ゴジラVS〇〇
子供は厳しく育てるべきだ!
子供はほめて伸ばすべきだ!
ネットとかテレビとか見ていると、この2項対立論が目に付くなと感じています。ウチはどうなのかなぁ。振り返りになりますよね。
「厳しく育てる」という事については、僕らのイメージする厳しさって、所謂スパルタに感化されたものなんじゃないでしょうか。「理不尽に耐えてこそ、人は成長できる」っていうね。その対極にあるのが「褒める」というイメージ。
ごとう家のパパとママは、凄いことや頑張ったことは沢山褒めます。だって本当に頑張ったな!と思うから。でも、そこに「褒めてこの子の自己肯定観を育むんだ!」なんて心理は、パパママともに働いていない。単純にやったぜ!と、一緒に喜ぶだけ。
そして、怒るときも怒ります。ママとは少しツボが違うかもしれませんが、多分、僕が心の底から怒る場面っていうのは「誰かを傷つけた時」。幸い今のところ、誰かを寄ってたかってイジメるとか、そうした事には加担していない様子ですが、他人の思いや願いを捻じ曲げること、それは生きるという事を害するという事だと思っています。
そう考えると、多分本気で怒ったことってすっごく少ない。自分で言うのもなんですけど、とっても友達思いに育ってくれています。
それなだけに、怒るという事については最近少し反省しています。何故かっていうと、つい感情で怒ってしまう事が最近は多いから。「パパに怒られる~」「ママにこう言われないようにしろよ」なんてセリフが家庭内で聞かれるってことは、それだけ僕やママが「僕らの都合」で感情的になってしまっている局面が増えているという事だと思ってます。そしてそれを分かっていながらもやってしまう自分にもイラついたり…。
だって、「早くしなさい!」「これくらい自分でやってよ!」。これって、僕やママに都合が悪いからだと思うんです。もちろん我儘を聞くのと全てを受け止めるというのは違いますし、実際に朝の準備とかは、終わらないと色んなリスクがあります。けど、その時にもっと何か欠ける言葉ってあるんじゃないかなって。それに、僕ら親も「今それやらなくていいでしょ」って面は多分にある。多分に。そう思うと正直、反省…ですね。夫婦で。
同時に、勿論努力はしているけど、僕らだけではどうにもならないことっていうのを分けて考えないといけない。仕事が忙しくてとか、給料が…っていうのは、僕はともかく、ママに至っては周囲の状況も大いに影響します。そのもどかしさを、僕らの感情に転化する必要はない。でも僕らも弱い人間だし、そのモヤモヤをぶつけてしまう事は大いにある。だからこそ、お互いの想いと向き合ったり、フォローが出来るよう、まだまだ修行を重ねないといけないなぁ…。夫婦で。
という反省もありますが、結果的に褒めるか厳しくするかの2択でいったら「どっちとも言えない」と言う答えになるんじゃないかと。
でも、どっち寄りですか?と聞かれたら、多分「厳しい」方になるんじゃないかなとも考えられます。
親は芝刈り機
あくまで「ごとう家」の場合ですが、パパの役割は「気づきを与えること」だと思ってます。
僕は娘に「~するべきだ」という言葉を使ったことがありません。いや、あえてそう意識しています。ここだけは、娘が生まれて7年間、唯一曲げずに来ている。その代わり、出来る限り「○○○(娘の名前)はどう思う?」とか「どうしたい?」と、選択を委ねるようにしています。
勿論、無理なものは無理なので、それはハッキリ言います。「ニンテンドースイッチ欲しい」「金がねーよ(笑)」とか。願えば叶う!っていうのは正直無責任な話だと思うので。
明らかにこれから到来するのは、これまでの常識が通用しない世の中じゃないですか。今ある仕事の65%が消えていくなんて言われる時代です。「将来安泰だから○○になれ」とか、「女の子なんだから○○はさ~」なんていうのは、逆に彼女たちへ呪いをかけてしまう。「信じて選んだのに…」なんて後悔だけはさせたくないし、そんな鎖を彼女たちにつなぎたくもない。
だから、自分の感性と自分の思いを大切に、「自分の頭で考えて、本当に進むべき道」を見出してほしい。そこに僕らの生き方が影響することは大なり小なりあるかもしれないけど、それはあくまで僕らが積極的に発するものじゃない。そして、これを先述の「ほめるか厳しくするか」という2項に当てはめるとすれば、「厳しい」方に入るんじゃないかなと思ってます。”答え”を与えないってことだから。
例えば運動会の徒競走、長女は昨年より順位を落としました。それに対して僕は「残念!ま、次頑張ろうぜ!来年までにどうすっか?」「(娘)パパと練習しようかな~」と、今朝の送迎の時にも話題に上がりました。
これ、厳しくしたつもりです。彼女に「パパと練習しようかな~」という答えを委ねたという点で。僕は答えを与えていません。彼女が考えた答えです。でも、「自分で選んだ」ってことが、とっても価値のあることなんじゃないかなって。だってそれは、僕らの手を借りずに、また一歩前に自分で足を運んだっていう彼女の成長の証だとも思うから。
これが正しいかどうかは多分、一生分かりません。まだまだ小さいですし、さすがに命に関わるような選択(熱中症になるから水分を多くとりなさい!とか)はまだまだ介入の必要はあると思います。
でもそれはいつまでも僕らがやる必要はない。最終的に彼女たちの未来を切り開くのは彼女達自身。例えるなら、娘達はサッカーにおけるフィールドプレーヤー。そして僕ら親は監督ではなく、彼女たちが気持ちよくプレーできるように、芝生を刈ったりするような立ち位置でいいんだろうなと。
さて。今日も帰ったら芝刈りの一環として、宿題広げやすいようにテーブルでも少し片付けときますかね。気付かれないんだけどね。でもそれでいいんだ。
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