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529 斎藤元彦や県幹部と戦った告発者の無念

はじめに

公益通報者保護法とは、企業による不正行為などを通報した従業員を保護するために制定されている法律です。企業による不祥事は社会に広く悪影響を及ぼす恐れがあったり、不正行為を従業員が通報したりすることで未然に防げるケースもありますが、通報を行った者が不利益な取り扱いを受ける場合もあるため、公益通報者保護法が定められています。

公益通報とは

公務員を含む労働者などが組織の不正行為を、内部の通報窓口や、権限がある行政機関、それに報道機関などに通報することができる

不正による国民への被害を防止するための通報は、正当な行為として保護されるべきだとして公益通報をした人の不利益な扱いは法律で禁止されている

兵庫県では、これまで内部通報窓口しかありませんでしたが、新たに弁護士が受け付ける外部窓口を年内をめどに設置することになり、準備を進めています。

県の判断とされる歪みと正しい解釈を比較する

県の内部調査に協力した藤原正廣弁護士が本件に関わる説明で次のように話しています。
「文書の内容だけをみれば、真実相当性が認められないので、元局長に対する不利益な取り扱いは禁止されず、懲戒事由があるから処分は可能だという見解だ。」
これは何を意味しているかというと告発文書を告発されている当人たちが嘘八百、事実無根とすれば、それは公益通報にならず法的にはまったく問題ないという認識だということです。

3月12日に告発文書がある一定の期間に送付されました。その後3月20日までの間に知事の耳に入り、3月21日に幹部職員が集まり、徹底的な調査を命じて犯人の探索が始まり、3月23日には犯人が特定され、3月25日までの間に脅迫的な聴き取りが行われ、噂を集めた文章ということになり、真実相当性の無い文章という根拠を知事や県幹部は手に入れます。そして、3月27日に告発者は公にさらされ、公開パワハラとなります。

文章の中身を公平に判断するためには、大変に時間のかかる調査を第三者機関に依頼して調査する必要があります。しかし、彼らは奥山教授の言葉を借りれば、「結果的に文書には、法的に保護されるべき公益通報が含まれていることが明らかになっていると思われ、知事らのふるまいは公益通報者保護法に違反すると考える」と指摘できるような行動に出ました。
また、斎藤知事が記者会見でおこなった「公務員としては失格」と述べたことについても、一部事実が認められる以上、県の行政府の最高権力者が公の場で部下に対して、行った「公開パワーハラスメント」と指摘できるわけです。

外部通報に当たる

一連の問題において意見が分かれるのが外部通報かどうかという論点です。
元西播磨の県民局長さんが文書を3月に警察や県議や報道機関など10か所に限定的に送付したこと自体が外部公益通報にあたるという見解が通常の思考です。ここを外部公益通報としない場合、告発者が不正を告発する術が無くなります。
内部通報窓口に最初から通報しなかったことを指摘する人もいますが、内部通報窓口の関係者には副知事の名前もあり今回の告発の内容に含まれている人物からの報復を恐れるのは当然のことで、このような場合、匿名で外部の機関に送付することは決して珍しくありません。
実際に外部に通報したにもかかわらず、告発文書を手に入れた人間が内部で犯人捜しのような調査を進めました。この犯人探しを知事も県も問題ないと言っているわけですから、組織的な告発者潰しを誰かが命令して行い、その内容を顧問弁護士が問題ないとお墨付きを与えていった事実を踏まえると、今回の問題の恐ろしさがより明確になります。
県の人事課が、実は当時の総務部長に3月時点で第三者機関で調査するべきではないかと進言していました。しかし、早期の設置はなされずことの深刻さが増した中で設置されました。だれが、この第三者機関の設置を拒むことができたのでしょうか。それこそ、それほどの判断を独断で実行できる人間はごく限られています。
今日は、告発者の月命日です。改めて故人の無念を考えると心が痛みますし、権力の乱用について私たちはどのように考えていくべきなのかもう一度問い直す必要があると思います。

大塩平八郎

大塩平八郎は幼い頃に両親を失っています。13歳頃から奉行所で見習いとして働き始めた方です。大塩平八郎は清廉潔白であり不正は絶対に許さないという正義感の強い方でこの思想の根底にあったのが陽明学でした。
陽明学を学んだ大塩平八郎は、与力(よりき)としての務めの中で汚職や戒律を破った僧などの手の出しにくい事件について精力的に対応してきました。
心即理とは「心こそ理である」とする教えで、「人間は心と体が一体であり、正しいことは心が教えてくれる」という意味を持っています。
そして知行合一(ちこうごういつ)は「知識と行為は一体であり、本当の知識とは、実践が伴わなければならない」ということを指しています。
彼は、与力として不正と闘い飢饉で苦しむ民を救うために最後まで幕府に対して問題を指摘し続け行動に出た人物です。彼は幕府に内部告発をしますがその訴えは途中で潰され伝わることはありませんでした。
正義を貫くとはどの時代においても大変に難しい行為なのです。


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