487 頑張れ‼ 後4日「嘘はつらいよ」斎藤元彦 兵庫県知事
はじめに
今から、55年前1969年の8月27日この日は、山田洋次監督と主演の渥美清さんの名コンビで幾つもの国民的映画を世に送り出してきた「男はつらいよ」シリーズの第1作が公開された日になります。
今日はそんな、国民的な支持を集めてきたこのシリーズと少し関連付けながら兵庫県の斎藤知事のここまでの行動について少しお話してみたいと思います。
百条委員会で説明する
斎藤知事の最近の発言は、記者会見で全く説明できない状況になっています。知事は記者からの質問に新しい切り抜け方を見つけています。それが、「百条委員会でお話しする。」という方法です。
地方自治法をちょくちょく持ち出して、お話しできない理由を述べますがそんな知事が当初は、正しく調査を尽くさずに「嘘八百」「公務員失格」「噂話を集めた物」などといった情報を積極的に発信していたはずでした。
県政のために厳しく指導したであるとか、叱責したであるとか、コミュニケーション不足でパワハラだと思われていると言っていますが、それは違います。認識がもうすでにずれています。
寅さんから学ぼう
斎藤知事の言葉は、すでにもうマンネリ化しています。さすが官僚といったところでしょう。政治家の言葉とは思えないほどの正確な繰り返しの返答が物語るのは、政治を仕事にしている人間であるという強い印象を受けます。
最も顕著なのが、今回の件について道義的な責任を感じていないに等しい発言はさすがに斎藤知事でなければできない発言だと思います。まさに、ここ数日は、状況は悪くなり真実がさらに明らかになっているにもかかわらず、すべての質問にマンネリ化した返答を用いています。
一方寅さんは、究極のマンネリを作品の要素にしている物の一つだと言えます。通常の映画やテレビシリーズであれば、絶対に避けるべきこのマンネリ化を観るものに期待させるものへと昇華させているわけです。「男はつらいよ」の世界では、マンネリの展開はむしろ観客に期待されています。寅さんン登場しかり、マドンナとの関わりしかり、みんなが待っているものそれ自体がマンネリなのです。
そう考えると斎藤知事の不適切な対応を適切だと言い切り続けるマンネリは、とてもではありませんが見続けることができません。それは、すべての言葉が期待を裏切るものだからなのかもしれません。
人間性の欠如
人情に厚くとびきり陽気な性格がトレードマークの寅さんは、惚れっぽく憎めない魅力があります。そんな人間味のある寅さんを演じていた渥美さんは勉強家で、必ず自費で映画を鑑賞し、役作りや演技の勉強をしていたという話を聞いたことがあります。
渥美さんの言葉の中に次のようなものがあります。
「タダで見たんでは、お客さんの気持ちも、演技する人の気持ちもわからないよ。試写室の記者の人たちや芝居の記者クラブの人たちを見てごらん、つまらないと途中で平気で寝てしまう、失礼だよ」
この言葉には、俳優としての強いプロ意識を感じることができますし、学ぶことができます。斎藤知事の言葉にはこれが無いのです。あるとすれば法的に問題がないか、法的にどうであるのかという役人の思考の範囲を越えれないということです。わかりやすく言えば、適切でなくとも法的に問題ないなら適切という考え方だということです。これこそが道義的な責任を感じられない最も大きな原因なのだと思います。
東京大学の至高の国語の問題に登場
寅さんの名場面は、実は東大の国語の問題として登場したことがあります。寅さんの言葉は、人の命や人生を鋭く本質を問うものが多くあります。自分に正直に人にやさしく、素直に自分を振り返るそれが寅さんにはできているんだと思います。
斎藤知事も後4日で大切な百条委員会への出席となります。寅さんから学んでほしいものです。