523 さいとう元彦 「高杉晋作は無いだろう」
はじめに
今日も精力的な街頭活動から始まったさいとう元彦氏の出直し選挙に向けた活動ですが、皆さんはどのように感じてらっしゃるでしょうか。応援のメッセージが続々とXに寄せられています。
今日の教育コラムは文藝春秋へのインタビューに少しふれながら彼の思いについて少し思いを巡らせてみたいと思います。
高杉晋作に憧れて
さいとう元彦氏が、司馬遼太郎先生の作品 「世に棲む日日(よにすむひび)」が大好きだとインタビューで答えている記事を拝読しました。前後編の長編歴史小説です。名作中の名作を引き合いに彼は何を語りたかったのでしょうか。この作品、前編は吉田松陰先生を中心にしたお話しで、後編がさいとう元彦氏が好きだという高杉晋作先生を中心に書かれている作品となります。ところで高杉晋作をなぜ、さいとう元彦氏が自分と重ね合わせているのでしょうか、その辺を少し考えてみることにします。
「世に棲む日々」とは
高杉晋作は、久坂玄瑞と松下村塾の双璧と称される傑物の1人です。司馬遼太郎先生の作品「世に棲む日日」のタイトルは、正確には少し違いますが、この高杉晋作の辞世の句からきています。
「おもしろきこともなき世をおもしろく、棲みなすものは心なりけり」
という句です。
実は、この句が出来上がったエピソードが大変に面白いのです。この短歌の前半、「おもしろきこともなき世をおもしろく」は高杉晋作が詠みました。
続く後半の「棲みなすものは心なりけり」は幕末の勤王家である野村望東尼(のむらぼうとうに)が詠んだものです。ドラマなどで、高杉晋作の最後の場面で、「おもしろきこともなき世をおもしろく」と高杉晋作自身が詠んでいる場面がよく演出される関係もあり、辞世の句となったのかもしれませんが、二人の合作というところが素敵なのです。
高杉晋作が、「おもしろきこともなき世をおもしろく」と詠むが先が思いつかないところに、高杉晋作たちを支援していた野村望東尼が横に立ち「棲みなすものは こころなりけり」と詠みつなげたのです。
ここに、同じ幕末を生きる人間同士の意思疎通が見えるわけです。幕末の風雲児である高杉晋作が「世の中がつまらん、でもつまらんと言っているのではなく、それを面白くしていくことが大切だ」と詠むが続きに詰まるわけです。もしかすると同意を求めたかもしれません。そこに野村望東尼は「面白くするのは、あなたの心にかかっている」とエールを送っているのだと思います。この合作は、この歌を詠む人に自分もこの社会を面白くしたいという当事者意識をもたせてくれます。
さらに言うと、心の在りようが大切であり、現状に甘んじているのではなく自らを振り立たせてみてはどうかと励まされているような感覚すら覚えます。
高杉晋作が辞世の句として用いると
この歌は、辞世の句として考えるとまた違った思いを感じることができます。高杉晋作が、人生の最後にもしこの句を詠んだとすれば、「おもしろきこともなき世をおもしろくしようとしてきた自分の取り組みには満足しているが、未だ道半ばであると思い続けて取り組んでいくことが大切だ。」というメッセージに思えてくるのです。
さいとう元彦氏がどう重なるのか
倒幕運動の中心となった長州と薩摩ですが、当初からその動きを支えたのは間違いなく長州藩でした。長州の維新志士たちを育てた偉大な人物吉田松陰は、安政の大獄で道半ばの中で命を失います。
その遺志を受け継いだ志士たちは数多くいますが、その一人が高杉晋作です。司馬遼太郎先生が描いているものは、明治維新をむかえるまでの幕末の動乱を生きた人々の姿であり心だと思います。吉田松陰と高杉晋作が様々な人々と出会い、成長していく過程に私たちは時代の大きなうねりを見ることができます。
さいとう元彦氏は高杉晋作の何と自分を重ねているのでしょうか。何が重ねることができるのでしょうか。高杉晋作が上級武士の出身であることを重ねているのでしょうか。それとも孤軍奮闘して長州の長老たちとの意見が割れても戦い続けたことを重ねているのでしょうか。
私が好きな高杉晋作
私は、高杉晋作が身分にとらわれることなく吉田松陰を師とし、謙虚にかつ反抗的にそして向上心高く学んだ姿に感銘を受けます。
私は、身分に関係なく志を共にする人々と奇兵隊を結成し、力士隊、遊撃隊などなど様々な人間が活躍する場をつくり、窮地において助けを集め苦楽を共にしたことに共感します。
私は、世の中への不満を強く持っている人々を受け入れ、規律を説き一つの組織として様々な立場の人たちをまとめ、多くの尊敬を集めた彼に憧れます。
高杉晋作は、日本の兵法家であり偉大な政治家であり維新志士です。官僚とは、専門知識を活かして法案や予算案の作成などを行うことで、政策を形にしていくことが仕事です。また、政治家は試験で成れる官僚とは違います。国民、県民、有権者に選ばれた人物です。
今日も社会学者であるマックス・ウェーバーの言葉を借りたいと思います。彼は、官僚というものを本格的に研究した人でも有名です。そんな彼が残した言葉に「最良の官僚は、最悪の政治家である」というものがあります。
法律にのっとり現状を保つ官僚という仕事と現状の問題を適切に理解してその改善に向けて行動する政治家とではなすべき仕事が違うのです。今までの自分の問題点をいつまでも改善できない人間に政治家は難しいということです。告発者潰しをした自分の行いを未だに適切であった、法的に問題は無いので特に改善すべきではないとしている彼は最良の官僚かもしれませんが最悪の政治家なのかもしれません。
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