二宮ひかる『ハネムーンサラダ』について

ハネムーンサラダ 1 (ジェッツコミックス) 白泉社 https://www.amazon.co.jp/dp/4592134184/ref=cm_sw_r_tw_awdo_c_x_DkKbCbH01HMQZ

 この3巻では、かつて遙子に「私たちが付き合っていることを言ったらみんなはなんて言うだろうね」と言われた実が「そんな恥ずかしいことはしない、サル山のサルみたいだから」と返すシーンがある。

「誰と誰が付き合ってるだの別れただの
同じ学校とか同じクラス内で騒いで
なんか動物園のさ
サル山ん中のサルみたいで
恥ずかしいよ…」
(3/p. 178)

 この言葉は、実と恋人同士となることで浮かれ、人よりなにか一歩先んじたかのような気分になっていた遙子に深く刺さった。

 しかし遙子とは違って、「サル山のサルみたい」という言葉を、賛辞ととる人も今は意外と多いのではないかと想像する。そのサル山より高い別の場所からそれを眺められる場所がある、などと初めから信じていなくて、ただ心の中だけで冷笑的になれるだけだと分かっていて、だからこそ「サル山でサルになる」ことに全力を傾けて誇りとしている人たちが。卑近な例を挙げるなら、SNSを親しい知り合いのみ限定公開し、気の利いた風なことを言って内輪で認められて、それで本当に満足だという人のことだが。

 それを考え合わせると、遙子はまだ「数人にとどまる個人的な人間関係」の中で認められることには満足しなくて、より広い共同体の中で自分の価値を認めてもらいたい、公共的な、社会的な存在でありたいと思っているんだなと思ったりする。まあそういう人でないと物を書こうとは思わないだろう、とも。

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