519 斎藤知事の誤算 失職選択で敗戦確定
はじめに
国政選挙の足音が大きく聞こえるそんな状況になりました。自民党総裁選挙は、高市氏と石破氏の決選投票にもつれ込み、逆転勝利で石破茂総裁が誕生しました。総裁選にこれまで最多の挑戦者が勝利を手にしました。
崩れかけていた自民党が、総裁選が終われば一枚の岩のようにまとまる瞬間をみたような気もしました。
今後の自民党の役員人事や内閣の立ち上げ、所信表明、などなど石破茂新総裁の手腕に注目が集まります。そんな中ではありましたが、斎藤元彦兵庫県知事が、知事として勤務する平日の最終日を本日終えました。月曜日には失職していますので、知事として公務に関わるのは現知事としては最後でしょう。
今日の教育コラムは、昨日、斎藤元彦知事が記者会見で明らかにした30日の失職を待ち、その後出直し選挙を裸一貫で戦うことを表明されましたことについて少しお話してみたいと思います。
何に対する不信任決議であったのか
石破茂新総裁の今日の演説には、政治家としてなすべき国民や国への思いが熱く語られていました。高市氏も同様です。昨今の隣国との緊張状態が続く中、防衛政策は重要な政治の話題です。
お二人とも国を守ることの重要性を各自の理念と見識から語られていたように思います。候補者同士という立場の違いはあれどいずれの候補者が総理になろうとも私たちの暮らしや安全を守るという強いメッセージを受け取ることができました。
政権政党という立場がこのような政治家の発言に重みを与えていたようにも思いますし、政権を担ってきた政党だからこそ論点に据えるべき内容が国家国民の生活や安全というこの時代に脅かされつつあるものを中心に主張されていたのだとも思うのです。
さて、斎藤知事の選挙戦の論点はどこにあるのでしょうか。それは、「私」にあるように見えてしまいます。ここで言う「私」とは、斎藤さん自身のことです。自分の行動や自分がどのように見られているかという点が争点になってしまっているように思えて仕方ないのです。
県政の混乱が収まらない
不信任決議案が全会一致で可決された後、斎藤知事は29日までに辞職するという選択肢もあったわけですが、「失職」を選びました。これは、これまでの問題の中でもとりわけ初動の権力者による告発者さがし、告発者潰しに対対して一切の反省をしていないという姿勢を貫いたことになります。
彼が、その姿勢について不信任を出されたことを理解していないのです。政策の話ではなく、政治家としての姿勢や権力者としてあるまじき行為をとったことを謝罪無くしては、前に進めないという現状認識を持っていないのです。
それは、失職を表明した記者会見で「知事をやめるような問題ではない」と言い放った一言に象徴されている彼特有の理論からも見て取れます。
だとすれば、彼は何も悪いことをしていないのに不信任決議を出した議会の行為に対して反論する意味で議会を解散すべきだったということになります。彼の行為は一貫しているように見えて一貫していないのです。
私個人としては、議会の解散などありえないと考えますが、彼がもし失職を選ぶならそれは、議会の指摘を認めないという姿勢なのですから、喧嘩すべきは議会でした。そして、ことごとく現職の議員の選挙区に斎藤派の立候補者を立てて県民の民意を問うべきでした。
さもなければ、いずれの未来があろうともいずれにしても議会は、斎藤元彦という人間が知事にふさわしくないという意見を変えることはないでしょう。つまり、議会の応援が無くては県政など前には進まないわけです。
再度、不信任を知事に議会は突き付けることができてしまうわけです。知事は本当の意味での出直し選挙を可能にする反省を示す辞職の道も捨て、自分を擁護する議会をつくるための議会の解散もできず、ただただ非を認めず、県民の1人からの温かな手紙に心を動かされたとすれば、それはもうすでに政治家としての判断の範疇を超えた自分が好きなだけの自分のことを好きな人の声だけを聴く、権力を欲するただの亡者でしかありません。
彼がくりかえす失敗は、国政選挙を控えている彼を応援してしまった政党にも大きな影響を及ぼしています。近く国民に信を問うと宣言している石破茂新総裁は、政治と金の問題で失った自民党への不信感を一度この選挙で清算するという険しい道であっても当然の道を選ぼうとしています。
民心なくば立たずという、政治家としてのリーダーとしての原点を理解している行動だと私は思います。斎藤知事が、したい県政を前に進めるという響きのいい言葉は、議会が86対0で反対し続けている内は、もうすでにその実現が不可能なのだということに気づかなければならないように思います。