マイクロ育児
子育てをしている親の一番の不安。それは「子供が嫌な目に遭う」ということが筆頭かと思います。
子供が嫌な目に遭うとは
ごとう的には、これは2パターンが主だと思います。一つは、シンプルに嫌な目に遭うこと。イジメられたとか、怒られたとか、そんな感じですね。
無論、相手が仮に100%悪いとすれば、全力で子供をサポートします。
※とは言っても、子供のケンカに親がしゃしゃり出て、相手の子どもをぶん殴るとかは考えられないけどね
もう一つが最近色々思う所があること。
そして、僕やママも大いに反省すべきと考えているところです。
それは「子供が困る」ということについて。
子供が困るとは
困る場面といえば、シンプルに宿題分からん!とか。常にたすけ舟を出せたらいいのですが、小学生にもなれば24時間一緒にいるわけではないので、学校での事はやっぱり子供が中心にイニシアチブを取るのが理想。
ですが、小学生ですから。もっと言えば人間ですからね。ミスはつきものです。
時々「あれ忘れた!」とか「聞き逃した!」なんてことはあるでしょう。時にはとんでもないことをやらかすことだってあるかもしれませんよね。文化祭の日にギター忘れるとか。
そうした場面で困らないように、親が「あれやったの!?」「〇〇はどうしたの!?」と。それは愛ゆえにという方もいるでしょう。子供が困るところは見たくないと。
でも思うんです。本当に子供は困ってんの?って。
結局それって、実は親の主観なんじゃないかなって。
勿論これが命のやり取りであれば話は別です。
ですが、宿題忘れて死にます?あ、忘れた。怒られた。じゃあ次気を付けよう。そうやってアップデートしていくものって考え方だってできます。
失敗から学ぶことって、デカイですよ。痛い目にあうんだから。次から絶対こんなことにならん!って気になりますよ。
だから最近思うのは案外「困るでしょ!」ってのは親の勝手な思い込みだったり、自分の過去を勝手に子供に投影してるだけ…なんてことだってあるんじゃなかろうかということ。
その不安を「子供が心配!」と、勝手に子供のせいにしてるだけなんではなかろうかと。
大人になってから困ったらどう責任取るの!って話もあると思います。でもそれは「親が解決する問題ではないでしょ」とも思います。むしろ僕らの手から離れたことを喜んでいたい。
そうした親の心持って、子供への愛じゃなくて、”自分が”不安になりたくないっていう自己愛なんではないのかな…。と最近激しく思います。
傷付きたくない。不安になりたくない。それはみんな同じ。だからこそ支え合う。でも支え方は様々です。何から何まで困らないように!ってコントロールしつくすことが、本当に子供のためなのかって、僕には思えない。
それに、子供の気持ちになってみてください。
こんなにマイクロマネジメントされて、やる気なんて出ます?むしろ「信じてもらってない…」って思いの方が強くなるんじゃなかろうかと。少なくとも僕はそう。
マイクロマネジメントがちな親へ
人間ですし、不安になる事なんて沢山あります。僕だって、大学出てから「明日もカネあるし何とかなるさ」なんて楽観的になったことなんて一度もありません。ですから、不安を抱えることの恐怖は分かりますし、今だってそれと戦っていると思います。
でもその戦い方は、何も不安を無くすってことだけじゃなくていいんじゃないかと。忘れようとすること・信じて見守ることだって、立派な戦いではないのかなって。意図してテキトーにしている人だっていますよ、きっとね。
それに子供は、親の不安を解消する道具ではありません。一人の人間として、対話を忘れずにいたい。一人の人間として、決して命令するような関係性になりたくはないです。
僕も気を付けなきゃ。