人生の「美記憶」を大事に生きる
自分の生き方の方針ですが、「人生の記念日や、家族との思い出、仕事やプロジェクトの節目などを大事にしていきたい」と思っています。
家族の誕生日、季節の行事、仕事のキックオフや打ちあげ、試験や資格の合格、子どもたちのスポーツの勝ち負け、父母の記念日、人生の冠婚葬祭・・・
それぞれをしっかりお祝いしたり、ホメてあげたり、ゆったりと過ごしたりしていきたい。
もちろん世間には、そんな風に思っている人が大多数だと思います。
でも、でも、悲しいかな「日々の生活の忙しさよ!」。
現実は簡単ではない!「仕事>家族」になってしまうのはなぜ?
現実には、多くの人々が、家族の誕生日ですら、しっかり時間を取って祝うことができない現実が、そこにあります。
やろうと考えていても、実際には、会社帰りに準備するだけでは、十分に思いのこもったものにならない。
結局、近所の手軽なレストランで、いつものような外食して、代わり映えしないプレゼント用意して、お店の人がバースデーソングを歌ってくれて、「いつもの」お仕着せのバースデーになってしまう・・・。
記憶のなかは、「いつも同じ」。どの年の思い出なのか、正直わからない。
ご家族の顔も「あーーー、いつもの夜ね」って、感じなのは、あなたも、すこし感じてますよね。
本当は、「しっかりお祝いしたり、ホメてあげたり、ゆったりと過ごしたりしていきたい」のに・・・。
これは、「優先順位」の問題なのです。
そう、あなたの人生についての「優先順位」の話なのです。
あなたは、どうしても、日常の仕事の比重が重くて、特別な日のために準備したり、費やしたりする時間を捻出できない、のではないですか?
本音では、それぞれをしっかりお祝いしたり、ホメてあげたり、ゆったりと過ごしたりしていきたいと、思っているにもかかわらず。
家族のことに時間を使って、仕事の「日常」をおろそかにして、評価を落としたくない。特別な一日のためにお休みをもらうなんてもってのほか。
結局は、家族を犠牲にして、仕事を優先していませんか?
私たちは、どうしても「家族よりも、仕事」に優先順位をつけてしまうものです。
そうです、事実をみれば明白で、「家族の特別な日よりも、自分の仕事の大事、仕事のヤリガイを優先しがち」ですよね。
でもね、よく考えてください。
「お誕生日を子どもと一緒に祝う」という単純なイベントですら、その子が高校生にでもなったら、なかなかできないものですよ。
そう思えば、最大でも、わずか15回くらいしかチャンスはないのです。
老齢の両親との思い出作りも、そうです。実際は、彼らが元気な時にしかできないのです。
それはあと何回の機会があると思いますか?
その時が来て、その機会を失ってから、後悔をしても、その時にはすでに「覆水盆に返らず」です。
ああ、あの時にしておけば・・・と、嘆いても、時は戻ってきません。
「家族と人生のことについては、後悔しないように生きる」、という強い意志で、あなたの人生の優先順位を付け替える必要があるんです。
仕事と家族を比較する場面になったら、いちど立ち止まって、「家族と人生のことについては、後悔しないように生きる」と考えてみませんか?
そのことで、失うことが仕事の面であったとして、それが後に回復不可能なものでしょうか?
それは、一日先延ばしにして、あとで取り返せないような事態でしょうか?
仕事の日常には強力な重力があります。
あなたが簡単に思うよりも、「日常」の重力は力強いので、それを中断したりするためには大きな勇気が必要です。
だからこそ、仕事の「日常」と家族の「非日常」が対立すると、家族の「非日常」を軽視しがちなのです。
でも、よくよく考えれば、「日常」は力が強いだけに、実は、リカバリー能力も高いのです。
多少の停滞があっても、すぐに復旧すれば回復可能なことが多いのです。そして、あなたには、リカバリーをしてくれる周りの仲間もいますよね。
そう考えれば、「非日常」の機会の少なさに比較して、「日常」を優先し過ぎていると思いませんか?
そして、家族のために、業務を止めて、特別な一日を過ごした姿を見て、文句を言ったり、非難したり、揶揄するような職場や仕事仲間が、そんなに大事ですか?
逆に、そんなご家族を大事にするあなたの姿に共鳴し、次は自分も、しっかり家族の記念日に休みを取ろうと考えてくれる同僚の方が、素敵ではないでしょうか。
具体策 ゴキゲン×ヤリガイのポートフォリオ
人生と仕事について、私は、大きく2つの軸で考えるようにしています。
まず、みなさんに質問をします。
A. あなたは、今の人生に ヤリガイを感じてますか?
B. あなたは今の人生、すべての局面で、ゴキゲンですか?
ゴキゲンとヤリガイ、実はこの2つ、一致しているようで、一致していないのです。
これ、大事なんで、わかりやすく、ちゃんと図を書いてみましょう。
まず2つの軸線を書きます。
1.ゴキゲンの軸 :ゴキゲンか、ゴキゲンじゃないかの区分
2.ヤリガイの軸 :ヤリガイがあるか、ヤリガイがないかの区分
この2つの軸を図に書くと、4つの領域に分かれます。
あなたの現在の気持ちを素直に表すと、どこに当てはまりますか?
あなたは、「ゴキゲンで、ヤリガイがある」人生ですか?
上の図で、あなたはどこに当てはまりましたか?
それぞれの領域をちょっと見てみましょう。
第1領域 「ゴキゲンだけど、ヤリガイがない」
この領域には、「プライベートが充実していれば、仕事はつまらなくてもいい」と考え、享楽的な人生選択をした人が多く存在しています。
仕事は稼ぐ手段だとだけ割り切って考えて、それにヤリガイを求めない。その分、アフターワークの予定はいっぱいで、遊びに、友達付き合いに大忙しです。
しかし、人生の後半になると、急激に達成感のなさに虚しくなるのです。
遊びに遊んで楽しんだはずなのに・・・。自分の人生にはなにも残ってないと後悔する。
この領域は、「目標」や「努力」が嫌いなのです。
アリとキリギリスや、うさぎとかめの寓話ではないですが、目標に向かって地味に努力する人を馬鹿にしているんのです。
そうして、人生の努力すべき時に「昼寝」をしてしまうのです。
しかし、ゴール近くなって、そこにある「距離の差」に気付くのです。
それは、あなたが昼寝している間にできた「地道にすすんだ距離の差」です。
第2領域 「ゴキゲンじゃないし、ヤリガイもない」
この領域は見た目にもわかりやすいですが、苦難に満ちて、不満が溜まる人生です。
でも、実際にこの苦難と不満の感情を抱きながら、そのままに人生を過ごす人も多いのです。
この領域の人は、「変化」や「挑戦」が嫌いなのです。
そのくせ、人の成功は妬ましい。
自分と他人を比較するから、さらに「不満」が溜まっていくのです。
不満と妬みが膨らんで、がんじがらめになっているので、ますますその領域から脱出できなくなります。
その状態を変えるには、そこからでも、今できることに「挑戦」するしかないのですが、そのことに気付くかどうかが大事です。
挑戦さえすれば、失敗すら「学び」になるのです。
人生は大いなる「伏線回収」です。
行動すれば、失敗もいつかは回収されるべきフラグのひとつにすることができるのです。
第4領域 「ヤリガイがいっぱいだけど、ゴキゲンじゃない」
一番、要注意なのは、自分が、この領域だと思った人です。
あなたは、努力家で、真面目。
そして毎日を気概持って挑戦しながら生きています。
だからこそ、社会的な地位も評価もついてきます。あなたが自分の仕事人生に自負もあるし、誇りに思っているのもわかります。
でも正直に考えた時には、「ゴキゲンじゃない」の、ですよね。
ここで、ひとつ質問したいのですが、「自分がゴキゲンじゃない理由」をちゃんと考えたことがありますか?
そんなことを考える暇があったら、もうひとつ、ふたつ仕事をしたほうがマシだ!って、いま、思いませんでしたか?
わかるんです。この領域については、詳しいですよ。
なぜなら、自分も完全にワークホリックだったのです(笑)。
この領域の人は、「バランスが取れていない」のです。
まさに、仕事中毒、努力中毒、犠牲信奉主義、嫌快楽主義の人たちです。
この考え方の人が、先にお話しした「家族よりも、仕事」に優先順位をつけてしまい、「家族の特別な日よりも、仕事の大事、仕事のヤリガイ」を優先しがちな人たちです。
よく周りを見回して、考えてみてください。
あなたが、ゴキゲンじゃない以上に、あなたのご家族は「ゴキゲンじゃない」ということに認識がありますか?
そのご家族の不機嫌が時間が経つほどに成長しているのに気付いていますか?
あなたが、たまに家族とゆっくり過ごそうと提案しても、彼らがノッてこない理由がわかってますか?
残念ながらもう、取り返しがつかないくらい、ご家族のなかであなたに対しての「ゴキゲンじゃない」負債が溜まっているんですよ。1度や2度の行動では、変えようがないくらいに。
この負債の末路は、定年後の熟年離婚や、家族崩壊です。
だから、だからこそ、仕事と家族を比較する場面になったら、いちど立ち止まって、「家族と人生のことについては、後悔しないように生きる」と考えてみませんか、と今回、提案しているのです。
第3領域 「ゴキゲンで、ヤリガイがある」 バランスが取れた人生。
もう一度、4つの領域をじっくり見てください。
ヤリガイと、ゴキゲンの軸を実感してみてください。
そして、右上の第3領域にある「ゴキゲンで、ヤリガイがある」という言葉をゆっくり噛みしてみてください。
「ゴキゲンで、同時に、ヤリガイがある」
この感覚を実感できていることが「幸福」なんです。
家族との関係も、社会的にもゴキゲンで、仕事や人生の達成感にもヤリガイを感じられる状態、このふたつは、両立できます。
人生の幸福とは、ゴキゲンで、同時に、ヤリガイがある状態なんです。
このとき、あなたが幸福を実感できているならば、あなたのご家族も、周りにいる人も「幸せ」を実感しているはずです。
そんな「ゴキゲンで、ヤリガイがある」状態は、「実現しない夢」の領域でしょうか?
私は、そんなことはないと思います。
目標に向かって地味に努力する「覚悟」、変化や挑戦をいとわない「覚悟」、家族と人生のことについては後悔しないように生きる「覚悟」さえあれば、「ゴキゲンで、ヤリガイがある」人生は、あなたに必ず訪れます。
まずは、「美記憶>仕事」と「覚悟」してみる
まぁ、とりあえず人生を変えるなんて大上段に構えなくても大丈夫。
明日から、家族の誕生日、季節の行事、仕事のキックオフや打ちあげ、試験や資格の合格、子どもたちのスポーツの勝ち負け、父母の記念日、人生の冠婚葬祭・・・そうした人生の記念日や、家族との思い出、仕事やプロジェクトの節目などを大事にしていくと覚悟して、実際に一つずつ行動してみたらいかがでしょう。
美記憶づくり
そして、その行動した結果を、ちゃんと「記憶のアルバム」として残してみるのです。
ご家族との「記念日の思い出」をしっかりと形にしていくのです。
歌手やアーティストの方々には「ディスクグラフィー」というものがあったり、俳優さんには「出演作リスト」があります。
ほかにもデザイナーさんや、建築家の人たちは、業界の通例として、自分の過去の作品集を丁寧に作られています。
でも、世の中には、そういう自分の作品集ができる人がいれば、そんな形には、やってきたことがまとまらない人もいます。
でも、誰でも、人生には節目がありますよね。
私は、それをしっかりと記憶して、記録して、人生の思い出を、周りの人たちと楽しんでもらいたいのです。
楽しかった日、うれしかった日、笑いあった日、泣き合った日・・・それらは、すべては、人生の彩りです。
そうした思い出をちゃんと「保管」していきましょう!
忘れないように、いつでも振り返って、思い出したり、共有した人と懐かしんだりできるのは、素敵なことではないでしょうか?
そうした自分がしてきたことを、ちゃんと「美しい記憶」にして、周囲の人と共有する行為を、私は「美記憶」と名付けました。
楽しかった日、うれしかった日、笑いあった日、泣き合った日・・・どんな人でも、自分の人生を素敵な「美記憶」にしていくことができると信じています。
みな、それぞれに「美記憶」はあるし、これからも増やしていくことはできる、そしてそれをちゃんと残していくこともできます。
私は、そうした活動をお手伝いしたいと、長年考えてきました。
DishAppの活動の根源には、この「美記憶」のコンセプトがあります。
DishAppの「笑顔の食卓」をつくる「覚悟」は、みなさんの人生に「美記憶」を刻んでもらいたいという「決意」からできているのです。