カナダの大学に通うまで
* * まえがき * *
私は、ミッキーが大好きな不惑も半ばの母です。大げさでもなく、冗談でもなく、本当に、ディズニーの世界観(エンターテイメント性)に感激して人生が変わった人間です。
結婚も子どもを持つことも人生設計に全く組み込んでいなかった私が、ディズニー(人と人とが関わることで楽しみが生まれる場所)をきっかけに結婚をし、二人の娘に恵まれ、喜怒哀楽の感情に満ち溢れた、展開の読めない日々を過ごしています。絶対どこかにシナリオがあるよね!?と思う程、ドラマチックすぎて心が落ち着きません。どちらかというと、穏やかなストーリーが好みなので、今後は変な展開は起こらず静かに余生を過ごしたいものです。
ディズニー以外には劇団四季や帝劇のミュージカル、旅行、読書なんかが好きで、細々と趣味活をしています。このように無性に文章を書きたくなることも。このnoteでは長女のカナダでの大学生活について綴っていけたらなと思っています。日記みたいな記録のようなものなので、ゆる~くお楽しみいただければ幸いです。
◇娘のこと
さて、二人の娘に恵まれたわけだが、現在長女は18歳で高校卒業後にカナダの大学へ、次女は高校2年生でJKも絶賛ピーク期と言ったところか。
一体どんな子が海外の大学に進学したいなんて言い出すのか?
長女歴を振り返ってみたい。
長女の新生児~乳児期はミルクは飲まない、寝ない、便秘がちという割と手のかかる敏感な子だった。歩き出すのは標準的で1歳になった頃だったが、靴を履かせると途端に歩けなくなる慎重派。幼児期もご飯に興味がなく、細くて小さくてどうしたものかと悩んだものであった。
3歳で保育園に入った時は、毎朝毎朝泣き続けること1年。卒園した後は、学童が嫌すぎて行き渋り、小学校が始まれば泣きながら登校し、帰ってからも翌日を憂いて泣くこと数ヵ月。中学に入ってからも泣く日があったり。環境に馴染むのに割と苦労していた子だったと思う。
保育園の泣き続けた日々の理由はもはやわからないけど、小学校以降は理不尽なことで怒る先生がいたこと、やたら連帯責任を強要されること、女子特有の友達関係(なぜか巻き込まれる系)なんかが原因で学校に行き渋って泣いていた。真面目な性格だったので、全てを正面から受け取っていたのだろう。
中学校に入ると自分が感じていることを先生に相談できるまでに成長していた。が、相談したところで何も解決しないということも同時に学んだ。それどころか、友達関係については「キミにも原因があるんじゃないの」と言われる始末。並行して部活(全国を目指すようなガチ合唱部)ではそれこそ鬼怖い顧問が指導者で、厳しい注意を散々受けてメンタルが削られる日々を送っていた。
そこで長女は完全に悟ったのだ。
全てのことを真に受けてたら身も心も持たない
ということを。中学の暗黒時代で、彼女は客観的に物事をとらえるスキルを装備。友達関係にしろ、部活にしろ、何が本質なのかを考えて余計な修飾は極力省いて対処できるようになったのだ。
高校に入った頃には、嫌な出来事もちょっとした面白い出来事も、それをネタにして毎日のように家族に披露。特に合唱部ネタは秀逸で、多いに笑わせてくれた。やがて、長女演じる小劇場は私の楽しみにもなっていった。
中学生の頃から精神的な成長が早い子だなとは思っていたけど、ストレスを笑いに変えて昇華できるまでになり、もう大人も大人、老年期か?と思わせるメンタルの持ち主が出来上がっていった。
かくして、慎重で繊細だった子は中学の暗黒時代を経て、徐々にメンタルを強化し、ついには最終形態の「まあ、なんとかなるでしょ」の無敵メンタリストへと成長を遂げていった。物事を冷静に見つめて客観視でき、何事も「全ては経験」と思えるような子が海外に行くって言うのか、と感心した。
(ただ、そんな子でもコロナだけは笑いにできないようだ。貴重な中高の時間をコロナに潰され、歌う機会をことごとく奪われた時期があった。「『コロナがあったからこそ』なんてキレイゴトには絶対にならん!!」と今でも言っている。「今しかできないこと」を奪われたことの恨みは相当に根深い。)
ちなみに、細くて小さかった子は保育園に入園してからモリモリ食べるようになり、更に高校に入ってからは部活後に学校の目の前にあるファミマで、ファミチキやら肉まんやらのホットスナック、大好物のお煎餅を食べることによりかなり成長した。
こうして、細かった身も、削られた心も太くなっていった。
◇いつから海外に行きたいと思ったか?
これは本当に謎。
高校2年の冬(もう高校3年になるよーっていう頃)に突然、
「私海外の大学に行きたい」と言い出した。
あまりにも唐突すぎて、ナイチンゲールとかジャンヌダルクみたいなお告げ系?それとも電波受け取っちゃった系?って疑っちゃったよね。
というのも、我が家は特段海外にまつわるエピソードを持っていない。インターナショナルスクールでもなければ、帰国子女でも、小さい頃から「年1回は海外ね」なんて上流階級でもない。それどころか、長女は中高はどっぷりコロナ世代なので国内旅行ですら憚れる時代を生きていた。しかも、中学のアメリカ修学旅行は直前でコロナによって中止となって行けずじまい。
つまり、海外とは無縁の生活をしていたのだ。国内から一度も出たことがない。そして、親である我々夫婦も旅行や出張に行く程度で、海外を語れるほどの経験もない。海外に行きたいと思わせるエピソードはどう考えても持ち合わせていない。
しかも、高2の冬ということもあって既に大学受験についての話を担任ともしていたし、予備校にも通うようになっていたのだ。もちろん日本の大学に行く前提で。
更に、長女はなんと言っても家が大好きなのだ。家というより、母である私か。私に引力でもあるんか?っていうくらい、私の周りをぐるぐると回る衛星のような子。
なので、
「え?何言ってんの?冗談?」としか思えない発言であった。
が、1か月くらい本人の意思の確認をし続けたのだが、どうやら真面目な話らしい。本人曰く、
「家は大好きだけど、日本の大学でも一人暮らしをする可能性があるのだとしたら、別に海外でも変わらないかなって」
おいっ!!
おかしいだろ!!
スケールが大違いだ!!!
変わりすぎだろ!!!!
「それに、もう日本で17年過ごしてきたから、そろそろ別の国の人と関わりたいよね。」
というトンデモ論により海外の大学を目指すことになった。
しかしながら、今でもなぜ長女が突然海外大学の発想に至ったのかはミステリーである。
◇海外の大学ってなーに?おいしいの?
そもそも、カナダの大学に決まるまで本当に苦労の連続だった(主に私が)。海外進学なんて1ミクロンも考えてなかったので、全てゼロからの手探りである。本当に何もかもが分からなかった。高校の先生は役に立たない(エージェントに頼めばいいんじゃないですか?という姿勢だ)し、当の本人は宣言したくせにコンクール目前で部活に明け暮れ、海外の大学のことまで手も頭も回らない。
そんな状況ならとりあえず日本の大学に行ってから考えろと、何度も何度も長女と喧嘩をした。それでも、海外に行くことは譲らない。野生のカンなの??
・どこの国にするのか
(アジア?ヨーロッパ?オーストラリア?カナダ?アメリカ?広すぎ)
・学費はどこまで出せるか
・奨学金は検討できるか
・何を専攻するのか
・入試の方法は
・成績は足りるのか(高校3年間の成績が超重要!)
・英語力は足りるのか
・エージェントを入れるのか
まずはこの一つ一つを潰すことに膨大な時間を費やした。色々な国の教育制度やお国柄を調べまくった。散々検討に検討を重ねた結果、国はカナダに決まったはいいが、
・州はどこ?
・学校は?2年制のカレッジ?4年制の大学?
・大学の規模は?
・田舎?都会?
・どこに住む?寮?ホームステイ?
・英語学校は?大学についてるところ?
・日本人スタッフがいる学校?
・日本人の学生が多いところ?少ないところ?
もうね・・カナダの国土って日本の27倍もあるワケですよ。
広い!!広すぎる!!
同じ国なのに6つのタイムゾーンがあるって言うんだから想像を絶する。
東西5000㎞の距離をネット上で行ったり来たり(何万㎞も旅した。ネット上で。)。各州の性格(移民に対する考え方)や気候を調べたり、学校の立地条件を調べたり(Googleマップは神)。ちなみに、カナダの気候区分は5種類!本当に国土が広いんだなあと感じた。
この頃の私は色々な知識を取り込み頭が爆発気味。ことあるごとに長女に「なんで日本の大学じゃダメなの?」と嚙みついていた。学費を安価に抑えようとすると2年制のカレッジから4年制大学に編入するという選択肢まである(カナダは編入が盛んな国)ため、それこそ学校が天文学的な数ほどあった。
※学校を決めるまでのプロセスは、つまり「話せば長くなるヤツ」なので割愛しますが、詳細を希望される方はコメントにてお声がけください。
上記の諸々の疑問も知りたい方はぜひ気軽に聞いてください。
あまりにも検討する事項が多すぎて私は挫折しかけていたのだが、長女は
「海外に住むなんて一生ものの価値じゃない?うまくいかなかったとしてもそれ自体がいい経験だと思う。ただ、私は海外の生活を楽しむ自信があるけどね!」
「自分が日本の大学生になった時に居心地がいいだろうことは簡単に想像できる。サークルとかバイトとか楽しいに決まってる。だからこそ、それを知る前にできるだけ早く海外に行きたい!」
などと前向き発言を連発して私を鼓舞する。
いや、これ誰の修行なん?
当初は、海外の大学に不合格で日本の大学に合格した場合、日本の大学に行くと言っていた。が、調べが進むに従い、海外の大学に不合格の場合は卒業後すぐに語学留学をして大学進学に備えたいと言い出した。
もう卒業後は海外に行くしか選択肢がないのか・・・
そこからは日本の大学受験の予備校は辞め、海外進学のための英語の勉強一本に切り替えた。それが高校3年生の春。
それから学校を検討すること3か月。
やっとの思いで4年制の大学2校と2年制のカレッジ1校を選んだ。
その頃は、高校生活最後の合唱部活動と英語学習、海外の大学には評定が超重要なので定期試験の勉強に打ち込む日々を過ごしていた。
学校の決め手は正直、『学費』と『安全な地域』であった。
私の兄はカナダのカレッジに通っていた経験があり、
「海外の生活ってお金がなくなった時点で終わるんだよね。
お金がないヤツから帰国せざるを得なかった。」
と厳しい現実を教えてくれた。
そうなると、我が家は家計的に公立である州立の学校一択。
田舎になればなるほど当然生活費は安く、学費も安くなる傾向にあった。
いくら公立とは言っても学費はピンキリ。有名な大学ほど高額である。
話はちょっと逸れるが、もし名のある大学に行きたいなら編入か、カレッジ卒業後にカナダで就職して永住権を取ってカナディアンの学費(留学生の1/2から1/3で済む)で大学に編入という選択肢もあるにはある。が、今のところ長女はそこまでの野心は特にない。
できるだけ学費が抑えられる学校に入って、できるだけ長く海外生活を送りたいというのが長女の希望であった。
安全な地域に関しては州の犯罪率の推移を調べたり、現地に住む人たちの掲示板から情報を得た。今長女が住んでいる州はカナダでも犯罪率が最も低い長閑なところだ。本当に現代のネット環境に感謝感謝である。
カナダの学校は9月始まりなので、日本出発まで残り1年とちょっととなった2023年の夏。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?