲はいつも通り笑顔で練習に現れた。何も知らないふりをする直哉だったが、胸の中では悲しみが膨れ上がっていった。
クリスマスの誓い
「あいつは何も言わないつもりだ。俺にできるのは、あの曲を完成させ、最高の演奏をすることだけ⋯⋯」
彼女の瞳の輝きが思い出されるたび、直哉は胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。彼女は自分の歌に込める想いをはっきりと持っている。その想いを形にしなければならない。
「届け、この想い──光のように優しく包むように、か」
直哉は口ずさみながら、メロディーを紡いでいく。少しずつメロディーが形になり、歌詞と重なり合っていく。
ギターの音が響く。静かなイントロから始まり、美咲の声を想像しながら音を紡ぐ。やがて、力強いサビが弾き出された。
「届け、この想い 夜空を越えて──」
指が弦を滑るたびに、直哉の胸の奥が熱くなっていく。ギターの音が止むと、直哉は深く息を吐いた。
「これでいい。これが、俺たちのクリスマスソングだ」
その瞬間、ようやく一つの答えに 辿り着いたような気がした。直哉は美咲のステージが輝くものになるよう、必死にギターを練習した。
二人で考えた曲は、美咲の歌声に合うように作り上げ、「ラストソング」と名付けた。
イブの夜、街角には多くの人が集まった。色とりどりのイルミネーションの中、二人はスポットライトを浴びて立っていた。
永遠のラストソング
直哉のギターが鳴り、美咲の澄んだ歌声が夜空に響き渡った。
「届け この想い 夜空を越えて
光のように 優しく包むように
消えないメロディー 未来へ響け
君と歌う “ラストソング” 」
冬の冷たい空気は二人の音楽をさらに澄んだものに変え、聴く人々の心に染み込んでいく。観客たちは静かに耳を傾け、その場には深い感動が広がっていた。この曲は、美しいだけでなく、切実な想いを伝えているように感じられた。
美咲の声は透き通り、聴く人々を包み込むような優しさに満ちていた。しかし、直哉だけはその声の裏にある努力と覚悟を知っていた。
直哉はギターを弾く指に力を込めた。音が途切れないように、自分の感情を必死で押し込める。そして美咲は最後のフレーズを歌うために、深く息を吸い込んだ。
「君と歌う “ラストソング”
終わりじゃなくて 始まりの歌を⋯⋯」
最後の一音が消えた瞬間、観客の間から大きな拍手が湧き起こった。拍手の音が響く中、美咲は涙を浮かべながら静かに微笑み、観客席かに向かって深々と頭を下げた。
演奏後、直哉は
「これからも一緒に歌おう」
と言った。
しかし美咲は首を振り、そっと彼の手を握った。
「ありがとう、直哉くん。これで十分⋯⋯」
しばらくして、美咲は遠くの町へ旅立っていった。彼女から届いた手紙には、こう記されていた。
「君と歌えたこと、一生の宝物だよ」
数年後、直哉はプロのミュージシャンとして大舞台に立つ存在となった。クリスマスイブの夜、彼は必ずあの「ラストソング」を歌う。
ギターの音が鳴り響くたび彼の心には、あの日一緒に夢を叶えた美咲の笑顔が浮かぶのだった。 7