![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161177390/rectangle_large_type_2_5641dda43859c71c3b648e6c7cf51568.png?width=1200)
562 兵庫県知事選挙10日目「稲村の火」
はじめに
11月9日、兵庫県知事選挙10日目をむかえています。さて今日はまず動画を一つ紹介します。それが日本中学生新聞というチャンネルが取材しているほょうご県知事選挙の特集です。このチャンネルは誰にも遠慮せずに書きたいことを書くというスタンスをしっかり示して取材を重ねている点です。
今回立候補している7人の動画が紹介されています。大変に興味深く見させていただきました。さて、今日の教育コラムは「稲村の火」というお話を少ししていきたいと思います。
稲むらの火の紙芝居
1854年の安政南海大地震による津波が襲った広村(現在の和歌山県広村町)での避難が遅れた村民を、いなむらに火を放って導いた話を元にした防災教育ツールがあります。今日はその紙芝居を紹介している内閣府のホームページを紹介します。
この稲むらの火というお話は、戦時中から戦後にかけて使われていた国定教科書の尋常小学校5年生用「小学国語読本巻十」と、その後の6年生用「初等科国語六」に載っていた教材です。
そのあらすじは、「ある海辺の村の高台に住んでいる庄屋の老人・五兵衛が、奇妙な揺れの地震を感じたあと、高台の端から、海水が沖へと引いていくのを見て、津波の襲来を予感します。そこで彼は、自宅の田圃に積んであった稲むらに松明で火をつけて、庄屋の家が火事だと思わせ、海辺に在住する村人をすべて高台に集めました。大津波が襲来して、家々はすべて流されたものの多くの人々の命が救われたという物語です。
実話
「稲むらの火」の物語は、1854年に起きた安政南海地震のとき、紀州和歌山藩広村での実話がモデルとなっています。紀伊半島の西海岸にある広村は、安政南海地震による大津波の被害にあいました。実在する人物、濱口儀兵衛は千葉県の銚子で醤油業を営んでいました。
地震発生の時、彼は故郷の広村に帰っていました。よく村人の面倒を見ることで有名でした。地域のまとめ役であり、自分を犠牲にしてまで村のために尽くすような方でした。
安政南海地震による大津波が発生した際に、儀兵衛も多くの村人とともに流されたそうですが、八幡神社のある小高い丘にすがりついて助かったそうです。儀兵衛はまだ下の村に多くの人が残っていることを知り、第2波の襲来に備えて、村人を八幡神社のある丘まで避難させようとしたそうです。
しかし、暗い夜道で避難は大変困難が予想されました。そこで若者たちに命じて水田に積んであった稲むらに次々と火をつけその炎で避難の経路を照らし示したのです。さらに大きな津波が襲ってきた中でしたが儀兵衛のこの判断によって、多くの村人が命を救われたのです。
教材「稲むらの火」の五兵衛のモデルは、広村の濱口儀兵衛さんです。このお話が国語の教科書に載るようになったのには、明治の作家、小泉八雲が関係しています。1890年に来日した小泉八雲は1896年ごろ、神戸で暮らしていました。このころ、八雲は明治三陸地震津波が発生した際のニュースに接します。この三陸地震津波を報じた新聞の記事に「安政南海地震」の時の濱口氏の「稲むらに火をつけさせて村人を救った」逸話を目にします。
こうして、明治の三陸津波による大災害と広村に伝わる逸話が、八雲の手によって短編作品となり雑誌に発表されます。それが後に国語教材としても取り上げられる「稲むらの火」の原点となります。
どんな政治家を望むのか
濱口氏の大切にした言葉に「情けは人の為ならず」ということわざがあります。これは、誰かを助けることは、いずれ自分に恩恵となって返ってくるものという意味ですが、濱口氏は人の命を救い地元の復興に向けてはたらきましたがそれは自分の名声のためではありません。
地元の生き神として祀られる動きですらあったのですがかたくなに断ったそうです。
よい政治とは、さまざまな人たちが安心して語り、集まる場所をつくることで豊かなコミュニケーションが育まれ、地域の魅力が増加し、めぐりめぐって商売がそして地域が栄えることにつながることなのだと思います。
さて皆さんは、どんなリーダーを望むでしょうか。