伝えることに意味がある
みなさん、おはようございます。
歪んだメガネです。
今朝は僕の意思疎通に関する「~だろう」思考と「~かもしれない」思考についてちょこっと綴ろうと思います。
まず僕と大切な女性との通話に関する価値観からお話しします。
僕は話したがりなので、毎日通話をしたがる派。
でも、彼女は通話は楽しいけど、諸々の理由で毎日はしんどい派。
僕は彼女の気持ちを汲んで毎日通話はしないということにしました
通話できないのは寂しいですが、それでいいと思ってます
なぜなら、話し合いをちゃんとした上で互いに納得した内容だからです
人によっては毎日通話しないと嫌だという人もいるでしょうし、逆に
毎日はめんどくさいやしんどいと思う人もいるでしょう。
価値観は人それぞれ。対立することもありますよね?
だからこそ、お互い話し合った方がいいと思ってます。納得がいかないからちゃんと話し合う。たとえ、自分の主張が通らなくても、相手に自分の主張したいことを把握してもらえる。
把握してもらっているのと全然知らないのでは、天と地の差があると僕は思っています。いくら、仲が良くても、お互いの心の内まで読める人なんていません。だって、人はテレパシーを使えません。だから、言葉というコミュニケーションツールが存在するわけですから。
知ってもらっていれば、「ああ、この人はこういう考えを持っているんだな」と思ってもらえます。そこに折り合いをつける余地が生まれると僕は思っています。
僕は「この人は言わなくてもわかってくれるだろう」という考えはリスクがあると思っています。だって、もしかしたら伝わっていないかもしれないですし、わかってくれていないかもしれない。
車の運転では「~だろう」運転ではなく、「~かもしれない」運転がいいと言われているように、人との意思疎通も「~だろう」ではなく、「~かもしれない」と考えていた方がちゃんと相手に伝わるのではないでしょうか?
繰り返し言いますが、人はテレパシーが使えないから、言葉を口にしないと相手に伝えることはできないのですから。何かしらの言葉でいいと思います。手紙でもいい、録音したメッセージでもいい、メールでもいいと思います。手話だって、言語の一つですから、相手が手話で意思疎通ができるのならそれでもいいのです。
だから、相手がわかってくれる「だろう」ではなく、相手はわかっていない「かもしれない」と考えて、ちゃんと伝えたらより良い関係になれると思います。
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