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アルコール依存症者沼

アルコール依存症
(以下、アル症)については、

「完治はなく生存率の異常に
低い」だの、
「偏見・差別が非常に強い」
だのと、医学的にも社会的にも、
とにかく悲観的な言説が多い。
 
確かに、それは事実であり、
アル症当事者である私も、
自分自身の不運・不幸を呪う
ことは少なくない。

というか、
「自分はなんて不幸なんだ」
という、自己憐憫の沼に
どっぷりと浸かっている。

ただ、時々、こうも思う。

この世界にあふれている
不運や不幸は、別にアル症に
限った話ではない。

完治のない病気も、偏見・差別も、
世界には数えきれないほどあるし、
貧困や飢餓や戦争で、苦しんだり
亡くなったりする人は数えきれない
ほどいる。

ここで私が問いたいのは、
「どちらが不幸なのか」という
不毛な議論ではない。

自分の不幸を呪って
自分をもっと不幸にするのは
辛いだけだということ。

他人をうらやんで、卑屈になる
のも辛いだけだということ。

他人の不幸や世界の不幸は、
自分に余裕ができてからでないと
ちゃんと考えられないということ。

とりあえず、飲まない一日一日を
送って、身体と脳みそを少しずつ
まともに戻して、生活や人間関係
を再建して。

残念ながら、
それでもなおアル症は
「完治のない生存率の低い」、
「偏見・差別が非常に強い」病気
であることに変わりはない。

「生き直す」ことの先に
バラ色の人生が待っている
わけでもない。

それでも。

あーでもない
こーでもないと。
わちゃわちゃ考えたりして
紡いでいく一日一日の方が、
自分や誰かを呪って孤独に
死んでいくことよりも
なんぼかマシだと、
そんなふうに考えるようになった。

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