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ジェノサイド

うちには現在、犬が1匹、暮らしている。

昨年9月、長野県のある地域で、
多頭飼育崩壊したブリーダーが見捨てた
犬の生き残りである。

百数十頭の犬が、ほぼ「伏せ」の
状態から身動きの取れない檻の中に
生きたまま放置されていたそうだ。

そうした現場に慣れた警察官でさえ、
経験したことのない死臭だったという。

続いて11月、今度は1000頭もの
単位で同様のケースが起きた。

信じられないことに、現代の日本で
こうしたケースは珍しいことでは
ないのだ。

人間の勝手な都合により、ペットにも
「流行」がある。
そして需要があれば、ブリーダー
(繁殖業者)はそれに応えようとする。
儲けを大きくしようとすれば、集約的
多頭繁殖が行われる。
メスもオスも、薬剤投与によって体が
ボロボロになるまで子を「生産」させられる。

数百~数千の単位でこれが行われれば、
当然「規格外」の子も生まれる。

数年前まではこれを「処分」することは
違法ではなかった(道義的にどうなのか
という問題は別として)が、ある時に
これが違法となった(動物愛護法の改正)。

しかし、今度はこれが裏目に出て、
「規格外の不良在庫が処分」できなくなくなり、
ブリーダーは多頭飼育崩壊し、数千もの命が
「不良在庫」として山林などに不法投棄(遺棄)
されることに…。

構造的に生まれたジェノサイド(虐殺)である。

私たち人間の勝手な都合で望み、産ませ、
規格外なら殺してしまう。
「ペットは家族」とか言ってる幸せ家族の
裏には、山林に遺棄され一顧だにされない命が
現実に存在している。
なんなんだコレは。

さて。
こんなことを書いている私もまた、
手放しでこの構造的ジェノサイドを
批判できるわけではない。

冒頭で書いたように、うちの犬は、
そのジェノサイドの生き残りのうちの
一匹である。

つまり。

私がその一匹を選んだことは、
その他の数千数万の犬の命を見捨てた
ということだ。

同罪とまで自らを断ずるつもりも
ないが、かといって、えらそーに
どうこう言える立場でもない。

足元で寝息をたてている犬の顔を
見つめながら、ひどく複雑な思いに
なってしまう。

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