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劇団四季『ゴーストアンドレディ』初めてミュージカルを観た原作ファンの感想。

なぜこの記事を書こうと思ったか

 初めてnoteに記事を書く。劇団四季のミュージカル『ゴーストアンドレディ』を配信で観劇した俺は、この感動をどうしてもアウトプットせずにはいられなくなった。この手のコンテンツについて語れる友もなく、Xでは文字数が足りないのでここに吐き出していく。ネタバレと考察もある。こういった文を書くのは初めてなので、乱筆ご容赦願いたい。

観ようと思ったきかっけ

 今までミュージカルを観たことといえば、ディズニー映画くらいだろうか、とくに興味のあるジャンルではなかった。それがなぜ5500円もだして(結果としては格安だった)劇団四季のお芝居を観ようと思ったかといえば、きっかけは二つ。
 一つは、原作漫画のゴースト&レディが好きだったからだ。俺の少年時代は原作者である藤田和日郎先生の漫画『うしおととら』と共にあった。からくりサーカス、邪眼等の作品もそうだが、藤田先生の力にあふれた漫画には常に勇気づけられている。しかし、正直に言えば藤田先生の漫画がミュージカルになるということを知ったときにはあまり関心はなかった。テニスの王子様のような2.5次元ミュージカルと劇団四季が、浅はかな俺には区別がつかなかったのだ。
 もう一つのきっかけは、普段見ているVtuber界隈からの影響である。彼ら彼女らの歌を聞いて興味をもち、公式youtubeに上がった劇中歌を聴いてみた俺は、楽曲の素晴らしさに繰り返し聴くようになった。何度も聞いているうちにそのシーンが実際に観てみたくなり、折よくネット配信があると知って観る決意をしたわけだ。


観劇して

 想像以上、期待以上に素晴らしかった。俺の先入観にあった舞台の芝居とは全く違った。原作の良さをいかし、オリジナルな要素もいれつつ表現されるグレイとフロー。演じる二人の素晴らしい演技と歌。流れるように場面が転換し、奇抜な演出もたくさん。歌は、踊りや演技が加わるとサントラを聞いて想像した何倍も良かった。
 これが舞台化か!インターネットミーム的には漫画の実写化は腐されることが常で、俺もそんなもんだろうと思っていたところがあったが、完全にノックアウトされた。配信期間中に7回は観てしまった。

主要人物の感想

・フロー 
 目の力が印象的。そしてめちゃくちゃ歌が上手い。このミュージカル、原作の生霊関係の設定は上手く省略してあるが、最後の決戦の場面においてはかなり重要な要素だ。そこをどう表現するのかと思ったら、”筋力”で解決してきた。『偽善者と言われても』という歌のクライマックス、それまで光の演出やイリュージョン、ワイヤーなど様々な演出で世界観を構築してきたのに、この最後の対決ではシンプルな『歌の上手さ』『声量』でフローとジョンホールの戦いに説得力を持たせてきた。なんの特殊効果がなくとも、フローからほとばしる魂の力が感じられるのである。プロのミュージカル俳優の凄さに感動した。

グレイ
 
まず見た目がすごい。藤田漫画の面長なキャラクターそのもの。原作より少しコメディ要素が多いグレイを完璧な演技で実現させていた。うしおととらだったら蒼月紫暮、からくりサーカスだったら阿紫花あたりを実写化するときにやってほしい。歌も抜群に上手く、特に最後の『不思議な絆』は、原作を完璧に表した歌詞を男泣きしながら歌い上げていて素晴らしかった。

”もう二度と 会えないとしても お前のぬくもり いつでも感じてる
瞬く星 夜空にある限り 二人を結ぶ 不思議な絆”

いやこれ、歌詞も天才か?原作の当該シーンではハードボイルドにポーカーフェイスだが、ミュージカル版はもっと素直なグレイで良かった。

デオン
 
宝塚な感じで華々しく登場。役者さんは歌とダンスが上手く、身体能力もすさまじい。グレイよりも強者ということがひしひしと伝わってくる表現力にまいってしまった。原作より複雑なキャラクター性になっているが、はっきり語られてはいない。『呪いと栄光』という歌とダンスのパートがめちゃくちゃいい。ここはいろんな解釈をみるのが楽しい。


原作漫画との違いについて

 原作漫画と比べて劇団四季版では、登場キャラクターはおろか重要な設定(生霊など)まで除外されたり、かと思えば婚約者が登場してラブロマンス風味が強めだったり結構違いがある。しかしこれについては今回の舞台版の構成が非常に巧みだった。ミュージカルでは冒頭からグレイが登場し『グレイが作った芝居』を観客の我々が観るという形式で進む。ということは、原作から省略したりロマンスを強調しているのはグレイの仕業であるということで全て片が付く。とても便利だ。

エンディングについて

 これ以降は素晴らしい作品に自分の妄想をこじつけて語る恥知らずな行為をしていくことになる。原作漫画版、舞台版のネタバレも含むことになるので注意してください。



舞台版エンディングと漫画版エンディングに関する妄想

 物語のエンディングは漫画とミュージカルは大まかに同じ。『我ら役者は影法師!』の口上で原作漫画ではグレイの出番は終わるが、ミュージカルではここから「不思議な絆」の素晴らしい独唱がある。そしてグレイは舞台から降り、前を見つめて歩き出す。その時ステージ上にはランプを掲げたフローが現れ、グレイをみつめる。空から無数のランプが降りてくる・・・。

 問題は、この最後に登場するフローは何なのか、ということだ。天国で彼を待つフローの様子なのだろうか。フローの功績を讃えるためのイメージなのだろうか。個人的には、このフローとそれまでのフローは別の存在という説を推したい。以降、理由を説明する。
 ここで一度状況を整理したい。我々観客は何かの舞台を観ていた。終演後、『奇跡』が起きて舞台上のグレイと自称する幽霊を認識し、彼の芝居を観ることになるというのが冒頭の流れだろう。「奇跡の夜に」で幕開け、結末でグレイが終演を宣言するまでの舞台上のフローは、あくまで彼が作った芝居の中の登場人物だ。しかし「不思議な絆」を歌い、舞台から降りたグレイを見つめる舞台上のフローは、彼の芝居の範疇外の存在である。このフローは、「グレイの芝居の登場人物のフロー」ではなく、本物の、クリミアでグレイと共に同じものを見たフローレンス・ナイチンゲールなのではないだろうか。それは直前のグレイの台詞「フロー、観ていたか?」に対するアンサーでもある。ここで本物のフローが見届けなければ、グレイの悲願は成就しない。

グレイの悲願について

 原作のグレイとミュージカル版のグレイの一番の大きな違いがここにある。どちらのグレイもフローが絶望したときに殺すことによって自分が舞台の登場人物になるという動機で行動を共にするが、舞台版グレイはそれに加えて「自作の芝居を作る」という願いがある。漫画版グレイにはそれがない。あえていうなら決闘士としての矜持だろうか。デオンと死闘の末に塵となって、天に召されるフローにサムシングフォーを送り祝福して、それでグレイに何の見返りがあったのかといえば”ぬくもり”が残っただけ。そして彼はどこにいくのかも分からない、そういう終わりである。
 滅茶苦茶にハードボイルドなグレイというキャラクターを俺は大好きで、初めて読んだ時には美しい結末に感動はしたが、同時に可哀そうとも思った。なんだよ、フローは誰も一人では逝かせはしないって行ってたのに、グレイはどうなるんだよ!と。
 こういう別れのシーンは原作者である藤田先生の得意技で、『うしおととら』という先生の代表作でも同じ構図の別れがある。妖怪である『とら』と人間の『うしお』が別れる最終話のシーンだ。だが『うしおととら』と『ゴースト&レディ』が違うのは、うしとらでは最後で復活・再会を匂わす読者サービスがあるところだ。

”だから、だからさ、「ひょっとして」いつの日か・・・”

 俺はこの、ひょっとしていつの日か、が欲しい種類の人間だ。せつない終わりが美しく完璧なのは重々承知として、”だから「ひょっとして」いつの日か・・・”が、グレイとフローにもあってほしい。この「ひょっとしていつの日か」を見いだせるのがミュージカル版である。
 原作漫画のグレイはフローに何も求めなかった。一緒に行こうというフローの懇願に対して返した台詞は「まだこっちで観てえ芝居があるんでよ」。それは明らかな嘘だが、フローは受け入れ「私は待ってますね」と返す。
 一方舞台版グレイは「やり残したことがある。やり遂げたらお前に見せたい」と言い、フローは「そしたらまた会えるわよね」と問い返すがそれには答えなかった。劇中では、「自分で芝居を作る」という望みを話し、フローが「お手伝いします」と答えるシーンもある。これは明らかな”隙”ではないか?
 こんな約束をしてしまっては、不屈の女、絶対に人を裏切らない見捨てない女、圧倒的藤田和日郎作品主人公であるフローが、天国で大人しく待ち続けるのだろうか。芝居を作ったが見せる相手がいないと劇場をうろつくグレイを知ったら、神に陳情書を送りまくり、なんとか奇跡を起こして観客が幽霊を観える奇跡の夜を用意するために邁進するのではないか。そして芝居を見届けて、願いをかなえたグレイと、遂に一緒に行ってもいい、『うしとら』でも雪女の回でそういうのやったじゃないですか、ハッピーエンディングのためなら多少強引な後付けでも皆が許してくれるはず。
 
 だらだらと長く書いてしまったのでこの辺で終わる。もちろん上記の怪文書は俺の妄想なので、劇団四季の素晴らしい構成、ビターで感動的な終わりを完全に支持した上での遊びである。改めて、歌や脚本、セットや照明に至るまで、微に入り細に入り工夫を凝らした芸術表現に賛辞を贈りたい。
 そして今回、初めて劇団四季のミュージカルを観劇したが、実際に生で観る方が素晴らしいらしい。たしかにPCやテレビの画面越しでは伝わらない臨場感があるのだろう。是非体験したいが、俺は九州の端っこに住んでいるのでなかなか機会がない。文化的格差とはこういうものだ、配信を決定してくれた劇団四季に限りない感謝を。


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